「(集団的に共有された)人間一般に対する〈信頼〉」(「結束に基づく〈信頼〉」)とはなにか――【用語集】『〈自己完結社会〉の成立』
「(集団的に共有された)人間一般に対する〈信頼〉」(「結束に基づく〈信頼〉」) 【にんげんいっぱんにたいするしんらい】
「〈共同〉のための作法や知恵」としての〈信頼〉の原理の一形態で、「具体的な他者に対する〈信頼〉」が特定の他者との間に結ばれるものであるのに対して、特定の範囲の人格的な集団との間に形作られるもの。
最も分かりやすいケースでは、特定の目的(「〈共同〉のための意味」)を共有した集団が、その集団の構成員に対して抱く〈信頼〉である(「結束に基づく〈信頼〉」)。こうした〈信頼〉は、構成員同士の「共同行為」を円滑にさせ、集団の秩序に貢献するが、不用意な「結束」はときに暴力を生み、とりわけそこに「素朴な〈悪〉」が入り込むとき危険なものともなる。
また、例えば昭和期までの日本において、「困ったときはお互い様」、「それがものの道理というもの」、「それは人としてやってはいけない」といった言葉が地域社会の隣人同士で共有されていたのは、隣人同士の〈共同〉の経験が世代を超えて積み重ねられてきた結果であり、集団的に共有された〈信頼〉の一形態であるとも言える(ただしここでの〈信頼〉の根拠が、特定の人格的な他者に依拠することよりも、集団の構成員であるという事実や、集団に共有された意味や価値規範に比重があると考えれば、「消極的な〈信頼〉」と表現することもできる)。
なお、こうした〈信頼〉を「人間一般に対する〈信頼〉」と呼ぶ際には、やや注意が必要となるかもしれない。なぜならこうした〈信頼〉は、基本的に特定の集団の構成員に対して形作られるものであり、必ずしも集団外の人間をも含む形において、文字通りの意味で人間一般を〈信頼〉するものではないからである。
とはいえ身近な他者に対するこうした〈信頼〉の経験が、他者を〈信頼〉するための基本的な土台を形作る重要な要素となるという側面もある(例えば幼少期に〈信頼〉できる大人や社会関係に恵まれずに育った人々は、しばしば成長後にも容易に他者を〈信頼〉できず、社会関係に困難を抱えることがある)。
このページでは、筆者が2021年に刊行した『〈自己完結社会〉の成立――環境哲学と現代人間学のための思想的試み(上巻/下巻)』(農林統計出版)に登場する用語(キーワード)についての概略、および他の用語との関係について説明したウェブ版の用語集のnote版です。
(現在リンク先は、すべてウェブ版を借用していますが、徐々にnote版に切り替えていく予定です。