京島の10月|21. そこらへんの物、そこらへんの人
昨晩商店街を歩いていると、いつもお世話になっている方に声をかけられ、凸工所でお願いしたいことがあるとのこと。イベントのプロモーションビデオに使うための道具が必要で、しかも撮影は午前中から行われるという。
イレギュラーな対応だが、朝7:30に集合し、すごい速さでデータを制作し、レーザーカットを動作させ、スプレーで布に柄を着彩するためのステンシルを制作した。 9時前には完成したものを持ち、自転車で颯爽と現場に向かっていった。慌ただしくも爽やかな朝だった。夕方過ぎ、無事にステンシルを用いて印字された写真が送られてきて、早起きした甲斐があったなと感じた。
駅前の市場で野菜を買って、家で正午くらいまで休む。午後に向けて体力を補う、みたいな習慣が続いている気もする。EXPO期間も残り1週間ほどとなり、お客さんはもちろん、スタッフの人の層も増えてきているようだ。凸工所の場所を説明したり、機材を動作させて案内したり、別のイベントで挨拶した人と再会したり。このやりとりもあと数回になると思うと、あっという間の日々である。
ワークショップ「京島を持ち帰る」には、親子連れが参加してくれた。さいたま国際芸術祭のイベントでEXPOのことを知り、遊びに来てくれたという。前回のWSとは異なるルートで京島の街を歩き、大体の建物で水平と垂直が取れていないことなどに興奮する。今回は地面を掘ったりはせず、傾きに傾いた民泊でいい形の棒を拾ったり、栽培されているのか放置されているのかわからない芋を拝借したりした。
電気湯の前あたりから望むスカイツリーが非常に格好良くて、お子さんがスマホで写真を撮っていた。1時間ほどのツアーで少し疲れ気味だったようだが、事前に京島駅のTAKE FREEエリアから拾ってきたいい感じの白い板に、写真を模写したスカイツリーのイラストをデータ化して彫刻したら、非常にいい感じになった。
素材としての古び方やかすれと、レーザーカットの焦げ具合が絶妙にマッチし、一体いつ作られたものなのだろう?という立て看板が完成した。古い民家の柱に身長を刻んでいたような、妙な愛らしさがある。ワークショップは前回に引き続き、アドリブ全開であったが、京島という街の混沌とした良き思い出を提供できていたら嬉しい。
人が去った後は、海の家で影絵のようなことをやりたくて、諸々の試作品を作って自転車で何度か往復する。想像と違って、全然くっきりとした像を結ばなかったので突き詰めがいがある。こういうとき、とりあえず出力してトライし直せるファブ機器は便利だと思う。海の家近辺で、原始人的な格好をしていた村長が、プレートを照明にかざした光景は、人類が初めて壁画を発見した時のようだった。
営業終了後、隣人に誘われてご飯をいただく。EXPOのサポータースタッフを中心に、その場に居合わせた人や、初めましての人も続々と集まるあやふやでいい会だった。属性や肩書きはさておいて、ただイベントに惹かれてきた人、なんとなく住んでいる人など、ざっくりした共通項だけがある関係性。
街にいる若者、街にいるおじさん、街にいるお姉さん。それくらいの「そこらへん」具合でい続けることの居心地良さは間違いなくあると思う。
このnoteは「すみだ向島EXPO2023」内の企画、日誌「京島の10月」として、淺野義弘(京島共同凸工所)によって書かれているものです。