見出し画像

京島の10月|1. むせかえるほどの日常

午前8時過ぎに目覚めると、暑くも寒くもなく、雲がどんよりと広がる気候。8月、9月と続いた暑さが収まったとは言い切れず、扇風機のスイッチを当たり前のように押す。すみだ向島EXPOのオープニングが10時からあると聞いていたので、トーストとバナナで朝食を済ませ、もう少しだけ寝てから家を出る。

キラキラ橘商店街を通ると、そこいらに白黒写真の人物パネルが飾られている。「京島をアルバムにする」という企画展示だったはず。2日前あたりから、街の各所で看板や立体物が置かれ始め、独特な雰囲気を醸しているのには気がついていた。

「本当に今日からイベントが始まるんだな、いつも暮らしている街で」と思いながら足を進めていく。京島駅——電車やバスの駅ではなく、人の交流場的な意味で名付けられ、少なからぬ人を混乱させている元米屋を改装した建物——に近づくと、数十人の人が集まっていた。知り合いも、一度だけ挨拶した人も、初めましての人も。何でもない普通の交差点に、お揃いのTシャツも名札もない、年齢も雰囲気も全く異なる人々が集い、テープカットのときを待っていた。

それは京島に暮らす人にとっても日常的な光景で、実行委員長や墨田区の来賓が地声を張って挨拶している間にも、コインランドリー帰りの自転車が走り抜け、自動車は狭い車線を交差し、ゴミ収集車さえ通り過ぎていく。赤と白の華やかなテープがママチャリによって視界から消える光景なんて、生まれて初めて見たものだった。おごそかさと対極にあるようなセレモニーは、ヴァイオリニストが鼻と口で奏でる人力ファンファーレと共に終了し、すみだ向島EXPO2023が始まりを告げた。

13時から京島共同凸工所——筆者が運営するものづくりスペース——を開く前に、知人から紹介された隅田公園のイベントを一目見るために自転車を走らせた。曇り空にそびえるスカイツリーや、ビールを模した大きなビルを遠くに望む。生活者と外国人観光客が混じって歩く押上近辺は、全くもっていつもの日常であって、10分前にセレモニーがあったことなんて、誰も知らないように時が流れていた。

隅田公園では既に飲食物の販売やスポーツ体験が始まっており、夜の上映会に向けて屋外用のスクリーンも設置されていた。公園で数日限りとはいえ、日常とは異なる「ハレ」の雰囲気に満ちている。

少し汗ばみながら、ペダルを漕ぐ帰り道。自転車に遮られたテープカットや、白黒写真のパネルがいそいそと運ばれる光景は、あまりにも日常と地続きだったと脳裏に浮かぶ。圧倒的な「ケ」であり、曇り空がよく馴染む普通の日。すみだ向島EXPOが1ヶ月という会期を設定しているのは、浮き沈みも予測不能な変化もあることを承知の上で、ハレだけではない暮らしに価値を見出しているからなのかもしれない。

今年のテーマは「百年の祝福」。筆者が活動する凸工所も、90年以上の歴史がある長屋を改装したものらしい。建物の老朽化や企業による買い上げによって、目まぐるしい早さで風景が変わっていく京島。日常を送る場所と役割を果たす場所を分ける、効率的で快適な開発は、ハレとケを区切る行為のようにも見えてくる。朝10時から、何となくの情報で人が集まり、三々五々に解散していく。そんな隣人達と地続きの、むせ返るような日常に輪郭を与えるこの1ヶ月もまた、きっとあっという間に過ぎていくのだろう。

このnoteは「すみだ向島EXPO2023」内の企画、日誌「京島の10月」として、淺野義弘(京島共同凸工所)によって書かれているものです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?