〈自立した個人〉とはなにか――【用語集】『〈自己完結社会〉の成立』
〈自立した個人〉 【じりつしたこじん】
伝統や権威、世間や権力といった外的なものに服従することなく、自ら思考し、自ら判断できる主体となった独立した個人のこと。
20世紀の人文科学では、そうした個人が自発的に連帯することによって、強制や同調圧力ではなく自由と自発性に基づく新たな形の〈共同〉がもたらされ(「自由な個性と共同性の止揚」)、より良い社会が実現できると信じられてきた。
特に日本では、権威主義的かつ全体主義的な社会として規定された「戦前」を克服していくプロジェクトとして丸山眞男らの時代に先鋭化され、「個の埋没」と「集団主義」を超克する切り札として、長年にわたって「あるべき人間」の理念として不動の座を占めてきた。
〈自立した個人〉は、M・フーコーを含む「ポストモダン論」を介して批判されてきた経緯があるが、本論ではそれとはまったく異なる文脈において全面的に批判することになる。
例えば〈関係性の病理〉や〈生の混乱〉を含む現代の社会病理は、〈自立した個人〉の実現を阻む権力や抑圧によって引き起こされたのではなく、〈自立した個人〉の理想を追い求め、その条件として〈生の自己完結化〉と〈生の脱身体化〉を加速させた結果としてもたらされているということ、また〈自立した個人〉の理想は、現実から乖離した理念によって現実を塗り替えようとする〈無限の生〉の「世界観=人間観」に立脚した、「現実を否定する理想」の典型であるがゆえに「無間地獄」を引き起こす(それは「存在論的な自由」という、〈有限の生〉の原則および人間的現実に反した虚構である)、といったようにである。
なお、この思想の背景にあるものが「自由の人間学」であり、その派生物として「ゼロ属性の倫理」、「かけがえのない私」といった概念もある。
このページでは、筆者が2021年に刊行した『〈自己完結社会〉の成立――環境哲学と現代人間学のための思想的試み(上巻/下巻)』(農林統計出版)に登場する用語(キーワード)についての概略、および他の用語との関係について説明したウェブ版の用語集のnote版です。
(現在リンク先は、すべてウェブ版を借用していますが、徐々にnote版に切り替えていく予定です。