少女舞闘綺伝 ジュウトハチ 小説版 第十一話
清城学園前駅にほど近い、レトロな雰囲気の喫茶店、三好伊三美と犬川荘、そして木子中心と周千通の四人がテーブルを挟んで向かい合って座っていた。
「あーほれ、さくらんぼやるからもう泣くな」
涙は止まったものの、まだ時折しゃくりあげる千通に伊三美が話しかける。
「ひっく……泣いてません、それに……ひっく……そんなことでは懐柔されないので」
「あっそう……いらない?」
「……ください」
伊佐美は苦笑しながら、自分のレモンスカッシュに乗っていたシロップ漬けのチェリーを千通のパフェに乗せる。上に二つのチェリーが乗った特大のパフェを前にして、千通の表情が少しだけ明るくなった。
一方で、前に置かれた鮮やかな緑色のクリームソーダに口をつけることもせずに、背筋を伸ばしたまま微動だにしない中心に伊佐美が声をかけた。
「アンタも、もうちょっと楽にしなよ」
「あっ、ハイ」
そう答えたものの、中心の姿勢は変わらない。
なにせ前にいる二人の、一人は先日、自分をボコボコに打ちのめした女、もう一人はあれだけの数の不良少女たちをあっという間に大人しくさせた怪力女だ。ガチガチに固くなるのも無理はなかった。
「先ほどは……危ないところを助けていただき、どうもありがとうございました、でヤンス」
「はぁ!?」
隣で聞いていた荘が吹き出す。
「本当に律儀なヤツだな、もう止めて良いぞ、それは」
「そうはいかないでヤンス、自分なりの……けじめでヤンスから」
荘は、一瞬だけ苦笑の表情を浮かべ、すぐに真顔に戻って言った。
「わかった、好きにしろ、ただ、これからいくつか聞きたい事がある、それに答える間は普通に話せ」
レモンスカッシュのグラスを取り上げ、ストローで一口、飲んだ伊三美が続けて言う。
「あとな、知らね―こと、判らねーこと、言いたくねーことは無理に話さなくても良い、ただ」
伊三美はグラスを置き、目を上げ、中心の目を見据えながら言った。
「嘘は、吐くなよ」
「はいっ!」
そこから先はスムーズだった、モップを手に不良を追い散らした一件から、棍の使い方を独学で身に着けたこと、そして自警団まがいのことをするうちに、次第に自分を抑えることができなくなっていったこと、立て板に水の流れる如く、中心はすべてを話した。
「そうこうするうちに、そちらのお姉さんと出会ったという次第です……」
「それにしても」
と、荘が言った。
「それまでは目立たないよう、夜に活動していたのに、なぜ私には白昼堂々、挑んで来た?」
「元々、バトるつもりであそこへ行ったわけじゃないッス、何かこう、気配を……それもすごく大きな気配を感じて……胸が高鳴るっていうか、ハイになってたっていうか……」
「お前とやり合った後に、もう一人、もっと強いやつがその場に現れた、林という女だが、そいつか?」
「わかんないッス……ただ」
「ただ?」
「今でも……感じるっス、あそこに……すごく大事な人が……仲間がいるって」
伊三美と荘は互いに顔を見合わせる。
伊三美が問いかけた。
「仲間が近くにいれば、感じ取れるのかい?」
「そうッス」
「隣のお嬢ちゃんも、仲間の一人だね?」
中心は一瞬、迷うように千通の方を見ると答えた。
「今は、そうです」
「今は?」
「前はそうじゃなかった……親友だけど、仲間じゃなかった、でも今は、はっきり感じるッス」
熱心にパフェを口に運んでいた千通が顔を上げた。きょとんとした顔で三人の顔を見回している。
「ありがとよ、あと、最後にもう一個だけ、聞いて良いかな?」
「なんですか?」
「今から十年前に、何か変わったことはなかったかい?特に自分の体に関することでさ」
「……自分ではよく覚えてないけど、すごく高い熱を出して寝込んだことがあったって親から聞いたッス、一日だけで、次の日はケロッとしてたって」
再びパフェから顔を上げた千通が言った。
「あ、あたしもー、奇遇だねー、まなちゃん」
「おーい、クリームついてんぞ、口の脇」
