音楽の処方箋 その4「音に翻訳された言葉」
「歌」と聞いて、皆さまは何を思い浮かべるでしょうか。日頃音楽と接する機会が少ない方でも、歌と無縁の人生を過ごしてきた方はいらっしゃらないと思います。
記憶はなくとも幼い頃耳にしたであろう子守唄。学校行事やイベントで歌った歌。遠い記憶を呼び起こす歌。歌うことが好きな方もいらっしゃるでしょう。私内山は、東日本大震災の直後、ラジオから歌がひっきりなしに流れていたことを思い出します。
音楽の中でも、音に歌詞(言葉)を伴った「歌」は、器楽曲にはない発信力、メッセージ性の強さを備えています。
しかし、その強さに面食らってしまうほど心が疲弊してしまった、という方もいらっしゃるかもしれません。
今回はそんな方に向けて、歌は歌でも「声のない歌」と「言葉のない歌」を処方いたします。疲れ切った心に沁みる、味わい深い二曲です。声がない、言葉がない歌って何?と疑問に思われた方も、是非お聴きになってみてはいかがでしょうか。
まずは山下から。
卒業式の日に、今日が最後と校舎を振り返ったり。
帰省していた夏休みの最終日に、なんとなく外に出て祖父母の家を眺めたり。
もうこの生活も終わりだな。そろそろ次に歩みを進めなければ。
──迫り来る何かの変わり目を感じた時、それまでの時間を振り返りたくなることはありませんか?
次に進む一歩を踏み出すためのエネルギーを、過ぎた時間から貰うのもなかなか悪くないと思います。
ノスタルジーな気分にそっと寄り添ってくれる1曲。
グラズノフ作曲 エレジーOp.44
ロシアのブラームスとも呼ばれた作曲家で、指揮者でもあり、教育者でもありました。先日のブルッフとはまた違った魅力の歌心。エレジー(=哀歌)と名付けられたこの曲は、同じくロシアを代表する大作曲家チャイコフスキーが亡くなった1893年に書かれたヴィオラのためのオリジナル作品です。
人の声に近いとされるヴィオラの音色は、一度ハマると抜け出せない魅力がありますよね。語りかけられているようで。
5分と少しの短い作品ですが、聴いている間には大切な記憶の中から様々な情景が呼び起こされるのではないでしょうか。
交互に打ち寄せる懐かしくて嬉しい、愛しいような波と、少し痛くて寂しいような波にずっと揺蕩っていたいような、なんとも言えず心地よい気分が味わえます。
短調の響きで沈むように溶けていく最後ですが、そこには悲壮感や疲労感はなく、読み終えた記憶の本をそっと閉じるような、静かで、満ち足りた気持ちが残るのではないかと思います。
続いては内山から。
詩や俳句、短歌のように、言葉そのものを堪能させてくれる世界は実に魅力的です。そして音楽に乗って流れてくる言葉、「歌」もそれらとはまた一味違って、私達の心や空想力を刺激してくれます。
しかし、時には言葉が受け入れられない、煩わしいと感じてしまう瞬間もあるかもしれません。歌に限らず、とにかく情報、言葉が溢れかえっている昨今。何気なく報道やSNSを目にすると(耳にすると)、きつい言葉が飛び込んできて、その毒に犯されて落ち込む…なんてことも。
そんな方に、言葉(歌詞)を持たない歌、ヴォカリーズで始まる美しいアリアを。
ヴィラ=ロボス作曲
ブラジル風バッハ第5番より アリア
8本のチェロとソプラノという、風変わりなアンサンブル。
ふくよかなピッチカートに乗せて歌い上げられる、高音のヴォカリーズ。その歌声に寄り添うように奏でられるチェロのユニゾン。心はあっという間に遠い南国の地へ誘われます。
むせかえるような、気だるい夏の夕暮れ時。赤く染まる広大な空と海。時間と共に景色はゆっくりと移り変わり、薄い雲をまとった月明かりが差し込む。香りまで立ち上ってくるような雰囲気に包まれます。
中盤、ルツ・ヴァラダレシュ・コレアによるポルトガル語の歌詞が差し込まれた後、ハミングによって前半のヴォカリーズが回想されます。それはまるで遠い記憶を懐かしむよう。名残惜しくも曲は静かに閉じられます。
いかがでしたか?縛り付けられ、がんじがらめになったあなたの心をゆっくりとほぐし、安らぎを与えてくれる二曲を処方いたしました。次回もお楽しみに。