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主語は「わたし」でいいんじゃない?

前回、主語を二人称にすると
自分と距離を置けるから感情に飲み込まれず
客観的に捉えられるよというお話をしました

ここの脱線部分ね

これは自分自身に声掛けをする時は
主語を「わたし」にするよりも
二人称にしたり、自分の名前を呼びかける方が
響きやすいよ
というお話しです

これに対して
相手に自分の考えを伝えるときは
主語は「わたし」でいいんじゃない?というお話をします

時々いませんか?
主語が大きい人

ふと思い出したんですが

帰省の時は、普通は五千円くらいの土産を持ってくるもんだ!

って夫の母親に言われたことがあり、その後も笑い話になっています

五千円という具体的な金額を言われたのも面白かったけど
(相手が喜べば金額は関係ないと思う😅)
「普通」という主語の大きさが興味深かったことを記憶しています

本当はもう少し高価な(豪華な)お土産が欲しかったのでしょう

でも義母自身の意見として伝えることができなくて
「普通は」という表現になったのだと思います

他にも
「男は多くを語らないものだ」って
開きなおる人も時々見かけるけれど
活発な対話を楽しめる方も
上手に自己開示ができる方も
もちろんたくさんいます

「わたしは」
と言いにくい時
人はさもたくさんの人が主張しているように
言い換えるのだと思います

↑私も主語を大きくしてみました
私もきっと無意識にこんな表現をしているのだと思います

学生時代は
もう「みんな」門限なんてないよ
うちだけだよー!
って、一所懸命両親に主張していたものです


みんながやってるから自分もやる

この「みんな」って
どのくらいのみんななんでしょう


行動した結果の責任を取れるのは
自分自身しかないのだから
「みんな」が選択したものを
自分も選択するべきなのかどうかは
自分で決めなくちゃって思います

何かを決断するとき
誰かに思いを伝える時
主語は「わたし」でいいんじゃない?


わたしの人生はわたしが主役ですものね

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