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少女舞闘綺伝 ジュウトハチ 小説版 第三話

 真田家の近くにある小さな公園、犬川 荘(いぬかわ そう)と木子 中心(きね まなか)の二人が向かい合っていた。

 白木の棍を構える中心に対して、荘は素手のままだ。

「良いんスか?得物を使わなくて」

 中心の問いかけに荘が答える。

「要らん、これくらいでちょうど良い」

「……手加減はしねーっスよ」

 中心が棍を振るい襲いかかろうとした、まさにその瞬間、荘が手を上げた。

「ちょっとまて」

「なんスか?」

 出鼻をくじかれた苛立ちが中心の声に現れていた。

「私が負けたら引き返すとして、お前が負けたらどうする?」

「何でも一つ、言う通りにしてやるっス」

「それは良いな、じゃあ敗けたら、語尾に“ヤンス”をつけろ」

「なんて?」

「敗けたら、今後は語尾に“ヤンス”を付けてしゃべってもらう、少なくとも私の前ではな」

「……良いっスよ、もっとも」

 木子は体をひねりつつ、荘へ向けて棍を思い切り振り下ろす。

「負けは、ありえねーけど!」

 その大振りな一撃を、荘はわずかに横へ動いただけでかわす。

「そらそらそらそら!」

 中心は棍をしごき、鋭い突きを矢継ぎ早に繰り出す。

 荘は巧みに避けながら後ろに下がる。

(よくしなる棍だ…白蝋樹製の本物だな……)

 間合いが開いた事を見て取った中心は、棍を大きく横に振り払う、横掃千軍(おうそうせんぐん)と呼ばれる技を繰り出した。

「そらぁ!」

 荘はさらに大きく下がり距離を取る。

 中心は、大きく宙に飛び上がり、全身を使う大きな振りで棍を振り下ろす。

「はいぃ!」

 確実に的を捉えたはずの振り下ろしが空を斬った、大きな音を立て、棍が地面を打つ。

 振り下ろされた棍の端を荘が踏みつけた。

 中心は慌てて棍を引き戻そうとするが、微動だにしない。

「温まってきた、本気で行くぞ」

 荘は踏みつけた状態から棍の上を走り、一瞬で中心との距離を詰める。

「くっ」

 中心は棍から手を離し、素手で防御の構えを取る。

 荘は巧みに、そして素早く中心の両手を払い、がら空きとなった顔面の右頬を平手で打つ。

「まだやるか?」

「この……!」

 中心は右手で突きを繰り出す。

 荘はその突きを左手で払い、同時に右手で中心の左頬を打つ。

「あら?」

 気を取り直し、中心は左手で突きを繰り出す。

 すかさず荘は右手で払い、左手で額を打つ。

「あら?」 

「上げてくぞ」

 中心は時には手を挙げて攻撃を防ぎ、時には突きを繰り出そうとするが、その度に荘は巧みに相手の手を払い、押え、絡めて打撃を入れる。左右の手は精密な機械の如く常に連動して止まることがない。

 荘は更にペースを上げ、フットワークも交えて中心の周囲を回りつつ、あらゆる方向から高速で何度も打撃を加えてゆく。

「あらあらあらあらあらあらあらあら」

 個々の打撃は手加減され、ごくごく軽い力で打たれてはいたが、あまりにも数多くの打撃を受け、中心の顔は赤く腫れ上がってゆく。

「お前、もうストライクド・バイ・タイガーとかに名前変えろ」

「嫌っス!そんなスカしたファッションブランドだか小洒落た雑貨屋みたいなの!」

 中心の手が止まった。

「ち……」

「ち?」

「ちくしょー!覚えてやがれー!!」

 中心は脱兎の如く逃げ出す。と、途中で一度立ち止まり、荘の方を振り向く。

「でヤンスよー!!」

 涙目でそう叫ぶと、中心は走り去って行った。

「律儀なやつだ……」

 不意に、荘の後ろから拍手をする音が聞こえて来る。

(馬鹿な……!?)

 戦っている最中には、他者がいる気配はまったく感じなかった。

 荘は慌てて振り向く。

「お見事でした」

 手を叩いていたのは涼し気な目元をしたロングヘアーの美女だった。長い黒髪の前と脇は頭頂部で髷のようにまとめられ、後ろ髪は長く背中に垂らされている。ダークグレーの細身のパンツスーツ姿た。

「無作法ではありますが、黙したままで拝見させていただきました」

 と、深みのある声で女は言いつつ、ゆっくりと近づいてくる。

「しかし、あれだけの速さで、一度も違えずに薄皮1枚だけを打つとは、見事なものですね、詠春拳とお見受けしましたが?」

「ええ、まあ、そのようなものです」

 受け答えでは平静を装っていたが、荘の心の内では、自身に危機を告げる声が高まっていた。その理由は二つ。

 戦っていたとはいえ、数歩の間合いに近づかれるまでまったく気配を察する事ができなかったことが一つ、そしてもう一つは、相手の強さがまったく読めないこと。

 八犬士としての訓練において、徹底的に教え込まれたことの一つ、それは相手の力量を推し量ることだった。これは、任務の成否を分けるばかりでなく、時に生死にすら関わる。

 故に相手の佇まい、目配り、足運び、全ての挙動のみならず、発する気配といったものまで、観察し、感じ取って相手の力量を推し量る、八犬士は全員、それができる筈だった。

 だが荘の眼の前にいる女からは、まったく強さを読み取ることができなかった。

「私は林、林 小豹(リン シャオバオ)、小さな豹、と書きます、今日はよくわからない衝動に身を任せ、ここまで来てしまいましたが、良いものが見られました」

 林は喋りながら、無造作に間合いへと踏み込んだ。

(試してやる……!)

