「意のままにならない他者の原則」(〈有限の生〉の第三原則)とはなにか――【用語集】『〈自己完結社会〉の成立』
「意のままにならない他者の原則」(〈有限の生〉の第三原則) 【いのままにならないたしゃのげんそく】
人間が人間である限り、自らの〈生〉において決して意のままにできないものであところの〈有限の生〉をめぐる五つの原則のうちの一つで、「意のままにならない他者」と関わることを避けられず、そこに生じる負担もまた引き受けなければならないということ。
西洋近代哲学においては、〈自立した個人〉の思想や「かけがえのないこの私」、「積極的自由」などの理想を通じて、決して抑圧が生じることのない〈関係性〉の理念が語られてきた側面があった。
しかし負担を伴わない〈関係性〉など現実には想定できず、いかなる〈関係性〉においても、何らかの形で必ず抑圧や、権力、暴力の側面が内在している。また、自発性や自由選択を尊重するのみでは、〈共同〉は成立せず、その担い手もいなくなる(「100人の村の比喩」)。
したがって、「〈有限の生〉とともに生きる」こと、すなわち〈有限の生〉を「肯定」するということは、自身が〈関係性〉や〈共同〉を必要としている事実、またそこで生じる抑圧を、ある面では受け入れるということを意味している。
もしも本当にわれわれが負担なき〈関係性〉を望むのであれば、「意のままにならない他者」を「意のままになる他者」に置き換えてしまうか、そもそも〈関係性〉自体を構築しないよう努めるより他にないだろう(「脳人間」の比喩)。
しかし「意のままになる他者」との間には「意味のある〈関係性〉」は芽生えず、したがって「意味のある私」もまた成立することはない。ここで問われているのは、そうした〈関係性〉の負担、〈共同〉の負担を軽減させようとして、人間存在が発達させてきたさまざまな作法や知恵(〈距離〉の自在さ、〈役割〉の原理、〈信頼〉の原理、〈許し〉の原理)と、われわれが再びどのように向き合うのかということである。
このページでは、筆者が2021年に刊行した『〈自己完結社会〉の成立――環境哲学と現代人間学のための思想的試み(上巻/下巻)』(農林統計出版)に登場する用語(キーワード)についての概略、および他の用語との関係について説明したウェブ版の用語集のnote版です。
(現在リンク先は、すべてウェブ版を借用していますが、徐々にnote版に切り替えていく予定です。