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免許取るのやめた。

去年の7月ぐらいから自動車普通免許(AT)を取ろうと自動車学校に通ってましたが、先日5回目の本免技能試験に落ちて免許を取るのを完全に諦めました。

元々は大学を卒業する直前にMTで一回免許を取得していたのですが、そこから一切運転することもなく、引越ししてから本籍を移していなかったら、更新のハガキが実家の方に送られて、実家にいる家族がそのハガキに気づかず、自分も運転しないものだから失効しているのに気づかず、そのままスルッと失効してしまっていたのでした。まあ、それでも全く車に乗る必要もなく、普段はほぼほぼ自転車移動のチャリ貴族なので、このまま一生免許なくても問題ないなぁぐらいに思っていたのですが、去年辺りにふとマイナンバーカード以外の身分証明書がないことに不安を覚えたので、何か別に身分を証明できるものを持っておきたいと思って再び自動車学校に通い出したのが去年の6月だか7月。確か去年の8月に舞台の公演があって、その公演期間がまぁまぁ長かったので、その期間を挟んでしまうと絶対取るの遅れるから7月中に取ってしまいたいとか考えてたので、通い出したのは6月だった。気がする。結局1年かかって諦めてるのだけど。

何でこんなことになったのか。
改めて取り直すとなるとまた学科のために授業に通い倒さないといけないのか20万以上払わねばならないのかと思って色々調べていたら、自動車教習所とはちょっと違う自動車学校に普通に取るよりかは安めになる免許失効者向けのコースを発見。一応、運転経験者という扱いになるので、わざわざ学科の授業も通わずに映像で確認するだけで良し、実技の教習も本人が希望するコマ数だけで良し、それ故に手間がかからずお値段も安くなるという仕様だった。
こいつは良いや、これなら上手く教習のコマを組めれば一ヶ月ぐらいで免許をゲット出来るぞキャッホイと意気揚々と入学したのが去年の6月。その時はちょうど公演のない狭間の時期だったので気持ちにも余裕がたっぷりあった。学科は問題なく合格し、まずは仮免のための技能試験これもサクッとクリア、と思ったら1回目は不合格。この時は点滅赤信号と点滅黄信号がゴッチャになってしまって間違えるという凡ミス。しかし2回目はしっかりと気を張って臨んでミスの自覚もなかったにも関わらず不合格。ここら辺で暗雲が立ち込め始める。諸々免除の免許失効者向けコースとは言え、最後に車に乗ってから10年以上経過していて全く運転に自信はなかったのでその中では教習回数が一番多いコースにしていた自分。第一段階、第二段階でそれぞれ6コマずつ教習するコースで、既に前半分の6コマの教習は消化して試験に挑んでいた。仕方なしに後半の1コマを前半分に持ってきて追加で教習を受けてから、改めて試験を受けて3回目で受かることが出来た。ここまでが仮免取得の流れである。

この時点で当初の予定から大分狂いが生じていた
入学前は1ヶ月もあれば取得できるかと考えていたが、夏休みは大学生がこぞって教習を受けにくることもあって、しばらく入れるコマがないのでとりあえず学科をまずクリアしてもらって、その後実技の教習をしましょうと言われ、この時点で入学前の予定は崩れた。その後、何とか合間を縫って教習の時間を確保してもらったものの、こちらとしては飛び飛びで教習を受けて試験に臨む感覚。それでも一発で受かっていれば、とりあえずは8月の公演前に仮免を取得し、その公演が終わった後に本免の試験に望めば良いね、という風に持っていけたのだが、不合格でモタモタとつまづいたため仮免試験は公演後に改めて、と大分遅れを取ったのだった。
その後も自動車学校大人気で教習のコマがかなり先まで埋まっており、またも間が開く始末。しかも前半に1コマ持ってきてしまったために、残りのコマは当初より少ない5コマ。最初の話では上手くいけば夏の内に免許を取り終えられます、ということだったが、気づけば夏は終わり、車の運転に関してフワフワしたまま、次の公演の稽古が始まり免許に関してはそっちのけ、年内の試験には落ちて年を跨ぎ、公演が終わってから免許のことは考えようでも終わったら割とすぐ次の公演始まるんだよなぁ、とかやっていたら気付いたら春である。
本当なら自動車学校通っている内に1公演挟むかな、ぐらいだったのが5公演終わってしまった。BARでお芝居して、福島で初めて地方公演をやり、年跨ぎでアゴラ最後の正月公演を打ち、かながわ演劇祭に参加して、Peachboysは最終公演を迎えた。なのにまだ免許を取り終えてなかった。
怒涛の演劇稽古の日々の中、全然勉強する暇もない上に風邪ひいて体調も最悪の状態、ほぼ一夜漬けで挑んだ後半の学科試験は一撃で合格し、体力を使い果たして数日寝込んだこともあった。このように免許取得にも真面目に向き合っていたにも関わらず、最終試験がぜーんぜん受からないのである。

