ナッジ vs 偽ナッジ
「ナッジ（nudge）」という言葉をご存知でしょうか？
選択の自由を残したまま、人々の行動を望ましい方向に誘導する手法のことです。
近年、様々な場面で注目を集めているナッジですが、その本質を理解せずに導入しようとすると、思わぬ失敗を招くこともあります。
今回は、あるカフェでの会話を通じて、「本物のナッジ」と「偽物のナッジ」の違いについて考えてみたいと思います。
登場するのは、心理学とナッジ研究を趣味とする広告代理店勤務の奈地さんと、とにかく行動派でおっちょこちょいなSNSマーケティング会社勤務の東さん。
実践を急ぐあまり思わぬ失敗をしてしまった東さんが、奈地さんに相談を持ちかけます。
では、二人の会話をお楽しみください。
東さん「奈地さーん！ごめんなさい、お待たせしました！もう走ってきちゃって」
奈地さん「あら東ちゃん、3時の約束に2時45分に着くなんて、早いねー」
東さん「そういう奈地さんも早いですよ」
奈地さん「私は早く着いちゃったから、のんびり東ちゃんを待とうとしてたんだけどね。で、今日は？」
東さん「はい。もう会社で失敗しちゃって、早く相談に乗ってもらいたくて」
奈地さん「LINEにあったやつね。『ナッジを導入したけど大変なことになった』って。先にドリンク注文しましょうか」
東さん「私、今日はアイスカフェラテで。あ、でもホットの方がいいかな。いや、でも」
奈地さん「いつものアイスカフェラテでいいんじゃない。私はホットの紅茶にする」
東さん「私ったら何でも迷っちゃって」
奈地さん「それで、会社でどんなナッジを試してみたの？」
東さん「はい！社内の分別ゴミ箱に『きちんと分別しないと罰金1000円です！』って張り紙したんです」
奈地さん「うわー、やっちゃったね」
東さん「はい。それが逆効果で、『何様のつもり？』って社内が騒ぎになっちゃって…。奈地さん、前に『ナッジは人の行動を変える面白い方法』って教えてくれたじゃないですか」
奈地さん「ええ、でもそれは…あのね、東ちゃん。そもそもナッジって、強制することじゃないのよ」
東さん「でも、みんなの行動を変えるんですよね？」
奈地さん「そうなんだけど…ちょっと、たとえ話をさせて。私、この前、神社に行ったの」
東さん「神社？誰が亡くなったんですか？」
奈地さん「せっかちね。誰も亡くなってないし、そもそも亡くなっても神社には行かないでしょ。行くならお寺」
東さん「あ、そっか」
奈地さん「境内に入ったらね、小さな屋台があった。そこでお茶と和菓子を買って、ちょっと休憩してからお参りに行ったんだけど…」
東さん「はい、それで？」
奈地さん「気づいたら、最初は100円くらいしかお賽銭するつもりなかったのに、500円入れてた」
東さん「じゃあお釣りをもらわなきゃ」
奈地さん「そうじゃなくて。500円を入れようって気持ちになったってこと」
東さん「あ、そっか。なんでそんな気持ちになったんですか？」
奈地さん「お茶と和菓子を買って、ゆっくりした気分になったから。これが本当のナッジ。誰も『お賽銭はいくら以上！』なんて言わなかったけど、自然と多めに入れたくなった」
東さん「つまり、私の張り紙は強制だったから、逆効果だったんですね」
奈地さん「ナッジは、選択の自由を残したまま、そっと背中を押すことよ」
東さん「じゃあ、こういうのはどうですか？ゴミ箱の横に、『あなたの分別が地球を救います』って書くのは？」
奈地さん「うーん、それは偽ナッジね」
東さん「えっ、なんでですか？」
奈地さん「大げさすぎるのよ。『地球を救う』なんて、重すぎる言葉を使うと、かえって反発を招くこともある」
東さん「じゃあ…『先週の分別率80%でした』って書くのは？」
奈地さん「それはいいね。本物のナッジよ。多くの人がやっているという事実を示すことで、自然と従いたくなる。これを『社会的証明』って言う」
東さん「じゃあ、それ、やってみます。ありがとうございました。ではまた」
奈地さん「せっかちね。もう少しここにいなさいよ。来たばかりでしょ」
東さん「わかりました。じゃあ次はこれはどうですか？『分別するとポイントが貯まります』」
奈地さん「それは難しい。一時的には効果があるかもしれないけど、報酬目当てになっちゃう。アンダーマイニング効果って言うんだけど」
東さん「あ、長くなりそうな予感…」
奈地さん「ごめんなさい、たしかに話が長くなるところだった」
東さん「いえいえ！奈地さんの説明、いつも分かりやすいです。それで、アンダーマイニング効果って？」
奈地さん「簡単に言うと、もともと自主的にやっていたことに報酬を付けると、報酬が目的になっちゃって、報酬がないとやらなくなることよ」
東さん「なるほど！じゃあ、これはどうでしょう？分別用のゴミ箱を、ちょっとかわいくデコレーションして…」
奈地さん「それ、いいアイデアね。さりげなく目を引いて、でも押しつけがましくない」
東さん「やった！それ、今すぐやります。じゃあまた」
奈地さん「ちょっと待って。座りなさいよ。いきなり大々的にやらないで、まずは小さく試してみたら？」
東さん「あ、また私の性急さが出ちゃいました？」
奈地さん「そうね。強制じゃなく、自然に分別したくなる雰囲気作りを考えてみて」
東さん「奈地さん、ありがとうございます。次回は成功体験を自慢できるように頑張ります。じゃあまた」
奈地さん「慌てない。コーヒー、まだ半分残ってるよ」
東さん「ですね。いつも急いじゃって…。今日は、ナッジの本質が分かった気がします。強制はダメ、自然に、さりげなく、ですね」
奈地さん「その通りよ」
東さん「私みたいな急いで失敗ばかりの人間には、奈地さんみたいな慎重派の意見が助かります。ありがとうございます。じゃあまた」
奈地さん「だから落ち着きなさいって」
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