京島の10月|25. 「会いたさ」の匙加減
カレンダーに何も用事が入ってない平日は久しぶりだ。毎朝駅前の喫茶店で仕事を少しするというルーティンも、かなり間が開いたように感じられた。EXPOの公開日はもちろん、休みの日にも何かしらが催されているので、自分の中での「普通」や「平日」の感覚が揺らいでしまっている。自宅のデスクで黙々と原稿と向き合っているとき、ふとこういう感覚もあったなと思い出すほどだった。
夕方頃、定期的に通っている病院へ。数ヶ月に一度、いつもの薬をもらうだけなのだけれど、初めて「知り合いと出くわしたくないな」という気持ちが湧く。おそらく前回は、出くわすほどには知り合いが多くなかったので、ごく普通の一個人として過ごすことができていた。しかし、特にこの1ヶ月で顔を知る近所の人たちが急激に増えたので、生活圏が重なっている可能性が大いにある。心身のことなどという、最もパーソナルことはおいそれと見られたくないと思ったのであろう。結局、そんな心配は杞憂に終わったのだが、いずれ起きない話でもないだろう。
帰り道、何度も横を通っていたたこやき屋に初めて入る。外で待っている間も、誰かが通るかもしれないなと無意味にソワソワしていた。
日が傾く頃、買ったたこやきでお腹を膨らませて、そのまま自宅で仕事を続ける。なんというか、ここに書けるような話は少ない。仕事と生活、プライベートとパブリック全部をさらけ出せる人なんていないだろうから、全てをここで繋げようとしてしまっている今だけが異常なのだと考えた方が健康的だろう。
夜10時が近くなり、外では雷鳴が轟く。こんなにしっかり雨が降るのは久々な気がする。夜までやっている、というか朝までやっている蕎麦屋に行こうと思い、家を出た頃にはちょうどよく雨が止んでいた。静かな商店街——SNSでは何やら実験をしている様子も垣間見えたが——を通り抜け、明治通りを東へ。
営業中の提灯が堂々たるそのお店は、去年京島で夜まで遊んだときに紹介された場所。朝昼晩の3交代制で、夜10時から明朝までというストロングスタイルなシフトが組まれている。比較的夜が早い京島における、最終到達地点といった具合で利用されている。
注文してから作るかき揚げうどんを待ちながら、店内のテレビを眺める。先ほどの雨は一部で雹になっていたらしく「浅草の方はすごかったらしいよ」と店主と常連が話している。異国で起きる痛ましい争いの映像も流れる。京島だけの10月なんてものはないのかもしれない。
少し唐辛子をかけすぎたうどんを食べ終わり、450円を払って外へ。一人で、茹で・揚げ・会計を担う店主のリズムを崩さないよう、少しタイミングをうかがった。
しっとりとした街を歩いていると、自転車で走り抜ける隣人とすれ違う。AirPodsを話して会話をすると、「夜の散歩、いいね」とのこと。うん。夜の散歩はいい。
病院では出会いたくないけれど、ふと夜にすれ違うのは嬉しかったりする。わがままな感情だが、そう思うのだから仕方ない。程よい人付き合いのボリュームは人それぞれだが、どこかに行けばきっと誰かに会える、そんな保証があるのは、誰にとっても嬉しいことではないだろうか。
このnoteは「すみだ向島EXPO2023」内の企画、日誌「京島の10月」として、淺野義弘(京島共同凸工所)によって書かれているものです。