中心と千通を先に家へと帰し、喫茶店に二人残った伊三美と荘は向かい合って話していた。
冷めてしまった紅茶を一口飲んだ荘が言った。
「あの二人、大丈夫でしょうか?」
「うん、大丈夫だろ、直接襲ったチーム以外にも連絡は回しとくから」
「いえ、そちらではなく」
「ああ、また悪さをしねーかの心配か、そっちの方も大丈夫だろ、多分な」
「確かに、木子中心から、先日やり合った時のような邪気は、もう感じられませんでした」
「これはアタシの推測だけどな、魔星が目覚めるきっかけの一つとして、激しい感情の動きってのがあるんじゃねーかな」
「今日の周千通のように」
「または、こないだのシスター・ルーのように、な、そんで、いっぺん負かす事で、そいつの中の魔星をある程度、鎮めることができる」
「……かも、しれませんね」
「魔星が宿ったタイミングは同じでも、魔星が目覚めるタイミングは人によって様々、ってことは、まだ目覚めてねえヤツもいる可能性があるって事だ」
「でも、目覚めた者同士であれば、魔星は他の魔星の存在を感じ取れる」
「だな、ってことはあの二人を猟犬代わりにするって手もあるが……やりたかねえな、あんまりさ」
「私は、必要とあらば」
「無理すんなよ、アンタの『義』が望んじゃいねーだろそんなことはさ、まあ奥の手ってことにしとこうか、当面はさ」
「しかし気になるのは――」
「『すごく大事な人』か、どうにも嫌な予感がするぜ」
「私もです」
「たぶん考えてることは一緒だな、お互いに手のひらに書いて見せっこしよか?」
「ふざけないでください」
「……悪い、軽口でも叩かないと気が重くてね」
伊三美はグラスを傾け、残っていた溶けかけの氷を口に流し込むと音を立てて噛み砕いた。
「アタシらが気付いたってことは、才蔵さんたちもぼちぼち察し始めてるだろうな、お互い、いざって時にどう動くか、腹を括っといた方が良さそうだな」
「実践的な技を教えてください」
霧隠才華による座学の最中に、大輔は切り出した。
大輔を護衛するための拠点として、十勇士と八犬士が共同で借り上げたマンションの一室、先日会議を行った部屋を、今日は教室として使っている。
才華に口を挟む間を与えず大輔は続ける。
「もちろん、体力も反射神経も人並みな僕が、魔星を宿した人たちと正面から戦ってどうこうできるとは思っていません」
「ならば」
「昨日の襲撃の間、僕にできたことといえば、ひたすら立ち尽くして守られているだけでした、あのとき、せめて状況を打開するような一手があれば――」
大輔は才華の目をじっと見つめる、しばしの沈黙。
「――わかりました」
小さくため息をつきながら、才華は言った。
「どのみち、ここで私が断れば清海か伊三、あるいは犬塚さんか犬川さんに犬山さん、誰かがはいと言うまで、順番に頼み続けるおつもりだったのでしょう?」
「はは、よくおわかりで……」
「隠形の技を、お教えしましょう」
「隠形……って、隠れることですよね?」
いささか不満そうな様子の大輔に、才華は言う。
「先ほどご自分で仰ったではありませんか?身体能力の差を見るに、魔星に正面から挑むのは論外です、付け焼き刃の技を仕掛けても、あっさり破られて終わるでしょう」
「う……」
「まずはみっともなくとも、逃げもする、隠れもする、時を稼ぎ、機を伺う、そうしたことができるようになっていただきます」
「隠形の術と言っても、その道は玄妙にして深甚、私ですらその奥義を極めるに至ってはおりません、ましてや一度や二度の講義でその全てを学ぶことは不可能、まずは基本中の基本、気配の消し方からお教えします、その前に」
才華は立ち上がり、椅子に座っていた大輔のすぐ脇へと歩み寄る。
「気配を感じる、とはどういうことか、実際にやってみましょう」
才華は大輔の肩に手を置き、言った。
「目をつぶってください」
大輔は言われた通りに目をつぶる。
「普段の我々は、五感によって周囲を把握します、中でも特に大きいのが視覚、次いで聴覚」
才華の話し声が、足音とともにゆっくりと大輔の後方へと進んでいく。
