京島の10月|12. 帰り道はこちら
これを書き始めたのが夜10時55分で、日付を超えるまでそれほど時間が残っていない。凸工所の机でなく、自宅のテーブルで書いてるのが悔しい。気持ちとしてはあちらに座りたいのは山々だが、期限内の継続を優先させておこう。
今日は朝から晩まで都内——もちろん墨田区京島も立派に東京23区内なのだけれど、渋谷やら六本木やらに行ってから帰ってくると、無意識にそう言いたくなってしまう——にずっといて、帰る前にも進めねばならないことがあり、こういうイレギュラーになっている。SNSから流れてくる街の様子を見て、少しそわそわしながら過ごす1日だった。
朝起きて、よく晴れたスカイツリーを眺めながら歩いていたら、ご近所さんとすれ違う。前にも道路のこちら側とあちら側で顔を合わせたことがあった。少し遅延した半蔵門線に揺られてたどり着いた先で、新たにオープンする商業複合施設のプレスツアーに参加。かなり豪華な場所で、住宅の家賃を聞いて、それは月間なのか年間なのかの判断に困った。
憧れのような感情よりも、別世界の話だなという気分で見ていたのだけれど、そこで住んだり働き出したりしたら、やはり気に入ってしっくりくるのだろうか。実際に住みもしないで、斜に構えるのもよくないなと思い直した。 生まれる場所も住む場所もいろいろな理由で決まるのであって、それを選べるかどうかも人それぞれ事情が違うはず。住めば都というけれど、都がどうかは外の人にとやかく言われたくないものだろう。
もう一件、東京駅近くのオフィスビルに立ち寄り、イベントの取材。結構疲れたが、帰りの電車では座れなかった。眠気に負けそうになりつつ、押上のスターバックスで22時頃まで原稿を進める。
仕事に追われてしまっている感じがして良くないが、引っ越す前は結構、これが日常的な光景だった気もする。 特に最近は、この日誌をアップすると「1日が終わったな」という気分になり、早々に布団を敷きたくなる。しゃかりきに夜まで働かなくなったのは、ライフスタイルの変化か、それとも体力の衰えか。
歩いて自宅に向かう途中、凸工所への制作相談が届く。日中にも別の方から連絡があり、合わせてすぐには返せておらず申し訳ない気分に。それでも、夜の凸工所——今日は自宅で止まってしまったが——に近づいてくると、気分は少し前向きになっていく。
週の前半は自分の仕事、後半は凸工所で街の仕事と、何となくそんな分け方で過ごしてきた。この2ヶ月間の運営や、この日誌の継続を通して、後者の色が濃くなってきた気がする。EXPO期間という特殊性も大いに関連しているだろうが、人と街で会うにつけ、そこですべきこと、やりたいことが増えていくのは自然なことかもしれない。
自分の生まれは長野県で、実家は浦安にある。しかし、新社会人としてコロナ禍の悶々とした日々を過ごし、それをウェブ媒体にエッセイとして綴った御徒町や、こうして10日以上にわたって記録を書き続けている京島の方が、生活している実感がとても強い。やはりそこが都かどうかを決めるのは、そこに住み、出かけて、帰ってくる人の感覚だけに委ねられるはずだ。
このnoteは「すみだ向島EXPO2023」内の企画、日誌「京島の10月」として、淺野義弘(京島共同凸工所)によって書かれているものです。
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