自分の本質に気づいたら愛する会社を辞めなくてはいけなくなった
社内の人間で、私が会社をやめると予測していた人はおそらく1人もいなかったと思う。
誰もが例外なく驚いて、「何があった?!」となった。
それもそのはず、私自身数ヶ月前まで「定年まで勤めてもいいかも」と思うくらい会社が好きだった。
人間関係は良好で上司とも部下ともいい関係を築いていたし、同僚は皆私に好意的で、(努力してそうなっていたとはいえ)残業も週末出勤もほとんどしたことがなく、給与はいわゆる「高額所得者」の域だったし、業務内容も役割も自分の持つスキルに合っていたし、それほど難しくもない上にそれなりにやりがいもあったと思う。
いわゆる、「居心地の良い会社」だった。
でも、あることに気づいた時に、もう辞めたい…というか辞めざるを得ない状況になり、何かわからないものに突き動かされて自分ではあらがえないほどの力を感じて退職へと進んでいき…
その日から僅か4ヶ月で退職届を出すこととなった。
「将来思い描く自分」と「今の自分」がかけ離れているという気づき
それは、年末年始に夫と2人、京都へ慰労旅行に出かけたときのこと。
私たちは子供たちを初めて名古屋の親のところに送り出し、2人で解放感を満喫するためにちょっとリッチなホテル@京都に宿泊することにした。
そこで夫からの提案があった。
「年始だし、俺が3ヶ月に1回しているビジョンワークをしようかと思うけど一緒にする?」
夫は起業家で、このビジョンワークなるものを仕事でお客さんにしているし、自分のビジョンも定期的に見直し、ブラッシュアップしている。
夫がこの習慣を行うようになってどれだけ仕事の精度を上げ、人間的な魅力を増し、人生を充実させるようになったかを私は薄々気づいていたけれど、
オッケー!とめちゃくちゃ気楽に了承し、特に大きな期待もせずにホテルのラウンジでワークを始めた。
自分が今手に入れたいと思っているモノ・コトを書き出し、自分の根源的欲求が何なのかを明らかにし、自分の本質的なアイデンティティを定義したりして、そこまではとてもワクワクして朗らかに進めることができていた。
でもこの、自分が理想とするアイデンティティをベースに30年後のビジョンや自分の「理想のあり方」を書き出し、それをバックキャスティングして20年後、10年後、5年後、3年後…と書き出していくほどに、どんどん気分が悪くなってきた。
なぜなら、今の生活をしていたら、どう考えても3年後そうなっているはずがないというほどにそれはかけ離れており、その3年後の自分を実現するには、1年後の自分は必然的に「今の仕事を辞めている」必要があった。
でも1年後に「今の仕事を辞めている」なんて考えられなくて、結局「今の仕事を辞める決心がついている」と書き換えて自分を安心させた。
最悪!気づきたくなかった!なんてコトしてくれたんだ!辞めたくない!だって、辞める理由なんてないんだもん!!
が、私の最初の反応だったと思う。
不都合な真実に気づいてしまった。そのきっかけを作った夫を恨みたくなったくらい。できれば、蓋を閉めてなかったことにしたかったくらい。
怖い事実だったと思う。
でもその時に完全にスイッチが入ったのだと思う。
このレールに乗っていたらダメだ。早く降りないと、どんどん自分の思い描く未来から乖離していく…そんな「私A」と、いやだ!辞めたくない!な「私B」の戦いが開幕したのはあの京都での年始だった。
2024年1月3日のできごと。