 荘は左手で突きを放つ。一切の予備動作を行わず、拳をひねらず、縦拳のままで最速最短で打ち出す詠春拳の突きだ。

 ひたり、と頬に手を当てられる感触があった。最速で繰り出したはずの荘の左の付突きは、林の右手で抑えられ、林の右手が荘の頬を打っていた。

 打つ、というよりは悪戯な子供をたしなめるような、柔らかな触れ方だったが、それが意味することは明らかだった。

(私は今、一度死んだ)

 荘の背筋を冷たい汗がつたう。

「まだ、やりますか?」

 林の問いかけに、荘は内心の動揺を抑えつつ答える。

「今一手、ご教示を」

 林が微笑み、構えを取る。開いた左手を前に出し身体を斜にする。右手は腰の後ろに回されていた。

 荘も同じ形で左手を前に出し体を斜にする。だが右手は胸の高さに上げられている。相手の実力は明らかに上、となればなりふり構ってはいられなかった。

 互いに前に出した手の甲がまさに触れ合おうとしたその瞬間、荘は手首を返し、林の左手を抑えつつ右の突きを繰り出そうとした。

 だが、林の左手は微動だにしない。

(くっ!)

 荘は、瞬時の判断で前に出した左手を引き戻し、歩法で林の側面に回り込もうとした。

 林が左手を大きく回す。

 掴まれてもいない荘の左手は、林の左手に絡め取られるように振り回され、上体が大きく均衡を崩す。

 必死で左手を引き戻した荘の脇腹を、林の掌が打った。撫でるような軽い一手だったが、本気で打たれていたら致命的な結果となっていたはずだ。

(……二度!)

 あくまでも穏やかに、林が問いかける。

「まだ、やりますか?」



 一方、真田家のリビングルーム。

 大輔は意識を取り戻しかけていた。

(……あれ?……いつの間にか、寝ちゃってたのか……何で寝てたんだっけ……確か、伊三美さんのお姉さん……清海さんと会って……)

 ゆっくりと直近の記憶がよみがえってくる。

(……そうだ、清海さんと話をしてて……なぜか話の流れでハグしてもらうことになって……あまりにも気持ちが良くて……いや、清海さんは!?)

 慌てて起き上がろうとした大輔の頭は、何かえらく大きくて柔らかなものに当たり、跳ね返される。

「おっふ」

 そのまま後頭部を打ち付けるが、幸いな事に、頭の下にもえらく柔らかなものが有った。

(つまりここは……)

 意識が完全にはっきりする。目を開けた大輔の視界に飛び込んで来たのは、二つの大きな山と、その向こうから笑顔で覗き込む清海の顔だった。

(……膝枕だ!)

「よくお休みに、なれましたか?」

「アッはい」

 大輔は今度は慎重に、頭をぶつけないように起き上がる。

(駄目だ、このままここに居るとおかしくなる……清海さん、あまりにも無防備に距離を詰めて来すぎる……まあ僕が意馬心猿となったところで、向こうは小指一本でも僕をあしらえるが故の無防備さなんだろうけど)