「多くの人が気配だと思っているものは、実は人が立てる僅かな音や息づかい、そういうものであったりします、ですが、五感によらずに感じられる“気”というものも、存在するのです――」
「うわぁ!」
不意に総毛立つような気配を背中に感じ、大輔は思わず叫びながら立ち上がり、後ろを振り向いた。
才華は大輔から離れた部屋の隅に、腕組みしたまま壁に背をもたれて立ち、笑みを浮かべていた。
「いまのが俗に言う『殺気』というものです」
「しっ、心臓が止まるかと思いましたよ……」
「このようにはっきりと気配を示すことも可能なら、逆に気配を抑えることもできるわけです、もう一度、前を向いて座って、目をつぶってください」
大輔は才華の指図通りに、着席して目をつぶった。
「これからゆっくりと、気配を抑えながら動きます、全身で私の気配を感じ取ってください」
大輔は目をつぶったまま、必死で才華の気配を感じ取ろうとする。
大輔はおぼろげながらも背後の方に才華の気配を感じていたが、やがてそれは徐々に淡くなり、やがて何も感じ取れなくなった。
「目を開けても結構ですよ」
不意にどこからか才華の声が聞こえ、大輔は目を開けた。
目前に才華の顔があった。
「うわぁ、近い近い近い」
大輔は驚き、椅子に座ったまま後退りする。
才華は悪戯っぽく笑いながら言った。
「――とまあ、視覚が使えない状態で、このように気配を抑えれば、極めて近くまで接近しても覚られなくなります」
(気配はともかくとして、触れそうなくらい近くに顔があったのに、匂いも息づかいも感じなかった、いったいどうやって……?)
大輔の内心を察したかのように才華は言った。
「体臭や呼気の抑え方といったことは、また別途お教えします、まずは気配を消すところから始めましょう――」
才華が大輔に伝えた基本は、極々シンプルだった。
呼吸は鼻からゆっくりと行う。意識は一点に集中させず、雑念は起こるに任せ、消えるに任せる。
「――イメージとしては、そうですね、自我を消し、周囲と一体になる、あるいは流れる水、道端に落ちている石」
「それだけですか」
「まずはそんなところです、ではやってみてください」
大輔は最初に一度だけ、音を立てて大きく息を吸い、ゆっくりとはき出した。
大輔は自分の存在がだんだん希薄になって、部屋いっぱいに拡散していく様子をイメージした。ゆっくりと鼻から息を吸い、はき出す。自然に視線が落ち、半眼の状態になった。
才華は目を見張った。
(――できている!)
おおよそ初めてとは思えない出来だった、目で見ているぶんには、大輔がそこにいることがわかるが、目をつぶれば木石の如く、人の気配を感じさせない。
才華は、大輔がどこまでその状態を保てるか試してみることにした。
一分、三分、五分と時が過ぎるが、大輔の状態は変わらない。普通であれば内心の同様が体の何処かに出てしまうものだが、微動だにしなかった。
そのまま十分が経過した。
「――そこまで」
才華が大輔に声をかける。半眼になっていた大輔の目が元に戻り、同時に気配も戻ってきた。
喜びが顔に浮かびそうになるのをこらえながら、才華が言った。
「お見事でした、初めてにしては上出来です」
「良かった、どれぐらいやってました?」
「十分といったところですね、今の要領で、折を見て一人の時も練習してください、慣れてくれば気配を消したまま、動き回ることもできるようになります」
「あ、そうだ」
大輔は不意に立ち上がり、部屋の隅へ行く。何かを拾い上げ、戻ってきた。
「これを」
大輔が差し出した手には、小さなボタンが乗っていた。誰かの服からほつれて落ちたものだろう。
「これは――」
「さっきの訓練、自分の体が薄くなって、部屋に広がっていくイメージでやってみたんです、そしたら」
「――これが、隅に落ちているのを感じた?」
「そうです」
背筋がぞくりとするほどの感動と困惑、同時に襲ってきた感情を顔に出さないよう、才華はまたしても必死にこらえなければならなかった。
第十一話 終