きょうかつの家#3「憎しみと親しさへの願望」
もどかしい日々
去年の年末には、母の手伝いも含め、一度実家に帰ることを予定していた。しかしまた、11月に2度目の回転性の眩暈を起こしてしまった。
年齢的にも更年期のような症状も出はじめ、実家で眩暈を起こして迷惑になっては余計に実家に負担をかけてしまうと思うと、年内の帰省を断念せざるを得なかった。
また、どうやら私は、同時に冬季うつにもなっていたようだった。何をしていてもやる気が起きず、何も予定の無い日には、一日ベッドに伏せている日も増えた。正月もお祝いをするような気分には、到底なれなかった。
不穏なLINEグループ
姉が倒れた直後から、実家のメンバーと私との、姉の介護状況共有用のグループLINEができた。私は姉に、何としても復活してほしいという思いが強く「トモちゃん応援!」というグループ名にしていた。
愛想の無い娘たちだったが、母親が倒れたことによって、人に感謝することや、祖父母の有難さなどが、身に染みて分かったのではないかな?なんて呑気な希望的観測を持っていた。
姉が施設から自宅介護に切り替わったころ、突然グループLINEの名前が、ひらがなの実家の苗字だけの表記に変わった。
姉の本心
姉の娘たちは、思春期を過ぎた頃からか、とても愛想が悪かった。挨拶やお礼をしない。こちらから大きな声で挨拶すれば、聞こえるか聞こえないか程度の声で答える。
特に下の娘が顕著だ。私だけでなく、他の親戚からお年玉をもらった際も「あぁ、あーと」とダルそうに答える。外ではうまくやっている様子なので、完全に身内を軽んじているように感じられた。
また長女に関しては、プライドが高いのか、承認欲求が強いのか、祖父母(私の両親)への当たりが強く、「老人」であることを卑下したような言葉をいう事がしばしばあった。因みに長女は姉と非常に性格が似ている。というか、姉の強い影響を受けているといった方が正しいか。とにかく、姉のコピーのような子だ。そして2人とも、自分の母親のことだけは、大好きな事がよく分かる。
姉は幼児教育を学んでいたこともあり、子供たちを自由に育てていることにプライドを持っていた。そして、それは多分、母親への強い反抗心の現れでもあったように思う。
いや、今は確信を持って言える。
姉は母が嫌いなのだ。