
曖昧(あいまい)さも作戦のうち
電車や航空機などで、座席のリクライニングをめぐって、前の乗客と後ろの乗客がトラブルになる…。
他国ではよくあるようです。
「前の座席の人が背もたれを倒してきて困る」と後ろの客が言い張る。
「リクライニングできるのだから倒す権利はある」と前の客が主張する。
他国ではこれが裁判に発展することもあるみたいです。
日本では、ケンカや裁判になることはあまりないかもしれません。
でも、モヤモヤした経験のある人は多いのでは?
興味深いのは、鉄道会社や航空会社の対応です。
彼らは、「リクライニングしてよい」「してはいけない」というルールをあえて明確にしていません。
「リクライニングできる機能がついているのだから倒してよい」とも言わないし、「後ろの人に配慮すべきだ」とも言わない。
わざと曖昧にしています。
よく考えると、鉄道会社や航空会社は、ズルいんですよ。
だって、同じスペースを2人の乗客に販売しているから。
前の席の人には「リクライニングできるスペース」を含めたチケット代を課金しています。
後ろの席の人には「膝を伸ばせるスペース」を含めたチケット代を課金しています。
本来なら1人分であるはずの空間を、両者に二重販売している。
トラブルが起きるわけです。
しかし鉄道会社や航空会社は、この問題をあえてルール化していません。
乗客同士の「常識」や「マナー」に委ねています。
そのほうが、穏便に収まることが多いからです。
明確なルールを作ってしまうと、どちらかに不満が残り、鉄道会社や航空会社への批判に発展しかねません。
そこで彼らは「曖昧のまま放置する」道を選んでいる。
客として見ると「何なの」となりますね。
でもこれ、運営側から見ると、「知恵」です。

この知恵は、協会運営にも応用できるんじゃないでしょうかね。
協会でも、「正論の衝突」「主張の衝突」は起こります。
たとえば、認定講師を増やしたいという協会の思いと、既存の認定講師の商圏を守りたいという認定講師側の願いは、しばしば対立します。
(協会総研では、認定講師システムをあまり推奨していませんが)
受講料や会費などについても、上げたい派(質の高い内容を提供したい)と、下げたい派(参加のハードルを下げたい)の意見が分かれることがあります。
資格の更新条件、会員の権利と義務、講座内容の使用範囲など、正解が1つとは限らない問題はいろいろある。
こうした問題に対して「すべてをルールで縛る」というアプローチをとると、かえって窮屈な運営を強いられることになりかねません。
どこかの息苦しい独裁国家みたいには、なりたくないですよね。
たとえば講座内容の使用範囲について、極端に厳しいルールを作ってしまうと、せっかくの知識が広まりにくくなってしまいます。
かといって、あまりに緩いルールにすると、協会の知的財産が適切に保護されなくなってしまう。
そこで「協会の理念に沿った使い方をしてください」といった、ある程度曖昧な基準を設けることで、会員の良識に委ねるという選択肢が生まれます。
「曖昧さ」のポイントは、すべてをルール化せず、会員の自主性に委ねる余地を残すこと。
協会が目指す理想像を示しつつ、そこに至る道筋については、ある程度の幅を持たせる。
そうすることで、会員それぞれの状況や判断を活かした柔軟な活動が可能になります。
もちろん、まったくルールを設けないわけにはいきません。
会費の支払期限や、資格認定の基準など、明確なルールが必要な部分も当然あります。
大切なのは、何をルール化し、何を会員の良識に委ねるかの判断でしょうね。
電車や航空機のリクライニング問題から学べるのは、「すべてを明文化する必要はない」という知恵です。
協会運営においても、会員の良識を信頼しつつ、必要最小限のルールで導いていく。
そんなバランス感覚が、長期的に見て協会の発展につながるのではないでしょうか。
結局のところ、協会は「共通の目的のために会員が協力する組織」です。
会員の自主性や良識を信頼し、活かしていく。
それこそが「協会らしい運営」なのかもしれません。
人はともすれば「ルールで縛る」ことで問題解決を図ろうとします。
しかし時として「曖昧にする」という選択肢が、より賢明な判断となることもある。
リクライニング問題は、そんな示唆に富んだ事例といえるでしょう。