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子どもの貧困支援で助けられているのは、実は大人。
新年で多くの人の仕事がスタートしている中、
身体の重さを感じています。
年末、年始の食べ過ぎという因果の
結果を否応なしに受け取るのがこの時期・・・笑
無理なく、
少しずつスリム化していきます・・・!
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教育、人間、人生など、様々な「知恵」や「情報」が詰まった図書館のような、皆さんがくつろぎ、人生の「気付き」を得たり、知的好奇心を満たしたりできる居場所を目指しています😌
どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。
共育LIBRARYりょーやん、元教師です。
近年、
国内の中でも格差が開いてきていることが
話題になっています。
家庭における格差があるということは、
すなわち、「子どもの貧困」に
より格差が生じていると言えるかもしれません。
大人になってから、
格差を修正していくことは
なかなかに困難を極める。
だからこそ、
子どもの時から支援をし、
将来の可能性を狭めないようにしたい。
「子どもの貧困」というものは、
そんな貧困問題の入り口とも言え、
大義名分を感じ、
誰しもが関心を示しやすいテーマです。
「子どもの貧困」に注目するからこそ、
社会の色々な側面が見えてくることも
あるでしょう。
今回は、そんな
「子どもの貧困」という切り口から
記事を展開していきます。
何か気付きある記事にできたのならば幸いです。
「子どもの貧困」の現状
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「2022年 国民生活基礎調査の概況」によると、
日本の子どもの貧困率は11.6%とされています。
これは、
17歳以下の約8.7人に1人が
貧困状態にあることを意味する。
2006年は14.2%であり、
2012年は16.3%となっています。
比べると減少しているように見えますが、
成人の定義も変わりましたし、
むしろ格差の大きさは広がっているかもなので
一概に「減ってよかった」と
言える状況ではないかもしれません。
そして、日本の「貧困」は
あくまで相対的な貧困です。
趣味に使えるお金がないわけではないが、
まとまった進学費用は用意できないという
レベルも含みます。
年間所得が、
単身者で約122万円、
2人世帯で約173万円、
3人世帯で約211万円、
4人世帯で約244万円までは
相対的貧困とされています。
これは、
2012年の基準なので、
物価が上がっている現在では
もっと広くの範囲を含むことになっているでしょう。
ある貧困家庭出身の大学生が、
「自分には努力をするエンジンが備わっていない」
とシンポジウムで
スピーチをしたことがあります。
幼い頃から、
「〇〇は諦めなさい」
「うちではできないの。ごめんね」
といった言葉を聞かされ続けた場合は、
自然と自らの選択肢を
狭く考えてしまう思考が染みついていきます。
お金を必要とする
大きな決断を踏み切ることができなくなってしまう。
だからこそ、
子どもの貧困を改善していくことは
子どもたちの可能性を広げることに
つながっていきます。
『モモ』の世界が現実に!?
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子どもたちの貧困という問題の背景には、
「居場所の消失」という現象が
密接に関係しています。
昔は、
家庭によって経済的な差があれど、
皆に平等に色々な楽しみを提供しようとする
地域の大人たちが存在していた。
そういった
居場所がなくなってきている。
それはすなわち、
大人たちのゆとりのなさを表していると
言えるかもしれません。
ミヒャエル・エンデの
『モモ』という小説をご存知でしょうか。
この物語の中で、
人々は自身の生活の効率化を進めます。
それは、
「ゆとり」を生み出すため。
しかし、
効率化をいくら進めてもゆとりは生まれず、
ますます忙しくなっていく。
そんな
効率化を追い求める人間の心理を
「時間どろぼう団」と
この話では表現しています。
効率化によって
時間を生み出したはずが、
余暇の時間さえ
少しの無駄なく使わなければと
思うようになります。
できるだけたくさんの娯楽を
詰め込むようになる。
ゆとりをもって、
ゆったりと趣味をやるような
時間を求めていたはずが、
趣味や遊びのやり方すら、
どこで効率的に学べるかを考えるようになる。
現代の私たちの暮らしも、
そんな「暇がない」状態で
効率化を求める状態になっていないでしょうか。
しかし、
世間ではそれは仕方がないこととされます。
なぜ仕方がないか。
それは経済成長のためだから。
効率化しないと成長できないから。
そんな『モモ』の物語の中で、
時間どろぼう団にとっての
天敵が存在します。
