リモートアンサンブルと頭の中のぐるぐる
朝晩の気温が下がり、日中もだいぶ過ごしやすくなってきましたね。空気から鬱陶しいほどの湿度も感じなくなって、色々なお店に並ぶ栗やさつまいものお菓子をワクワクしながら眺めていますが、毎年秋の花粉症に悩まされる山下にとっては警戒の季節のはじまりです。
今回は、リモートアンサンブルをしてみて思ったことをnoteに。
リモートアンサンブルで感じたあれこれと、ぐるぐると考えては纏まらない伴奏の精神について。(山下)
一本目の動画『ふたたび』は、自分にとって初めての試みということもあって、正直作り終えただけで燃え尽きてしまった。振り返って何かを考えるよりはまず、わからないなりによく頑張りましたというスタンプを自分に押してあげたい。
ニ本目の動画『海の見える街』に関しては色々と思ったことがあった。
会って弾けばもっと合うのに、ということだけではなく。
タイミングやテンポではないもっと別の、根幹的な何かの微妙なズレ?
お互いが思うキキの精神年齢や箒のスピードの違いのような、そんな感じの何か。
唐突に出立を決意して、その日の晩に家の前の木に激突しながらも飛び去っていく猪突猛進的なピアノに対して、ヴァイオリンは海に浮かぶ街を見て心弾ませながらも景色を眺める余裕のある飛行速度のような。
会って一緒に弾けたなら、テンポやイメージの共有も出来たのにと、少し苦い気持ちになった。
ニ本目をあげて以降気になっているのは自分のテンポのブレ。
途中であれこれ不安になって、せっかく掴んだ波に身を任せきれない性格も一因とは思いつつ、何故、今回は自分自身でも不安定さを感じながら弾くことになったのだろうかと考える。
一本目の動画はヴァイオリン先攻で音を録ってからピアノを入れた。対してニ本目はピアノを録ってからヴァイオリンを録った。
ソロの時は、自分の作ったテンポに自分でノるのだからなんともない。アンサンブルで誰かのテンポに合わせるのは嫌じゃないどころかむしろ好きな方。
ただ私は、自分の作ったテンポに相手を誘うとなると急に不安になるようだ。
「伴奏が自分の思っているテンポじゃないと弾きにくい。ノリにくい。窮屈で思ったように表現に集中できない。」
伴奏にのって歌ったり演奏したりしたことがある人は、誰でも感じることだと思う。
だからこそ、私が伴奏をする時はできる限り主役が自由に気持ちよく演奏出来るようにと、いつも思ってきた。
相手の音楽的な要求に応えたい。自分はどこまでソリストの音楽に寄り添えるだろうか。音色やタイミング、頭の中で鳴っているであろう正解を汲み取って実現できているだろうか。
今までの曲が思い起こされて、色々な方々と弾いてきた記憶を辿る中でふと思った。
相手の理想にどこまで近づけるかには全力を注いできたつもりだけれど、それとは逆に、私は今まで自らの想いや理想を相手に投げかけたことがあっただろうかと。
曲の全体的なノリや雰囲気、テンポの伸縮を主旋律を取る相手に合わせてばかりで、相手のために自分からリードするということをしてこなかったのではないか。あなたのために弾きますというスタンスでいながら、音楽的な決定権を放棄して、相手にばかり選択させてきたのではないか。
音によるコミュニケーションで、こちらからの能動的な投げかけが出来ていた時が今までどれくらいあっただろう。ゼロではない。ああしたいこうしたいと口にして話し合うこともあったし、自然と音に出来ていた時もあると思う。でも、相手にとって都合の良い自分でいることこそがベストと思っている時も確かにあった。
今もこれまでも、本当にピアノを聴いてくださる方々ばかりと演奏する機会に恵まれてきた。ありがたいことだと思う。だからこそ、相手を信じて少し自分の音を投げかけてみたい。
そして安心して頼れる伴奏でありたい。
相手が予期しているテンポの範囲内で、どうぞこちらへと招き入れるくらいの安定したテンポを提示出来るようになりたい。
寄り添うフリをして相手に委ねてばかりではなく、必要な所ではきちんと主張する、しかも相手に伝わるように主張するという技能が必要なのだ。
対人関係においての課題と同じ。苦手だろうと磨いていかねばと、思った。