学校生活
私は小学校が嫌いだった。
みんなと同じことができずダメな子として扱われた。親友だと思っていた子には裏で悪口を言われていたし、勉強も運動もビリだった。
唯一母親は味方してくれたが先生には常に怒られていたし自己肯定感は下がるばかりで、小学3年生の時点では学校に行ったり行かなかったり。5年生で担任が変わり、少しずつ行けるようになったものの週に1回くらいは休んでいた気がする。
ただでさえ全部がビリな私だが、服装がやけに派手なので悪目立ちしていた。いつも変な服!と男の子たちには馬鹿にされ、女の子たちにはクスクスと笑われた。
学校が嫌いになる一方で、私は原宿という街にのめり込んだ。ここではみんな好きな格好で好きに歩いている。学校とは大違いだった。
月に一回ほど母親に連れて行ってもらい、竹下通りを何往復もした。原宿で買った服を着れば学校も怖くなかった。
そんな風に、服に頼りながら精一杯頑張り小学校は卒業した。勉強ができないので高校には行かずスタイリストになるつもりだった。
地獄
小学校を卒業した後は地元の中学に入学した。
家から徒歩40分くらいかかる遠い中学校だった。
勿論勉強も運動も全くできない。しかし新しい学校とクラスに少し期待した。
しかし、そこは地獄だった。小学校と比べ物にならない辛さだった。この中学校で過ごした日々は今までの人生で1番辛かった。
その学校は、地元の小学校2校から生徒が集まるのだが、学年の8割がもう1つの小学校から来た子で、入学式の日からすでにグループができていた。そのグループにうまく入っていく子もいたが、私にはそれができなかった。結果クラスに1人も友達がいなくなった。
今までの私だったら、また原宿に行って可愛い服を着て解決できていたかもしれない。
しかし校則が厳しく、制服なのは勿論髪型や靴下にも規定があった。
みんなと同じような見た目をしているのに中身だけが劣っているのが嫌だったのかもしれない。
好きな格好をできず、友達もいない。学校は遠くて毎朝熱中症になりかけの状態で登校する。挙げ句の果てに勉強も運動もできないので先生にはバカやクズと罵倒された。
遂に何もできなくなり、原宿にも行けなくなった。常に死にたいと思っていた。どうやったら死ねるかしか考えていなかった。
ある日、学校にある荷物を全部持って帰って、学校に行くことを辞めた。完全なる不登校になった。それから少しずつ原宿にも行けるようになった。死にたい気持ちも薄くなった。母親も認めてくれた。
転校
9月。休み続けて2ヶ月ほど経った時、母親がある学校に転校する事を提案をしてくれた。
確かにこのまま休み続けたら高校には行けないだろうし、一か八か転校するのもアリかもしれない。偶然その時、転入生枠が空いていたので話を聞きに行くことにした。
その学校は校則が自由で、見た目に関するルールは一切なし。私服登校で髪染め、メイクなども全く問題なかった。一瞬で惹かれた。ここに通いたいと思ったので受験する事にした。
受験者は何人かいたが、見事合格した。
勉強ができないので不安だった。
合格通知が届いた次の日にすぐ地元の中学の担任に伝えた。久しぶりにワクワクした。
次の週に髪を茶髪にして、新しい生活に向けて服を買ってもらった。
そして転入にあたっての手続きなどをする為、新しい学校に行き、新しい担任の先生に会った。
(ちなみにこの先生との出会いからは6年程立つがいまだに仲良い)
前の学校にはいなかったような若い男の先生。この世の先生はスーツかジャージを着ているものだと思っていたが、この学校の先生は各々好きな服を着ていた。とても素敵だと思った。
母親が新しい担任に「この子茶髪にしちゃったんですけど大丈夫ですか?」と聞いた。担任は「全然いいですよ!素敵じゃないですか!」と言ってくれた。泣いちゃダメだと思ったけど少し泣いてしまった。私が人生で初めて母親以外の大人に認められた瞬間だった。
新生活
転校を考え始めてから1ヶ月しか経ってない中、トントン拍子で決まってしまった転校だったが、登校初日に近づくに連れて不安は大きくなった。
「勉強についていけなかったら、、」「服装や髪型をバカにされたら、、」と楽しみよりも心配が勝った。
そして初登校の日。お気に入りの服を着て、染めたばかりの髪をとかし学校に向かった。
結論から言うと、最高!
友達がたくさんできた。みんな私のことを褒めてくれた。可愛いと言ってくれて、クラスの子も先生も、私の個性を認めてくれる。学校が好きになった。そして他の子達もまた個性豊かな子たちだった。あの時の感動は忘れられない。
みんな好きな髪の色で好きなメイクをして好きな服を着ていた。原宿以外にも、そんな場所があったなんて知らなかった。
人生が変わった瞬間でもある。
高校、専門学校
中学生らしい人間関係のトラブルなどはあったものの、とにかく楽しい3年間だった。
ちなみに中高一貫校だったので勉強しなくても高校に上がれた。なのでこの3年間、実は全く勉強していなかった。安心しきっている。
高校に入学後、新しく外部から入ってきた友達もできて楽しかったのも束の間、1年生1学期の成績が10段階中1と2と3しかなかった。
あまりにも成績が悪いと2年生に上がれなくなるのだが、さすが私立。救済法もある。
この救済に頼れば、勉強しなくても進級できる!と思ったのだがこれが間違いだった。
救済法は教科によるのだが、1番きつかったのが科学。元素記号と原子番号がびっちり書いてある周期表を明日までに10枚書き写すというもの。
言葉だけだと簡単に聞こえるかもしれないが、終わりが見えない生き地獄のようだった。雑に書いても1枚1時間以上かかる。寝る時間を削って終わらせても他の課題もあった。
こんな感じで夏休み前の4日間は泣きながら過ごす事になる。
もうこんな思いは二度としたくないと思い、2学期から人生で初めてテスト勉強というものに励む。その結果数学以外は免れた。しかしどう頑張っても数学はダメだった。
実は私は時計がすぐに読めなかったり、九九も怪しいレベルで数字がダメ。
3年生の時、学習障害だと分かった。今までの生きづらさの原因になっているものがやっとわかりスッキリした。ギリギリのラインで卒業させてもらえることになった。
友人関係は書くまでもないくらい良かった。
3年生になると授業も少なく、昼には帰れたので午後は大体高円寺に行く。5人グループで仲良いのだが私はいまだにこの子達しかちゃんとした友達がいない。十分すぎるくらいだと思っている。他に誰もいらないくらい最高の友達なので。
そして今私は専門学校にいる。学校に友達はいない。でも昔の私とは違う。
学校の外には最高の友達がいるし、中高の6年間素敵な思い出がたくさんある。
学校が終わったらまた高円寺に集合すればいい。好きな格好をして好きな音楽を聴いて中央線に乗ればいい!
学校という枠組みがどうしても合わない私だけど奇跡的に死なずに済んだ。
そして今、過去の私のような子どもに寄り添い助けられるような大人になりたくて専門学校で勉強している。学校が原因で死ぬの勿体なさすぎるからね
長かったけど大丈夫かなー、人生まとめてたら長くなったなー、これからの人生も大変なこと楽しいこと全部意味があるから大丈夫なはずー!
ありがとうございます!