それが、子どもです。
子どもというのは、
われわれの天敵だ。
子どもさえいなければ、
人間どもはとうに
われわれの手中に完全に落ちているはずだ。
子どもに時間を節約させるのは、
ほかの人間の場合よりはるかにむずかしい。
だからわれわれの
もっともきびしい掟のひとつに、
子どもに手を出すのは最後にせよ、
というのがきめられているのだ。
そして、
物語の中で子どもたちは
大人たちに警告をします。
「時間の節約?でも誰のために?」
と。
現代の世の中は、
まさしく『モモ』の世界を
体現し始めているのかもしれません。
居場所を提供する子ども食堂
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もはや地域の居場所を保てなくなっている今、
意図的に居場所をつくる取り組みをしなければ、
子どもたちの居場所や、
大人たちのゆとりはどんどん失われていきます。
そんな意図的な居場所として
全国的に広がりを見せているのが
子ども食堂。
子ども食堂というのは、
「貧困家庭の子どもたちを集めて食事を提供するところ」
と捉えている人が多くいるイメージがあります。
しかし、
そもそもの出発点は
そうではありません。
こども食堂を全国で初めてつくり、
土台を築いた創設者は、
子ども食堂の定義を
如何のように述べています。
子ども食堂とは、
子どもが一人でも安心して来られる
無料または定額の食堂。
「子ども」に、
貧困家庭という条件はついていませんし、
「子どもだけ」とも
言っていません。
むしろ、
大人もどんどん来てもらって、
多世代交流型の
地域をつなげる居場所となることが
主たる目的であると言っています。
若者も、お年寄りも、
仕事で疲れてしまった大人たちも
ふらっと立ち寄る食堂。
そして、
子どもたちと交流をし、
たくさんの大人たちで
子どもたちを見守る居場所とする。
しかし、
こども食堂が広がりをみせ、
地方自治体が補助を出すようになり、
世間の風当たりが
厳しくなってきていますし、
定義や本来の目的が
ごちゃまぜになっています。
現在は、
多世代交流型である「共生食堂タイプ」と、
貧困家庭の子を対象に、
課題発見と対応に軸足を置く
「ケア付き食堂タイプ」に
分かれているようです。
後者のタイプでは、
「裏メニュー」として、
カウンセラーや福祉施設につなげるパイプを
もっていることになります。
表だって福祉施設と分かるようにしていると
なかなか入りづらい子どもも、
食堂であれば入りやすい。
そこから、
本当に困っている子どもを見つけ、
適切な支援につなげていくという考え方です。
これらのタイプはどちらも大事で、
それぞれのコンセプトを尊重すべきもの。
「子ども食堂」と聞いただけで、
貧困家庭の子どもの為の食堂と勘違いし、
あらゆる子どもや大人が来ていることに
文句を言うといった行動は
差し支えたいものです。
我々は子どもに助けられている
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子ども食堂のような話をきくと、
「大人が子どもたちを助けている」
と捉えがちですが、
実は違います。
大人が子どもたちに
助けられているのです。
なぜなら、
現代の大人たちは
自分たちの生活のことで一杯いっぱいで、
効率化を求め続け、
隣人や地域をつながる術を
なくしてしまっているからです。
そんな
「忙しい」大人たちを何とかつなげて、
大人たちの居場所をつくっていくためには、
「忙しい」大人たちを
動かさざるを得ないほどの
大きなテーマが必要です。
それが、
「子どもたちが抱える課題」
なのです。
もはや、
そういった「子どもの問題」という
大義名分がなければ、
大人たちはつながりをつくることが
できなくなってしまった。
『モモ』の物語にあったように、
時間を効率化する「時間どろぼう団」の
最大の敵は子どもなのです。
つまり、
子どもという存在がいなくては、
我々は人間らしい生活を
もっと失っていくのかもしれない。
相互扶助の関係性のように、
子どもを助けようとする大人たちも
子どもに助けられているのです。
まとめ
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資本主義である以上、
多少の差異は生まれます。
差異は多様性の象徴でもあるので、
多様性を認める社会であるとも言えます。
ただ、
その差異が「ある程度」のレベルを超えると、
害悪とも呼べる影響を生み始める。
そんな中で生まれている
「子どもの貧困」という課題は、
大人たちのつながりを取り戻すための
数少ないとっかかりの1つ。
子どもだけでなく、
孤独な大人も増え、
社会全体から居場所が失われている現在。
「困っている人」の存在によって、
実はそうではない人が助けられているという
相互扶助の精神をもって、
今一度つながりをつくっていきたいですね。
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