夕方のような、朝。 いつもの道を、懐かしい気持ちで登っていく。 知っていると思っていることこそ、本当は知らないのかも知れない。 毎朝起きるたび、生まれ変わるような気持ちで。 そうやって、もと来た場所を目指す。 秋のはじまり。
去年。 夕方、町を走っていたら音がしてきたのだ。 音を頼りに行ってみたら、津島神社にたどり着いたのだった。 太鼓から離れて、ずっと祭りからも離れていた。 でも、やっぱり血が騒ぐのだ。血が忘れていない。 この耳に入ってくる音は、ほとんど記憶の断片から出来ていて。 不思議なくらい、聞き逃さない。 '音の匂い'というものがあるのなら、そういう意味でわたしは相当鼻が効く。 時代も場所も飛び越えて、そんな匂いに引き寄せれているとき、原初のじぶんと会っているような気持ちになる。
はじめはすべて、一粒の躍動。 満ちて膨らんで。 やがてまた、生まれた場所へ還ってゆく。 その自由を知っていても、何度も私は迷い、おもい悩む。 それこそが自分で選んだ道だから。 道が満ちて。 何度でも、生まれ変わっていく。
忙しく働いている時、私は何かについてじっくり考えたり出来ない。 自分には時間がないと思っているからだ。 気持ちの余裕がないと時間が足りなくなる。 それは、常に周りが気になり他人の物差しで自分を図ろうとしている現れだとも思う。 お金に対しても同じだ。 自分にとってどのくらいあればゆったりと安心して過ごしていられるのか。それを私が明確に分かっていないから、漠然といつも「足りない」と信じている。 先日、ミヒャエル・エンデの「モモ」を読んだ。 物語の中で、何もモノを持ってないモ
「愛」は、様々なかたちでこの世に存在する。 時にそれは、味だったり、音だったり、手触りだったり。いろいろだ。 それは皆、「ことば」でもある。 受け取った者がそれぞれに変換して、自分なりに訳を付けていく自分だけのことば。 人と関わり、いろんな訳を見聞きすると、愛についての語彙が増していく。 本を読んだり、映画を見ること。 人と話したり、音楽を聴くこと。泣いたり、笑ったりしながら。 それは、たとえ誰かと一緒に居ても、実は個人的に感じている時間。 でも、ひとりでは出会えなかった
今日も光に導かれて。 自分のファインダーを覗きこむ。 そこには必ず、 心が求める存在がある。 その光を追いかけて。 今日も自分の道を歩いていく。
言葉は大事にしまっておくと腐ってしまうよと、 教えてくれた人がいる。 自由に放ったら、誰かが受け取ってまた、 言葉はひとりでに旅を続けてゆくのだと。 その言葉が忘れられなくて、私は最初の詩集を作った。 今年に入って書きためてきた言葉たちを、旅に出そうとおもう。 受け渡し場所は、いまisのアートイベントに参加している、 湯河原のGOOD DAY CAFEのギャラリー内にて。 観に来てくれた人たちの言葉を旅に出すポストも置く予定。 5月末まで昼間のみオープ
しっとりとした味が好きだ そこにはいつも ほんのちょっと悲しみがにじんでる 悲しみは悪いことばかりじゃない 出会う度に 何かを想う気持ちが育っていく 楽しいことも そうじゃないことも 味わう事ができるから 人は生きていける
飛行機に乗ると必ず流れるシートベルト着用のアナウンス。 その中の小さな子供と乗る親のシーンを、最近よく思い出す。 まず、自分自身を守ること。 そうしていないと、絶対に大切なものたちは守れない。 今起こっている事は誰のせいでもなく、母なる地球の今の本音だともおもう。 走り続けて、母の声を忘れた子供たちへの嘆きだ。 きっとこんなカタチで伝えたいなんて望んでいなかっただろう。 一緒に生き延びるために今、地球も自分のシートベルトを探してる。 子供たちは黙って、自分たちの内
窓の向こうの景色は、 壁があるから美しかったり、 特別に見えたりする。 でも、本当は壁なんかない。 みんな同じように危険も安全もあって、同じ土俵の上で生きている。 全ては切り離されることなく、 実際は繋がっている。 だから私が不安になれば、 すぐに何処の誰かも不安になる。 目に見えている壁こそ、 盲目的に信じてしまうもの。 心の目を見開いて。 自分の本能を信じる。 少しの勇気を持って。
空にあいた穴から きょうも颯爽とふっている あたたかく清らな何か
2枚目の地図。 風はいつも吹いている。 生地の上は、波のようにあちこちに向かっていつも自由に進んでいける。 風は記憶が吹き起こす。 そうやって毎日生まれてくるこの波のいとしいこと。 いつか名前をつけてやりたい。 #てしごと
ときどきこの世にびっしりと埋め尽くされているものに 息が詰まってしまう ルールとか 他人との違いとか ものの大きさとか音とか ずっとそんな近くのことに焦点を合わせていたけど そんな単純なことじゃないのかもしれない 誰にでも息が詰まるほど自分を抱きしめているものがあって それは周りの愛とか 繋がりとかで めんどくさいものも そうじゃないものも全部が 気がつけばいつも この体のどこかに触れている 愛があるから生まれるルールもあれば 他人と比べて生まれてくる愛もある 人間
なにも書かれていない真っ白なノートが好きだ。 でも、そこにはなかなか最初の一言を書く事が出来ない。 さんざん考えた先にやっと、感じる瞬間が来て、手が勝手に動き出す。 そうやって何度も立ち止まっては進んでる。 進んだ先にはまだ道は見えない。 一寸先は闇ではなくて、いつも光でいっぱいだから。 #刺繍
夕方4時、まだ暑さむんむんの畑へ。 着いて早々、鎌で指の腹をスパッと切ってしまった。 突然、指の先に心臓があるみたいにドクンドクン。 血を吸いながら水を撒きつつ、頭はドクンドクンの指先の事しか考えられない。 そう言えば昨日、生地は自分の手で触ってみるものよと刺繍作家の方に言われた。 けっして、口で人には伝えられるものではない、と。 わたしはことばのことをやって行きたいから、何でも口で、ことばで、伝えられたらってどこかで思ってる。 でも、手仕事してると、生地や
1日の終わりが ゆっくりと 雲に染まってく たった数分の たった一度のこの景色を 全く見る事のなかったある時期 私は毎日 少しずつ 自分を傷つけては だんだん強くなっていると 思っていた そうやって付いた傷は ある程度までは 何かが癒してくれるけれど 最後は 自分で舐めないと治りきらない 誰のせいにも出来ないことを 自分の一部として 味わって 終わらせることは 時には何年もかかる 海に夕焼けが映っているのを 見ていたら まだ動物だった頃