邪馬台国研究: 距離の問題
ある人が、邪馬台国の行程について、面白いことを言ってました。
「南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳鞮 可七萬餘戸」
この太字のところですが、AND なのか、OR なのかわからんっていうことなのですが、これ、その人が
「行くときは、水行10日 船で川を下るから」
「陸行は、帰るとき、川を遡るから時間がかかるので、1か月」
と解釈するといっているのです。
おおー!! そうそう。なんか、ありかも!!
邪馬台国に行こうとしている人々は、なんらかの、貢物、プレゼント品を持っている可能性もあるし、当人の着物と食料も持っています。そこそこ、50人とか100人とかで行く可能性があるので、一番足の遅い人に依存してしまいます。
それに、前に朝倉地方で、高天原を探そうとしていたのですが、昔はもうちょっと海が多く、博多湾は広がっていました。しかし、そこから朝倉地域に行くのに、一応、2,3本まあまあ広い川があるのです。
Googleマップで見ると、青い太い線は今の高速道路で、赤いのが一番上が 宇美町で、下のほうが朝倉地域。真ん中あたりの四角は神社。
道路のわりと近くには、2,3本の川があります。多少、流れが違うと思いますが、今とべらぼうには違わないかなあと思います。
博多湾から朝倉まではだいたい直線距離で50キロであるが、昔は道路がほいほいとあるわけではないので、九州に邪馬台国があったとしても、けっこうかかるだろうなあ・・・。
まあ、こういうような川を使っていこうとしたら、水行10日だけど、逆は1か月っていうのは、まあまあありかなあと思ったのでした。
船でも手で漕ぐのしんどいし・・・。
1ノットで考えると、船で1キロ行くのと、徒歩で1キロいくのは、なんとなくだいたい同じです。舟は車のように早く進めませんし、当時はまだ帆船はなかったです。
(といいつつ、中国には帆船があったのではないか? 真似して日本もあったのではないか? というのはありです。)
そういえば、博多湾から対馬までは、50キロほどで、船(海流がある)で1日ほどみたいです。
ただ、それは数人の漕ぎ手で、海流を利用していくので、効率がいいかも?
でもまあ、行くときに船で下りやすい場所ってどこなんだろう?
投馬国も位置がわかりません。
ほかに、もし珍しい火山があったら、「火山がある」って魏志倭人伝に残ると思うので、既述ないのは、火山はないか、休火山かなあと思います。
まあ、わかりませんが、そういう考え方があるのは、ほほーって思いました。
四国説かなと思っていたときは、大分の沖を移動して、四国についてから、1か月で、山の中をぐねぐねとだいたい四国横断か、山上説で山の上の女王の宮殿にいくなら、まあ、そんなもんかなあって思うのですが。