京島の10月|9. うたかたの風景
月曜祝日、3連休の最終日だが凸工所はお休み。スポーツの日にかこつけたイベントなど催すべきだったろうか。工房に割ける時間が増えていけば、1週間の動きや祝日の振る舞いも変わっていくだろう。
久しぶりにほぼ完全オフだったので、昨晩は25時過ぎまでお酒を飲み、睡眠を貪った。午後2時過ぎに布団から出て、多少後悔したが、最近は忙しかったからと自分を納得させる。毎日イベントが続くEXPO期間中、ずっと動き続ける中核メンバーの体力は、どこから湧いているのだろう。
自宅で多少の用事を片付けた後、パラパラと雨が降る外へ出かける。明治通りのセブンイレブン脇には、晴天であれば巡行するはずだった銭湯山車が佇んでいた。廃業してしまった銭湯を中心に、タイルや蛇口、広告パネルや壁画の一部を集めて作られた山車。見た目のインパクトもさることながら、実際に水も出るという芸の細かさに痺れる。
廃業や街の姿が変わることには抗えないかもしれないが、記憶を継ぐことはできる。資料や文献だけではなく、みんなの目に触れる山車という形を持って、広く語り継がれていくのだろう。
夜の商店街を歩き、18時のヴァイオリンを待つ間、ふと近くの路地に目をやる。青色の照明が妖しく光り、何か展示をしているのかと思いきや、ごく普通の家屋だった。迷惑にならないよう、遠慮がちに横切りながら路地を抜けると、草の生い茂った空き地に猫が佇んでいた。展示ではない、街のありのままの姿なのだが、アニメや映画のような光景だった。
以前、京島の自宅に友人を招いたことがあるのだが、その場所を正確に覚えた人は少なく「二度と辿り着けない」とまで言われたことがある。東京都23区にある、誰も知らない秘密の土地。そんな物語のような暮らしが、時折顔を覗かせる。
「雨が染み込むアスファルト」と歌詞の変わった夕刻のヴァイオリンを聞き終え、踏切沿いの喫茶店へ。長屋を改装した奥に長い空間で、コーヒーや白い鯛焼きが楽しめる。グッと寒くなったので、濃い味が恋しくなり、ブラジルの中煎り豆を注文した。
店内では音楽家によるインスタレーション作品が展示されている。昨年は弦から外に紐が伸びたピアノが置かれていたが、今年は無数の鐘が吊るされている。場所ごとに異なる音階を持ち、複数人で触れれば音色が重なっていくという。人であふれる時間帯にもう一度見に来てみたい。照明も作者が配置したらしく、店のしつらえに自然と馴染んでいた。作家と街の人との距離が近いことが、良い風景を生んでいるのだと思う。
ホットコーヒーを飲みながら、店主と近況などを話し合う。過日のワークショップ「京島を持ち帰る」で空き地からプラスチックや陶器の破片が出土したことなどを伝えると、店の隣の空き地にも、あるとき婦人の集団が来て何かを探して拾っていったと教えてくれた。京島の土に埋まる何かが、人を惹きつけているようだ。
その空き地は、元々三軒長屋だったうちの1軒を取り壊して生まれたものらしい。地主や家主や相続や、そういった事情を筆者はまだ計り知れないのだが、綺麗に整備された土地にも何かしら「生活の破片」が残ってしまうことに、奇妙な共通点を感じられた。
銭湯山車は有志によって作られ、失いたくない記憶や歴史を紡いでいく。京島の空き地に埋まる記憶は、何もしなければ、きっとそのまま消えていくだろう。思いつきで始めた「京島を持ち帰る」試みだったが、案外大切なことなのかもしれない。
このnoteは「すみだ向島EXPO2023」内の企画、日誌「京島の10月」として、淺野義弘(京島共同凸工所)によって書かれているものです。
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