「人物」
其59「たまには自分の事を振り返りますか?」
こんにちは。お雑煮が食べたい私です。
ろくでもない事が、それなりに色々起きてる中。
なぜか私もアレになりました。最初は悪寒と微熱から。一度目は無反応。
二度目で、羽化登仙してしまいました。
なってみて、思ったのは。
理由とか、大した原因もなくなるものだ、ということ。
前触れはささやかだということ。
しょうがないから、政府の決めたお約束に従って、
たえる日々を送っているわけで。(現在6日目)
みっともなく寝そべって発熱に身体をゆだねながら、
なんとなく、これまでの事を考えてました。
幸いなことに、私は一人暮らしではなかったし、
まだ職場にも余裕があったので、心置きなく休めました。
もやもやと思い浮かんできたものは、私のこれまでの人生には、
大きな責務もなく、果たされねばならない約束もなく、周りからの
期待もない……些末な自由だけが矢鱈とあるのだな、ということです。
おそらく、職を転々としてきたり、小さな挫折をうまく乗り越えられずに、
つらさ優先で逃げだすことを重ねて、責任逃れをしてきた
結果なのだろうな、と思います。
でも、いまさら悔やんだところで、どうなるものでもない。
願っても過去には戻れないのだから。
……と、ここまで意味深な書き方をしてきましたが。
国営放送局が、今年の夏に放映していた「あなたのブツが、ここに」
という、家庭映像劇場(TVドラマ)がありまして。
とてもいい作品で、深く感動する情景がたくさんありました。
主人公たちが、流行り病のせいで陥った自分や国家の状況を評して、
放った台詞。
「バレただけちゃう? うちらがもともと何様でもないということが。」
これが、私の胸に深く刺さって、反響しているのです。
偉い人も、偉くない人も、悪い人も、いい人も。
すごい人も、優しい人も。
アレのせいで、「ああ、私って、自分が考えていたほど何様でも、大事な人物でもなかった」
って思った瞬間があったのではないでしょうか。
人生で遭遇する課題に打ち克って得た責任感や報酬、立場は、人間を強くするけれど、何も持たない人よりも、喪失した時の打撃は、深く大きくなる。
だから、報酬や立場は、価値のあるものかもしれないけれど、人間の人生にとって、絶対的に善ではないのだな、と、今現在、考えてます。
やれやれ。
「あれに関する記事です」っていう、笑止千万なあの警告文が出てくるのが嫌なので、こんな書き方をしてしまいました。
……なんだか、自分らしくない日記を書いてしまった気がします。
もっと素直に書けばよかったかな。
だけど私なりに、言いたいことを考えたつもり。
縦読みでもしてみてください。
ではまた。