#34 虹 / Rainbow
I. 解説: 雨上がりとブーケ
先月,従姉の結婚式に呼ばれた.この曲はそのときに余興で演った曲である.
従姉は生粋の雨女(自称)である.この曲を書いているときは,当日は晴れたらいいなと,そして,アラサーになるまで長いこと旦那はおろか彼氏すらいた試しがなかった従姉の今後の人生が,水滴や水たまりに陽光が反射して煌めく雨上がりの空のように明るいものになるようにと,そんなことを考えていた.まあ,ご多聞に漏れず当日は雨降りだった.
当初,仮タイトルは「雨上がりとブーケ」だったのだが,挙式翌日の早朝,泊まっていたホテルの窓から虹が見え,思い切ってタイトルを「虹」というシンプルなものにしてみようと思った.結局形にするまで長いことかかったが.なお,その後クッソ大雨が降って帰るころに虹をおかわりする羽目になった()
知っての通り,この世には「虹」という題の曲が溢れかえっている.
が,個人的感覚として,雨上がりの湿気っぽさが感じられるような曲ってないよなぁと思い,そういう意味でも,この曲に「虹」の名を与えてみようと思い至った.(ちなみに私は福山雅治と高橋優のやつが好き.)
今回の投稿版は,式で演ったものとは幾らか変えてある.そもそも式では編成がピアノトリオで歌付き.また,コード進行がかなり異なる.特にAmの多くが式ではCだった.例えば最後はCadd9/E > F6 > Gsus4 > AmではなくF6 > Gsus4 > Am > Cadd9である.本来の意図としてはAmで終わる方が正しいのだが,こういう明るくめでたい場でマイナーコード終止というのもよろしくないかと思い,式ではCadd9になった.
元々編成をピアノトリオ(ピアノ,ヴァイオリン,チェロ)で作っていたこともあり,キーは調号なしか#系のキーに限られる.(♭系でもダメではないのだが,ヴァイオリン属は#系の方が弾きやすい.チェリストは従妹なのでまあ気にしないのだが,ヴァイオリニストが(うちの同居人ならともかく)従姉妹の従妹という微妙に遠い相手だったので忖度したわけだ.)
また,もう1つこだわったのが,折角ヴァイオリンとチェロがいるのだから,最低音(ヴァイオリンのG3,チェロのC2)を使うという点.理由としては,単にヴァイオリン属の最低音やその近傍の音が好きなので.重厚感のある味わい深い音である.
さて,CとGを使う,ましてやチェロの最低音のCを使うということは,Cをルートにするようなコードが使える曲でなくてはならない.となるとキーは必然的にハ長調かト長調になる.今回は歌のキーも考えてハ長調を採用した.
なお,そういった事情で,今回式でAmをCに置き換えていたのは,終止をメジャーコードにしたい思いが半分と,チェロの最低音Cを使いたいという邪な理由が半分である.
この曲を作った流れとしては,①「ギターで歌を作る」,②「『なきむし』みたいなノリでMIDIに起こす」,③「コードを弄る」,④「同居人に丸投げして楽譜に起こさせる」,⑤「譜面とMIDI音源を合わせながらVl.とVc.を考えてMIDIに起こす」,⑥「また同居人に丸投げして楽譜に起こさせる」,⑦「Vl.担当とVc.担当に譜面を投げてフィードバックを貰う」,⑧「⑤~⑦を繰り返す」といった感じである.で,今回投稿したものは②までの変に弄っていないバージョンを素体にしている.
然程変なことはやっていないので内容の仔細について述べることはない.[I]の反復でE7, C7を裏コードのB♭7, G♭7に置き換えているぐらいだ.
II. 楽譜&音源配布
ここに書いてあるルールを守ってくれれば使途は問わない.
《楽譜ファイル (PDF)》
《高音質音源ファイル》
WAV形式のCD音質 (44.1kHz/16bit, 1411.2kbps)
《並音質音源ファイル》
MP3形式のストリーミング音質 (320kbps)
III. あとがき: 意識と身体の乖離
仕事が終わった.あとは帰るだけ.しかし家路を急ごうと,愛しの同居人は今日明日と所用で家を留守にしている.無論,そのまま帰って映画を観ながら風呂に浸かり,上がったら酒盛りに興じて,泥のように眠る,そんな普段通りの夜を過ごしても良かったわけだが,折角なら普段は絶対行かないような遠くの飯屋で飯を食らい,適当な銭湯にでも入ってこようか,と考えた.
