ハスキル三姉妹のお墓参り
日本では見ず知らずの人が眠る墓地を観光する習慣はないけれど、パリの墓地は公園のような感覚で一般に開放されている。正門の入口にはガーディアンがいて、墓地内には木々に囲まれた広い歩道が整備され、おどろおどろしさは(それほど)帯びていない。大丈夫な人であれば、ふらりとお散歩ができる。とりわけ、著名人が埋葬されているモンマルトル墓地、ペール=ラシェーズ墓地(ショパンの墓がある)、モンパルナス墓地(ボードレールなど)には、そこに眠る文豪あるいは芸術家などのお墓参りのためにファンや観光客が多く訪れている。
モンパルナス墓地にはピアニストのクララ・ハスキルが姉のリリー、妹のジャナと共に眠っており、前に一度その墓石を探したのだけれど、わかりにくい場所にあるため見つけられなかった。↓
その時の思いが残っていたこともあり、今回モンパルナス方面に出かけた際に時間があったので再び立ち寄ってみることにした。せっかくなので、墓地が面している通りの角にあった花屋でバラの花束も買った。この酷暑の中でカンカン照りのお天道様の下に置いたら、あっという間にドライフラワーになるだろう。カラカラに乾燥してもきれいな色が残りそうな、濃いめのブラッドオレンジ色を選んだ。
今度こそ見つけなければならない。墓地入口に立ててあるパネルには著名人たちの墓石の位置が表示されているけれど、クララ・ハスキルは載っていなかった。ガーディアンの常駐している正門まで回り、詳しい場所を尋ねてみることにした。「お墓探してるんですけれど…」と言うと、
G「一般の家庭のお墓?それともセレブリティ?」と質問された。「セレブリティです」
G「じゃ、パネルに書いてあるから、あれ見て探したください」「それが、パネルには書いてなかったんです」
G「有名人はみんなパネルに載ってるよ。どういうことよ?」
ガーディアンさん、世の中はバカンス真っ只中だし、猛暑だし、観光客は適当にあしらおうとしているのが見え見えよ。あのねぇ、お墓の場所を教えるのがあなの仕事でしょうが。フランス人てこういう時、どうして速やかに自分の仕事をしないのだろう。
私が花束まで持っているのを見てようやく
G「なんていう名前の人?」と訊いてきた。「クララ・ハスキル」と答えると、分厚いファイルを開いて探し始めた。
G「あ、あった。クララ・ハスキル。ルーマニア。ピアニスト?」「そうです」G「ここ真っ直ぐ行って、広場に突き当たったら右。左手の第4区画にあるんだけれど、5列目の左から数えて11個目ね。モンパルナスタワーを背中にしてね」と地図に書いて教えてくれた。
4区画目まではすぐに辿り着いたのだが、区画内はサイズや形がまちまちの墓石が放射線状に立っていてゴチャゴチャしている。歩道ならともかく、暮石の合間をぬって歩くのはあまり気持ちの良いものではないので、早いところ見つけ出したい。目測で5列目の11個目辺りかな?と思われる辺りに行ってみると、最初に目に入った墓石がハスキル三姉妹のものだった。わー、見つかった!持ってきた花を手向けるために腰を下ろすと、墓石に刻まれた文字が目に入ってきた。姉妹の名前と生年月日、生まれた場所、亡くなった場所と日にちがそれぞれ刻まれていた。妹のジャナの名前の下を見ると、何と誕生日が私と同じ10月17日、ブカレスト生まれとなっていた。あらまぁ、私と同じですね!クララは有名だけれど2人の姉妹についてはほとんど知られていないので、この墓石の前まできて、しゃがんでお花を置いて文字をじっくり見ない事には知り得なかったこと。思いもよらなかった奇遇な巡り合わせに嬉しくなった。ジャナはヴァイオリニストで、パリ音楽院に学び、フランス放送管弦楽団の団員として活躍した。クララは自分でも習って弾いてみたことがあるほどヴァイオリンに興味を持っていたそうだが、妹の腕前を大変気に入って姉妹の共演で演奏会を開いたりもしていた。それだけでなく、姉クララが脳腫瘍の手術を受ける時に付き添ったり、戦争中にユダヤ人であったためナチスに追われ、オーケストラのメンバーと一緒にクララを連れてマルセイユまで逃げたり、と、常に姉を助けてきた存在。同じお誕生日ということで、親近感を持って手を合わせることができた。(ところでフランスもお墓の前で手を合わせるんだったっけ…)数奇な運命を辿りながらも、短期間に素晴らしい演奏を聴衆に届け、録音に残して65歳でこの世を去ったクララ・ハスキルにも心を合わせた。