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探究の “学び” に必要な方略

【解説】 探究学習の最大の障害は、日本社会の “常識” です。「それは安全なのか?」「子どもに相応ふさわしいか?」「それで何が得られるか?」「無駄むだが多すぎないか?」など、とにかく “(できれば余計よけいなことは)やらせたくない” を前提に 次々と確認が入ります。(注 1)
しかし、不確実な未来を生きていく子どもたちのために “新しいこと” に挑戦する姿勢、あるいは “あきめないで続けること” の大切さを、周りの大人は見せるべきです。とりわけ指導に当たる教師やコーチは、“自分も子どもたちから学ぶ” 姿勢でいてほしいと願っています。

別稿の『空にあこがれて・・・』で「水ロケット」を研究する事例を紹介しました。その事例をベースに、マレーシアでの探究学習の実際を考えてみましょう。また、別稿では 主に「水ロケット」の本体や発射装置の話題だったため、長男のT雄にスポットを当てていました。ここでは、それを支えた 母親や姉のM子・妹のC子の役割の大きさも、紹介したいと思います。

注 1)教師は、主体的な学びや試行錯誤Try & Errorで得るものの教育効果の高さを 頭ではわかっていても、「何かあったら(責任問題・・・)」が先に立つのでしょう。まして、管理職が「上手うまくやれ(手柄は私、責任はお前)」としか言わないと・・・。

クアラルンプール日本人学校で飛行実験(動画はクリック)

危険の予測と分散の知恵

「水ロケットは安全なのか?」と正面からかれたら、「危険な部分もあります」と答えざるを得ません。炭酸飲料用のペットボトルに3気圧以上の空気を詰めるので、もし傷がついていると 破裂するかもしれません。初速は かなりの速度ですし、100mくらいの高さから落下してきた水ロケットに直撃されたら、自動車のボディーでもへこみます。
探究学習の前提として、「本人・家族はもちろん、周囲の人や施設設備を傷つけることがないように」ということは、最も大事なポイントです。また、実験の場に(たまたま)近づいてくる人にも、配慮しなければなりません。

まず、材料や工具に問題がないことの確認は、指導者と本人とが常にしているべきです。とくに刃物は、切れ味が悪いものほど怪我けがの危険が増します。
また 工具の適正な扱い方も、過去の怪我の具体例を教えながら 危険性を理解させます。工具を人に向けない、自分の手足を置く位置に注意する、他の人の作業をのぞき込まない、使わない工具を放置しない/電源を切る、などの「危険の分散」の基本は、毎日言い続けてもよいのです。

プラスチックなどの合成樹脂を熱処理する時、スプレー塗装する時、薬品を混ぜる時などは、有毒ガスが発生しやすいので、換気が必要です。作業者以外はできるだけ離れているよう見張りを置くだけでなく、作業者にも注意義務を課します。

勘所かんどころは、周囲に脅威きょういを感じさせないことです。異臭や騒音を極力避ける/抑えること、「何をしているの?」とかれた時には 誰もが “にこやかに” 答えられること、は必須です。
海外では、地域コミュニティが地域の安全を担っていることが多く、自警組織まであったりします。強い異臭や爆発音には厳しい目を向けられ、治安警察にまでマークされかねません。

その点、家内やM子(当時は中1)が 近所の皆さんとコミュニケーションをとってくれていることは、とても助かりました。C子(小1)が庭で遊んでいるだけで、近所の人たちも安心して私たちを見ていました。
実は、これも「危険の分散」なのです。「怪我や事故は、いくつかの不運が重なって起こる」のですから、日頃から危険のレベルを下げておく大切さを、子どもにも教えておきましょう。(注 2)

注 2)これが億劫おっくうな先生が、探求学習やICT教育に冷淡なのです。情報通信総合研究所の平井 聡一郎さんの『つべこべ言わず授業でやってみろ!』は私たちの “カンフル剤” です。

探究は小学生には無理? 無駄?

探究学習への風当たりで大きいのが、「子どもに相応ふさわしくない」という誤解です。言い換えれば「子どもは、ものを浪費しやすい」だったり、「(この学年の)教科書の内容を まず覚えるべき」だったりしますが、要は「余計なことをしている」という思い込みです。
「水ロケット」に対しても、「それは何年生の どの教科で習うと、学習指導要領に書いてありますか?」と質問する “エセ教師”(教員免許を持っているだけ)がいますから、保護者の目には、ただの “遊び” にしか見えないかもしれません。

