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インスタントメッセージが失ったもの

今朝、1996年の邦画「ハル」を観ました

なんで今頃?って思われるかもしれないけど
昨日は夫の8回目の命日で
この映画は私たちの原点のような存在だからなんです

主人公の2人はインターネット上の映画同好会で知り合います
お互いに嘘をいい真実をいいニアミスやハプニングを経て
お互いの関係性を少しずつ少しずつ育てていきます
映画としての評判はそれほど高くないけれど
私たちにとっては共感できることばかりで
今回も1人で映画を見ながら5秒ごとに
突っ込みやら合いの手やらを入れたくなりました

夫とは遠距離恋愛で
2人のコミュニケーションは基本的に
「パソコン通信」で行われていました

当時私はブラックパフォーマと呼ばれる
黒いMacパソコンを愛用していました

パソコンの電源を入れると元気よく起動音が響き
そこからハードディスクが回る
かすかなカリカリという音を聞くと
ようやくパソコンが立ち上がります

回線を繋ぐときのプッシュ音がピッポッパッポと鳴ると
ファックスを送る時みたいな、ぴーーという電子音からの
ぎゃーーーーゴロゴロゴロ・・・
言語化するのは難しいけど
「テレほタイム」
という言葉にキュンとくる人には、この音わかってもらえるはず

そこからやっと回線がつながり

「メールが1通届いています」

と表示される時の高揚感!

昔は良かった・・・っていうと
くたびれた老人の気分だけれど

でも昔は良かった

今のLINEやSNSのダイレクトメッセージは
あっという間にやり取りができる
スタンプひとつで誰かと繋がることができる

それはそれで
とてもありがたいのです
瞬時に繋がることができるからこそ
離れていても同じ時間を共有することができる

先日、新幹線の向かいのホームから
知人がLINEしてくれたことで
私は東京、その方は名古屋に向かう直前に
手を振り合うことができました

こんなふうに瞬時に繋がることができるからこそ
目の前にいなくても
同じ時間を共有することができますよね

だけど、パソコン通信の
ピーーーギャーーーーゴロゴロゴロ
を待つ時間も
とても大切だったんだなって改めて今感じます

メールは届いてるだろうか
今あの人は何をしているだろうか
わからないからこそ
相手の状況をおもんばかる必要があって
その時間こそが
相手への優しさとか思いやりとかを育てるんだなぁって

そしてインスタントメッセージと違って
1通1通のやり取りに手間がかかるので
送信ボタンを押す前にしっかり読み返して
何度も書き直し書き直し
挙げ句の果てに「送信取り消し」を押してみたりね

ひとつひとつのやり取りが
とっても丁寧でした

どうやったら相手に伝わるだろうか
伝えてみたら相手はどう感じるだろうか
時には顔文字を使い、時には行間を取り、
いつも「相手」のことを思いながら送っていました

インスタントメッセージはとても便利だけど
そんなふうに「相手を思いやる時間」は
致命的に失われてしまったんじゃないでしょうか

人ってそれぞれ全く違う人間だから
根本的に相手のことを理解することなんて
不可能なことだと思います

だからこそ

だからこそ相手のことを理解しようとする時間が
お互いの関係を育てるんじゃないかと思うんです

私たちにとってのパソコン通信は
お互いのことを分かりあうための
大切なツールでした

一緒に暮らすようになり
パソコン通信を使わなくなって
それでもたくさんのことを直接語り合ってきたけれど

いつの間にかお互いに
「分かりあう」ことを怠けるようになっていたかな

たくさんのことが誰かの努力のおかげで
とても便利になっていくけれど

だからこそ「人」に対してはていねいに

ていねいにていねいに
大切に接していきたいものです

「人」は1人では生きて行かれない
「人」と「人」がいて初めて両者に「間」ができる
誰かがいて初めて「人間」になるんですものね

夫が旅立ってからようやくこんなことを感じても
「今さら?」「遅いよ」って夫は笑うかもしれない
でも姿カタチが変わったとしても
ずっと繋がっていく相手だからこそ
今もこれからも、ていねいに繋がっていこうと思うのです


令和6年10月25日

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