場所はどこでもいい.うっかり京都ないし隣府県の範囲から出ないように気を付け,まあ大体1時間くらい走って運転に飽きた頃に適当な飯屋に入ろう.
そうして,思考を最小化しながら車を走らせた.事故らないように,車が道から外れないように,他の車とぶつからないように,歩行者に危害を加えないように.そういう最小限の思考をしつつ車を走らせていた.
たまに,ディスプレイを見ているような感覚に陥ることがある.自分が今この目を通して見ている景色は画面に映し出された映像であり,それを観測する私は京佳ではない誰かである,と.
否,京佳であることは理解してはいるのだ.理解しているのだが,腑に落ちないのだ.いや,腑に落ちないというのも的を得ていない.足りない表現力で何とか頑張って表現するならば,「京佳というアバターに,そのアバター用の設定や記憶を持った状態で入っている,別の第三者」という感覚なのだ.
ずっと放心したり何かひとつのことに集中しているなかで集中が切れてきたりしたときにこの現象が起こる.そしてこの現象が一度始まってしまうと中々戻れない.数ミリ平米の糊で辛うじて分離せず繋がっているような,今にも切れそうな使い古しの糸に繋がれたような,そんな感覚である.
結局糊は剥がれないし糸は切れないのだが,こうなる度,そのうちこの意識が完全に身体から乖離して戻ってこれなくなるのでは,と変に心配するのだ.
そしてこうなるともうひとつ問題があって,思考がそこに取られてしまい,他に何も考えられなくなるという点である.
何とか防衛本能のようなものが働くのか何なのか,運転が出来なくなるというわけではないのだが,心持ちとしては,自動運転の車に恐れ戦きながら乗っているような感じで,もっと言えばお化けに腕を掴まれているような心境である.
勿論ずっとこのままというわけは当然なく,20-30分程経つとこれが落ち着いてくる.すっかり周囲は見慣れない道で,一体ここがどこでそもそも今は何時なのかとカーナビに目をやると,なんと2時間以上運転していて神戸にいた.流石に帰りは高速を使うことにし,ひとまず神戸なら神戸牛をということで入った店で牛ひつまぶしを口にした.
肉はウェルダンに限る.固くなろうが知らん.固くても肉はうまい.幾ら柔らかろうが恐怖に慄きながら飯を頬張っては楽しめない.食われる牛にも無礼である.食らう以上は最大限楽しめるようにせねば.そう思って店員のお姉さんに中までしっかり火を通してくれとオーダーしたら,固くなって美味しくないと食い下がってきた.余計なお世話だと思いつつ再度いいからよく焼いてと言った.
結局出されたのはミディアム.内心ひっくり返して怒鳴り散らす厄介なクレーマーをやりそうになったが,内弁慶故そんな非道な真似をする度胸もなく,ハンバーグを追加オーダーし,熱々の鉄板の端を間借りしてひつまぶしの牛にも火を通すという面倒な真似をした.
無心で焼いては除けて米に乗せて食べる.そうして無心でやっているうち,また「乖離」が起きた.一度乖離が起きてしまった日はかなり再発しやすい.こうなると単純な作業しか出来なくなる.ひたすら「糸」が切れてしまわぬようなんとか思考を元に戻そうと考えるあまり,薬味や出汁を使うのをすっかり失念し,やっと正常な精神状態に戻ったときにはもう米も肉も残っておらず,ただ使われずに残った薬味と出汁だけがこちらを寂しそうに見ていた.
仕方ない.こいつらが可哀想だ.ひつまぶしの小盛を薬味・出汁抜きで再オーダーし,何とかすべて食べ切った.しかしキャパのギリギリまで食べたためすぐには動けず,かといって食べ終わったのにずっと居座るわけにもいかず,なんとか支払いを済ませてなんとか店を出てなんとか車に戻った.そして満腹感がマシになるまでスマホゲーをぽちぽちしながら再び無心になってしまった.
……あとはご想像の通り,間もなく乖離が起きた.そして落ち着いてから,ここで映画を観れない銭湯などに行ったら再び乖離が起きるのなんて目に見えているのに,そこまで考えが及ばずに銭湯に行ってしまった.結局,当初は22時くらいには帰る予定が,実際に帰ったのは深夜2時になったのだった.
IV. クレジット
作曲・執筆: kyoka (@kyoka20011218)
浄書・動画編集: Noah
見出し画像: Mateus Campos Felipe 様 (from Unsplash)