お彼岸。何年ぶりかにご先祖様のお墓参りを
2週間ほど前に父に、
『18日墓参りいくからな』と唐突に言われました。
ウチの実家の墓参りと言えば…、、、。母の出身である葉山と父の田舎の静岡の牧之原。
葉山の母方の祖父祖母のお墓へ行くときは近いので、私には何も言わず勝手に行ってしまう両親。私に言ってくるということは……
墓参りに行くからお前が運転してくれ
ってこと笑 近くに住む両親の要望に答えられるのも私がプチノマドワーカーだからでしょうか?いや、そんなこともないか…。と言うわけで片道3時間程かけて静岡へ行ってまいりました。
距離的になかなか行けないとは言え、父の田舎へのお墓参りは何年ぶりだったのだろう…。何十年ぶり?父の田舎にある先祖のお墓は2基。一方には私の祖父と祖母が。もう一方には私の祖父の弟、英雄さんが。
祖父の弟、英雄さんは私が知る限り私の身内で唯一の太平洋戦争での戦死者。神戸の商船学校に居た際に召集されたそう。子供の頃祖父の家に行くと、海軍の軍服を着た英雄さんの写真が飾ってありました。
「昭和十九年十二月二十五日ソロモン群島ニテ戦傷病死ス 行年二十五才」
25歳の若さでソロモン諸島という何の縁もないであろう土地で亡くなっているのです。今までちゃんと墓石を見ていなかったけれども、亡くなった日が12月25日。クリスマスに。この頃はクリスマスがどうこうってのはなかったんだろうけれども、25歳なんてまだまだ遊びたいさかりなのに。このたった2行がものすごく胸を締め付けました。
『戦傷病死ス』と書いてありますが、餓死だったそうです。この事実を聞いたのは数年前。百田尚樹さんの永遠の0を読んだ後、とても気になったので父に聞き初めて知りました。英雄さんは戦時中一度自宅に戻りその際、家族に「次は戻れないと思う」と言って行ったそうです。
餓死。終戦の半年以上前に一人の青年が餓死。英雄さんだけではなく多くの若者が餓死したとのこと。一説によると戦病死の6割が餓死だったとか。
日中戦争や太平洋戦争で亡くなった軍人・軍属は、政府見解によると約230万人。その内訳は不明確な点が多く、「6割が餓死した」との学説もある。兵站(へいたん)を軽視した無謀な作戦がこうした惨劇を招いたとして、昭和史の著作が多い作家の半藤一利氏(84)は「軍の指導者たちは無責任と愚劣さで、兵士たちを死に追いやった」と指弾している。
http://mainichi.jp/articles/20140815/mog/00m/040/005000c#csidx7c5c819ec205874b78b0867a80a5a7f Copyright 毎日新聞
こんなにたくさんの餓死者が出る戦争。もっと早く戦争が終わっていれば…。何故もっと早く終わらせられなかったんだと思います。祖父の弟の英雄さん、生きていたら何をしていたんだろうな…。祖父も祖母も亡くなってしまいましたし、私の父は戦後生まれ。英雄さんの事を知っている人がもう居ませんが、もうちょっと子供時代に戦争のことを疑問に思い、祖父に色々と聞いておけばよかったなと思います。
早く戦争が終わっていれば、英雄さんが生きていたら…。祖父にちゃんと話を聞いていれば…。これもタラレバ話笑
命をかけて国を守ってくれたご先祖様に恥じぬような生き方をしなくてはいけないなと今回のお墓参りで気づきをいただきました。すぐに忘れてしまうけど、ご飯が食べられるだけで幸せなんですよね。
祖父と祖母と英雄さんが眠るお寺の入口付近に動物愛護の碑があったのですが…。
何故ゴジラ??
意味がわからない…。動物愛護とゴジラ、私が不勉強なだけで何か関係があるのか…。英雄さん関係ないかもですが、笑顔で帰ってねってこと?笑 英雄さん、美味しいご飯と笑顔のある生活を送れるよう日々精進しますね!!