しかし、空気を圧すると熱が出たり反発したりすることを体感したり、風が空気の流れであることを実感したりすることは、学習以前に大事だったりします。それ抜きに 飛行機の揚力や 飛球が回転して曲がる現象などを、適正に理解はできません。
「それは 〇年生で習う内容」というのは 教える側の都合であって、授業で教えたい時には、既に子どもが体験済みであることから類推させることが大半です。実験や観察も  “なんとなく感覚で分かっていることを確認させる” という要素が大きいともいえます。

我が子に「水ロケット」を手作りさせて良かったと思うことに、“ただのゴミ” を “資源・材料” として大事にしだしたことです。飲み終わったら捨てていたペットボトルや紙パック、玩具おもちゃやお菓子の包装ビニール、使わなくなった文房具など、きれいに洗って分類しておけば “部品の山” ・・・・・
口でいくら「循環型社会を実現するために必要な 3つの要素」などと言っても 理解しない子どもでも、“ゴミ” が “貴重な部品” に化ける経験を積めば、「ごみの減量(Reduce)」「再利用(Reuse)」「再資源化(Recycle)」を納得し、行動に移します。(注 3)

確かに 一つのプロジェクトで利用できるものは、ごく一部かもしれません。しかし、(まず親が実践して)きれいに洗って分類してあれば、発展途上国であれば 引き取り手がいくらでもあるのです。けっこうな値段で流通しています。
その点では、日本は世界から大きく遅れをとっているのです(学校では 知識としてしか教えないから)。
これの どこが無理でしょうか? あるいは 無駄でしょうか? あらゆる “学び” の源になる基礎体験をさせないままの実験や観察、あるいは 国語科の読解、社会科の考察などには、子どもは共感も驚きも覚えず、楽しいはずがありません。

注 3)「循環型社会形成推進基本法」(平成12年6月2日法律第110号)で "3R" は明確に位置づけられました。なお、「熱回収(Thermal Recycle/ Energy Recovery)」「適正処分」も定められてます。

揺らぎの幅を許容する心を養う

「それで何が得られるの?」という質問の本音は、「この子の試験の点数/偏差値が上がるの?」ということなのでしょうね。そんな即物的な効果を望むことこそ、“学び” の本質が理解できていません。試験の点数や偏差値は、不確実な未来を生きていくのに 何の役にも立たないからです。
さらに困るのは、世の中に “未来を生きていくための正解” などないのに、 “正解” を求める愚かさです。同じ炊飯器を使っていても、米により気温により水の量を微妙に制御できないと “気に入った美味しいご飯” は炊けません。

「水ロケット」を飛ばす時も、「この向かい風の時は、これくらい水を入れたほうが良かった」とか「この機体だと、安定翼の形はこれが好くない?」とかいったことは、記録を取ったりビデオ撮影をしたりしている家内やM子のほうが、証拠があるだけに 信頼度の高い助言になっていました。
こうした多少の “揺らぎの幅(Allowance)” を楽しみながら、自分たちが “納得できる結果” に至るという姿勢が、未知への挑戦を支え、思わぬ成果にもつながっていきます。最初は全くの偶然かもしれませんが、それが “確信” に変わる時には “感謝” を覚え、幸せを感じられるでしょう。

つまり、面白い「水ロケット」を探究することは一つの目標であって、“学び” の目的ではありません。その探究を通して、ものを大切にし感謝する心や、課題を把握しその構造を把握する力、チームで創意工夫を重ね “深い学び” に至ることなどを体得していってもらいたいのです。
目指すのは、「世界中のどこに行っても、どんな相手とも いっしょにチームを組んで仕事ができ、成果を出せる人間力」という「世界標準の学力観」の実現です。
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もう、お気づきかと思いますが、「水ロケット」と「 」付けしてきた部分を「〇〇紹介ビデオ」や「△△アプリ」などと適宜てきぎ置き換えてもらえば、探究学習に共通した方略も見えてくるかと思います。

保護者は ともすると心配が先に立って、子どもに挑戦をさせたがりません。さらにいえば、(我が子にやらせたくないことに)同級生にも挑戦してほしくありません(出し抜かれたくない)。だから「挑戦しない勇気を」「何かあったら・・・」などと言って、学校や教師を牽制けんせいもします。

ですから、本当の意味の探究学習には、保護者や周囲の理解を取り付ける方略と保護者の了解/許容が、どうしても必要なのです。とりわけ海外において探究学習をやる場合には、配慮すべき点も増えるでしょう。
それでも、子どもといっしょに挑戦する大人/先生の下でこそ、挑戦する子どもも育つのです。頑張りましょう!

※ 2000~4000ccのペットボトルを使った水ロケットの飛行実験の動画です。やや画質が悪いのはご容赦を。(1996年8月撮影@クアラルンプール日本人学校)

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