不食で水を飲む意味
今日から不食です
あくまでわたしにとっての場合で、他の不食の方全てに当てはまるとは思っていません。
水を飲む意味とは、水すら飲まない呼吸だけで生きるようになると、
実は口呼吸や鼻呼吸すら不要になり、さらに肌呼吸すらも不要になってしまうからです。
で、ここに氣付くと、重力や肉体が不要、、みたいになってきて、透明になれたり空を飛べたり分身できたり手から火を出せたり、、
みたいなファンタジーの世界の人間になりかねません。(わたしはそっちに進むことに違和感を感じて普通の生活に戻りたかったのです。)
しかしながら、わたし個人でいえば結構暇人なので、水さえ飲んでいれば「お茶やコーヒー飲みたいな。」とか、
味噌汁を飲めば「たまにわかめやネギ入れようかな。」「お粥やおにぎりもいいな!」と、
物理的な楽しみが増えたりします。
わたしの場合は元々食事が大好きでしたので、食べる側にもすんなりといつでも戻れるように最低限水とお茶と珈琲、
食欲があれば味噌汁や粉(黒ごま、あおさ、米粉、黒糖等々)を頂きます。
最後に、
わたしは1日微食(りんご一切れ、粉大さじ1、青汁1~2杯等)のような生活をすれば、自分の内なる力に氣付きやすくて、
食事を普通に3食食べる文化の頃と比べれば、いわゆるスピリチュアルな能力というのは確かに遥かに高まる経験はしました。
ただ、皆がそうした何かの能力を得るのは限らないと思っていて、とくに、期待していたり欲している邪なものであれば多分ですが不食になっても得られないのではと考えています。
それは、人間は生き方の美しさの追究で、よく聞く言葉で言い換えれば魂の成長の為に現実があるからです。