京島の10月|23. 空と地底と屋根裏と
午前の早い時間からしっかりしたオンライン取材。気合が結構入っていたので、終わって一安心しながら休む。昼ご飯を食べ、今日はEXPOをしっかり見るため、珍しくPCも持たずに軽いカバン一つで外に出た。
いざ展示を見ようとなっても、作品数が多すぎるため、最近人から聞いて記憶の新しい場所から足を運んでみる。商店街の中にある廃業した電気屋を活用した展示は、この地域一帯の変化を資料に当たりながらまとめたものだ。焼け残ったとか、崩れなかったという話を耳にする機会は多かったが、写真で見ると一目瞭然。一横に長い屋根がテトリスのように密集する様子は、印刷されたインクの濃さにもそのまま表れていた。
展示を担当する方に、近隣の一帯が人力で解体されていく様子なども、写真で見せてもらったりした。電気屋の設えに合わせてカットされたパネルや写真が、レコードやCDの棚にも飾られていた。この場所は今後、レコードショップして再活用される噂を聞いたことがある。
電気屋のはす向かいには布団屋とバーバーだった建物があり、それぞれが展示会場として利用されている。もちろん、同じ並びには佃煮屋や寿司屋も現役で営業されており、異質な風景に拍車がかかる。バーバーの1階でイラストの展示を見つつ、ジブリ作品に出てきそうな炊事場や足の伸ばせないトイレに誘われるようにして2階へ。
以前銭湯でパネル展示をしていた方の空間になっており、壁には世界を巡った写真や記録が残されている。 行く先々で虫に刺された場所を中心にタトゥーを入れているらしく、この辺りの建造物によくある三角形の屋根裏スペースには、お尻もむき出しな等身大パネルが置かれていた。異様なほど空間にフィットしていた。写真、文章、タトゥー。人はどうして生きた証を残そうとするのだろう。そして、それに心を打たれるのはどうしてだろう。
半年間住んでなお、初めて通る路地を2-3経由し、また別の展示会場へ。EXPOの目印の垂れ幕が下がっていなければ、あれもこれも会場の一部に見えてしまう。旧邸長屋では、生活と商売をする空間と同じ場所で展示がされていた。部屋を一つ変えれば、別の世界に移るような振れ幅の一方で、作品の横には作家が寝るための布団もたたまれていた。人の生活そのものにお邪魔しているような感覚は、去年のEXPOでも感じられたものだった。
京島駅での展示もようやく時間をかけて見ることができた。1階の部屋に大きな穴が開けられ、少し水が張っている中、鑑賞するタイプの作品だった。去年も同じ部屋には穴が開いていたのだが、さらに一段と深くなっていた気がする。少し不安に思いながらはしごを降りてイスに座ると、目線が地面よりも下になった。
電気屋で空から見た写真の眺めには、決して見えない地下にいる。その間には、お店や建物や屋根裏があり、それぞれに何かがぎっしりと詰まっている。なんて途方もないのだろう。
ウコッケイが飼われている部屋には、ガラス越しにネパール料理のキッチンも見える。左官の技術で作られた波打つ土壁や、ガラスに印刷された半透明の写真など、様々な要素が重なりすぎた空間は、さながらゲームのデバッグルームのようだった。
いつもの時報が始まると、ガラリと隣の窓が開き、踊りのようなパフォーマンスも始まった。長い棒の先についた照明で照らされた植物の葉が、三角長屋に綺麗な影を落としていた。
このnoteは「すみだ向島EXPO2023」内の企画、日誌「京島の10月」として、淺野義弘(京島共同凸工所)によって書かれているものです。