前はMTでも一発で受かった。今回はATなのに全然受からないのは何故?
教習所だと試験もそのまま教習所内で行うので試験官も今まで習った先生がやってくれる。しかし、自動車学校の場合、府中試験場に行って試験を受けなければならないため、試験官は本職の警察官となる。なるべく合格者を出したい教習所と比べると試験場の採点は厳しくなる…らしい。
確かに緊張感はあるので、凡ミスが出やすいところはあると思う。

まぁでも正直全然、それ以前のレベルでダメなんだな、という感じで。
5回受けた中で試験官は毎回違って、厳しい人も怖い人も嫌なカンジの人も優しい人も丁寧な人も色んなタイプがいた。落ちるとどこがダメだったのか教えてくれるのだが、指摘されるポイントが毎回違うのだった。安全確認できてない、左折が膨らんでいる、右折のタイミングが遅い、路肩に寄せすぎ離れすぎ…。その都度、自分の中で思い返して感覚を修正して挑むのだが、あっちを意識すればこっちがダメという感じで何を意識したら良いのか最早わからず。とっくに消化し切っているコマ数を追加で増やして練習すれば、この調子でやれば受かりますよ大丈夫ですよと言われ。試験を受ければ、感覚が甘いのでもっと練習してくださいと言われ。しかしいくら練習をしても意識を改めてみても、感覚的にはずっと同じことをやってるとしか思えず、なのに毎回指摘されることも評価も違うものだから、何が正しいのかも最早わからず。運転において自分は何ができるのか。自分ができると思っていることは本当はできていないのではないか。自分が正しいと思っていることも疑わなければいけないのではないか。本当は何一つできていないのではないか…と運転以外の自分の能力すべてに疑いを持ちそうになってきて、このままでは人生がブッ壊れるかも知れないと思ったので、免許を取るのは諦めました

取るのやめよ、と決めたら物凄く心が軽くなりました。今まで生きてきた中で明確に自分の意思で諦めたのは初めてだったのですが、とてつもなく爽快。苦手意識が物凄いあるのに、絶対に取らないといけないんだという気持ちに駆られてもいたので、その葛藤から解放された気になりました。

免許を取らないといけない、という気持ちの裏には、いつかは1人で生きていかないといけないんだ、という漠然とした将来の不安があり、そのせいで強迫的になっていたところもあるのですが、スッキリした心持ちの今、逆に1人で生きていかなくても良いんだ…という前向きな天啓を得た感触。車の運転が必要になったら誰かを頼れば良い。今の生活において全く車の運転を必要としていないのだから乗らなくて良い。地方に引っ越したりどうしても必要な生活になったら運転できるパートナーを探せば良い。運転は出来ないと胸を張って言えます。それを受け入れてくれる人たちと、私は幸せに暮らしていきます。

1人になる、という漠然とした不安はPeachboysでなくなって1人の表現者としてやっていかなきゃいけないんだ、ということに気付いてから生まれたものだと思うけど、『ピーチボーイズ』の公演を経て、今までも自分は一人でやってきたことなんてちっとも無かったし、これからも色んな人に助けてもらって生きていくんだろうとボンヤリ思ったので、免許を諦めたことでその直観が強まり、逆に不安はなくなったような心持ちであります。

もう運転は、しましぇん!!

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