わたしの看取りプロジェクト25
わたしが自宅看取りを決意したわけ
わたしが父を自宅で看取ろうと思った背景には、次の二つのことがあります。
ひとつは今年の春、親しい友人のお母さん(85歳)が訪問看護などのサービスを受けつつ自宅で亡くなったのを見ていたこと。
そのお母さんはガンの末期で、認知症ではなかったため最後まで会話ができました。亡くなる1週間ほど前に食べることも飲むこともやめ、枯れるようにその生涯を閉じました。
娘にありがとうと言って旅立つさまは、お見事!というよりほかありませんでした。
わたしはそこで訪問看護師さんの働きを目の当たりにし、「これならうちでも看取りができる」と確信しました。
もうひとつは、地域にすばらしい訪問診療所と訪問看護ステーションがあることを知っていたから。
実は先週、父が亡くなる1週間前に痰の吸引をしてくれた看護師さんが、花束を持ってきてくれました。
グリーフケアというのでしょうか。患者を介護していた家族のその後にまで気を配ってくれることに、わたしは心底感動しました。
看護師さんは「わたしたちは、患者さんを介護するご家族も含めて『利用者さん』と考えているんですよ」と言いました。
看護師さんとの小一時間の雑談はまさにセラピーで、彼女もわたしたち家族も学ぶものがたくさんありました。
彼女が所属する介護事業者は、ますますよい仕事を続けていくのだろうなあ。
以上の二つがわたしに自宅での看取りを決心させたわけですが、父を退院させる前にひとつクリアしておかなければならないことがありました。
父に延命治療をしないことを親戚がどう思うか。
父をうちに連れて帰ると決めた日、わたしは叔父(父の弟)に連絡をとりました。数日後、叔父から届いた手紙には、わたしたちの決断を尊重するということが書かれていました。叔父も延命治療には否定的だったのです。
叔父に背中を押してもらい、わたしたちは安心して父をうちに迎えることができました。
親戚の意向を確認する、これは後々のトラブルを防ぐために案外重要なことのようです。
実際、父の退院前に訪問診療所を訪ねて医師と面談した際、看取りに関して親戚からの反対がないかどうかたずねられました。
今、振り返ると、父の看取りに満足できたのは、多くの方々の支えがあったからこそなんですね。
(2014.10.28)