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麗らかに#14 私が大切にしているものをそんなに簡単に……。


幼い日の苦い思い出


幼稚園児の頃

私は当時、『自家中毒症』とも呼ばれていた
ケトン血性嘔吐症 という病気になりました。
風邪や疲労・過度の緊張等のストレスが引き金になって頻繁に嘔吐を繰り返す状態で、6歳以下の子供によく認められるものです。

吐き続け、食事がとれず全身状態が悪化した私は
点滴療法が必要となり、大きな病院に入院しました。

幼かった私には、母の付き添いが必要だったようで
母は、一日の殆どを病院で過ごし
病院のベッドで添い寝してくれたりしていました。

母を独り占めできていたことが
とても嬉しかったのを覚えています。

当時私は
『ミルク飲み人形 メルちゃん』みたいな
大きな人形を買ってもらっていて
『みよちゃん』という、名前をつけて
それはそれは、大切にしていました。

みよちゃんは
私の一番の友達であり
私の妹であり
そして私の娘でもありました。

かわいい赤いジャンパースカートを着せたり
母が作った浴衣を着せたり
ママレモンで髪の毛を洗ったり(おかげでギシギシ)
髪の毛を切ったり(おかげでボサボサ)
手術をしてあげたり
(お腹や腕にマジックで傷跡を描く こわっ𝘸)

もちろん、病院にもみよちゃんは同行
看護師さんにも「可愛いね」と言われ
自慢げに見せていたと思います。

具合いが悪くて入院していたはずですが
私にとっては、穏やかで幸せな時間だった
ように記憶しています。


あのことがなかったなら……


ある日、看護師さんに連れられ
検査か何かに行き
病室に戻った時に
私のベッドに、みよちゃんが居ないことに
直ぐに気が付きました。

次の瞬間、隣のベッドの女の子
(たぶん私より少し年上)が
『私のみよちゃん』を抱っこし
母と、笑いながら話している光景が
目に飛び込んできました。

私は自分の顔がみるみるうちに
かーーーっ😡と
赤くなっていくのがわかりました。

母は、そんな私の様子を見て
何も気が付かなかったのか

逆に気がついたからなのか
変わらずにそのまま話し続けます。

隣のベッドの子が、私に
「この子の名前は?」と聞いてきました。
私は何も答えずに、ベッドに潜り込み

「お母さん!教えないで!
私の大事なみよちゃんよ!
その子に、みよちゃんの名前は教えてダメ!」

と、心の中で祈りますが

母はあっさりと
「みよちゃんっていうのよ」と
こたえてしまいました。

あの時のショック……。

母も、みよちゃんも
一気に奪い取られたような
そんな気持ちだったように思います。

母にはそのことを伝えたことはありません。
きっと言っても、私の気持ちは分かってもらえない
だろうと思ったから。

私は小さい頃から、そんなふうに
大したことのないことに
固執したり
嫉妬したりして
ひとりでいらない怒りを抱え
生きてきたのかもなと
さっき、ふと思ったのです。

今日は七夕で
SNSには幸せ投稿が溢れています。

そんな中

私がはっきり記憶していることって
こんなふうにつまらないことが
溢れているのです。

だけどそんなつまらないことを
乗り越えながら、と言ったら
大袈裟になるけれど
それなりにやり過ごしながら
ここまで生きてきた自分を
今日も優しくギュッと
してあげようと思うのです。


雨☔で天の川は今年も見られませんでした。
来年は見れるといいなぁ。

みなさん、おやすみなさい。






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