意馬心猿、すなわち欲情がどうにも抑えにくいことである。

「あのっ!回覧板を回してきます!町内会の!」

「では一緒に」

「いやいやいや大丈夫です、お隣まではほんの数メートル、言って帰って数分かかるかどうかって感じだし」

 後退りながら大輔は続ける。

「何かあったら大声を出しますから、その間、家に待機しててもらえれば!それでは!」

清海の返答を待たず、大輔はリビングを後にした。


真田家にほど近い、表通りに面したカフェ。

 オープンテラスの席の一つには、犬塚 信(いぬづか しのぶ)と三好 伊三美(みよし いさみ)が座っていた。

「……まあ、ハグの件についちゃ、一回や二回なら実害はねえだろ」

 納得いかない顔で信が問いかける。

「そもそも会って間もない相手に、そんなに気軽にするものなのですか?ハグを?」

「ズレてるとこ、あるからなぁ、姉貴の場合」

「そういうものなのですか?」

「持って生まれたあの恵まれたガタイに加えて、三好の家系の怪力と秘伝の能力だろ?姉貴にとっちゃ自分以外のほぼ全人類が、なんか小さくて可愛いヤツみてえなモンだ」

「と、なりますと……」

「会うなり姉性本能(しせいほんのう)が目覚めてもおかしくねえな、だいたいあの服だって……」

「普段からあの服では、ないのですか?」

「んなワケあるか!『つきっきりという事は、身の回りのお世話をすることもあるかと思って』とか言ってたけど、絶対に個人的な趣味だなあれは……ん、どうした?」

 信の視線がそれ、道路の方を向いている事に気づいた伊三美は、その視線を追って振り向く。

 そこには、蒼白の顔で力なく歩いてくる犬川荘の姿があった。

 信が荘へと駆け出す。ただならぬ様子を察した伊三美もあとに続いた。

「……やられた」

 小さな、かすれた声で荘は言った。

 冷静な表情て、荘の体に外傷がないか改める信。

「打たれた痕は?」

 伊三美の問いかけに信は少し安心した表情で答える。

「……ありません、毒や内傷の形跡も」

 荘は絞り出すようにいった。

「寸止めでの散手(さんしゅ)だ、傷はない、だが……」

 荘は膝をつき、涙を落とした。

「三度試みて、三度殺された……完敗だっ!」

 拳で路面を叩く。

「いっそあの場で死ぬべきだった!」

 無言で涙を落とす荘の両の頬を、信は両手ではさみ、顔を上げさせる。

 その声には、聞く者によっては冷徹とも取れる厳しさがあった。

 「泣くのが貴女(あなた)の任務ですか?犬川警視」

 信の問いかけに荘は己を取り戻した。

「相手はもう、その場を去ったのですね?」

 涙を拭いつつ、荘が答える。

「ああ」

「実際の危害を加えられていない以上、敵と断定するのは早計かもしれませんが、最悪の場合も想定しましょう」

 少し考え、信が続ける。

「犬川警視、あなたが遭遇した人物を敵と仮定、警護計画の見直しと戦力増強の手配を、良いですね?」

「了解した」

 荘の両目に宿った光を目にして、信の表情が和らぐ。

「荘ちゃん、死ぬなんて簡単に言わないで」

「……すまない」

 信は荘に手を貸すと、立ち上がらせた。

「まず犬坂さんに報告を、そして少し休んでから警護計画を」

 荘は信の話を途中でさえぎり、言った。

「いや、すぐにやる、この恥もすぐに雪(そそ)ぐ」

 己を取り戻した荘の様子に、信は微笑む。

「それでこそ、です」

 信は伊三美に向き直り、言う。

「三好さん、まずは真田家に戻りましょう、清海さんともお話を」

「ああ」

「任務に私情を交えるのは禁物ではありますが」

 信の口調はあくまでも冷静だが、抑えきれない感情が含まれていた。

「お友達を傷つけられて、私、少しだけ怒っています」


 

 真田家の隣家の玄関先、隣家の住人と回覧板の受け渡しをする大輔。

「それでは、よろしくお願いします、失礼します」

 隣家の門を開け、大輔は路上に出た。そこで足を止め、しばし考え込む。

(このまますぐに家に戻れば、また清海さんと二人きり……なんとか時間を稼がねば……)

 考え込む大輔の前に人影が立つ。

 大輔は顔を上げた。

 その目前には、清海と同じくらいの巨躯の女性の姿があった。西洋の尼僧、修道女の服を着た碧眼の白人女性だ。

 修道女は笑顔で、大輔に話しかける。

「こんにちは、あなたは真田大輔さんですね?」

 多少の違和感はあるが、流暢な日本語だ。

「あっ、はい」

 その時、清海の大音量の叫びが聞こえた。

「その女から離れて!すぐに!!」

 猛然と走り寄ってくる清海の目前に、修道女は三本の指を立てた手を突き出す。

 停止する清海。

「三手、差し上げます、打ってきなさい」

 修道女の言葉が終わるか終わらないかのうちに、清海は至近距離へと飛び込み、立て続けに技を繰り出した。

 清海が使ったのは心意六合拳(しんいろくごうけん)だ。

 始めに相手の顔面を両手で打ちつつ体当たりを加える、鷹捉(ようそく)と呼ばれる技を見舞う。

 更にそこから両腕を突き出し虎撲(こぼく)と呼ばれる技で腹部を打つ。

 一度開いた間合いを素早く詰め、烏牛擺頭(うぎゅうはいとう)と呼ばれる頭突きでたたみかける。

 人と人が闘う音というよりは、自動車がぶつかるような凄まじい音が響く。しかも一連の音が繋がって聞こえるほどの速さだった。

 修道女は吹き飛ばされ、路上に横たわっている。

 大輔は心配そうに清海に語りかけた。

「大丈夫ですか、あのひと、死んじゃったんじゃ……」

 大輔の問いを清海が遮る。

「まだです、離れて!」

 ゆっくりとした動きで、修道女は起き上がる。

 常人なら三度は死んでいるほどの打撃を受けているとは思えないほど、修道女の表情には余裕があった。

「知らない奴と、いきなり闘(や)り合うってのもね、気分が乗らないからね」

 修道女の目に凶猛な光が宿る。

「これで遠慮なく、殺(や)り合える!」

 修道女は常人離れした速さで、無数の拳を繰り出しながら清海に襲い掛かった。


第三話 終

 

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