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集合的無意識とは?

今週のジャンプでは、
尾田栄一郎さんが急遽お休みされていました。

最近は特に
体調不良である話を耳にします。

きっと働き過ぎた負荷が
蓄積していたのでしょう。

ファンに応えるのも大事ですが、
自分自身を同じぐらい大事にしてあげてほしいです。


共育LIBRARYへようこそおいでくださいました✨

教育、人間、人生など、様々な「知恵」や「情報」が詰まった図書館のような、皆さんがくつろぎ、人生の「気付き」を得たり、知的好奇心を満たしたりできる居場所を目指しています😌

どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。

共育LIBRARYりょーやん、元教師です。


人間の生活様式や
気質というものは時代と共に変わりゆくもの。

しかし、
どれだけ時代が変わろうとも、

「昔の人も我々と同じようなことで悩んでいたのだなぁ」

というものは見つかります。

さらに遡ってみれば、
古代の神話において描かれる神々は、

実に、
現代の人間も悩んでいるような
人間らしい諍いや争いを起こしている。

そして、
どのような古代の民族を遡っても、
必ず「神様」のような存在がおり、

それが壁画や祭壇の遺跡といった形で
残されているものです。

どうやら、人間には、
時代にも左右されず、
国籍や人種にも左右されない

「人間である上での普遍的な意識」

のようなものが存在するようです。

今回はそのような、
「集合的無意識」と呼ばれるテーマをもとに
記事を書いていきます。

楽しんでいただけると幸いです。



神話から読み解く人間の普遍性

世界中の数々の神話の中でも、
非常に人間の性をありのままに表現しているのは
ギリシャ神話だと言えるでしょう。

ギリシャ神話に、
エディプスという人物がいます。

エディプスは、
それとは知らずに父親を殺めてしまい、
母親と結婚をしてしまう。
そんな象徴として描かれています。

この恐ろしい事実を知った時に、
エディプスは自分自身を呪います。

そして、
心理学の中には、
エディプス・コンプレックスと呼ばれる
人間の発達で訪れる段階を示しているものがある。

3~4歳頃になると、
自分の性について自覚するようになり、

男の子なら母親、
女の子なら父親に性愛感情を抱くようになります。

そうなると、
同性の親は、ライバルでありながら、
愛してもいる存在となる。

しかし、
6歳頃になるまでに、
同性の親をライバル視する性を抑圧し、
同性の親と同一化することによって、

自分の性の役割を獲得したり、
道徳観といったものを習得していくのです。

この段階をきちんと解消していないと、
思春期になるまでは
聞き分けのよい「いい子」であったのが、
突然親に暴力をふるうようになったりします。

他にも、
兄弟間の強い敵対意識は、
カイン・コンプレックスと呼ばれます。

カインは旧約聖書い出てくる、
弟を出し抜いて殺めてしまった人物。

このカイン・コンプレックスがある人は、
同僚が自分を出し抜くのではないかと考え、

自分自身も無意識に
他人を出し抜きたいと思っている願望を
他者に映し出してしまうのです。

このようなエピソードからも、
人間の性というものを
古代の人が鋭く見抜いていたことと、

それが世界で共通するものであることが
見て取れると思います。


集合的無意識

人間には意識と無意識があります。

個人の無意識を
「個人的無意識」と言いますが、

神話のように、
人間に普遍的にみられる無意識のことを

「集合的無意識」

と呼びます。

集合的無意識には、
幾つかの典型的な
アーキタイプと呼ばれる「型」が存在する。

例えば、
以下のような「型」です。

▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢

■ ペルソナ
■ シャドウ
■ グレートマザー
■ 老賢者
■ アニマ
■ アニマス

▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢

結構、ゲームなんかにも使われるので、
知っている方もいるかもしれませんね。

ペルソナというものは、
「仮面」のことです。

家庭での顔と、
社会的な場面でみせる自分は
皆多少なりとも違いがあるもの。

外の世界に出る時は、
「仮面」を被り、
求められる役割を演じて
いるのです。

シャドウは、
抑え込むことによって生じる「影」の部分です。

グレートマザーは「母性」のこと。
受容し包み込んでくれる気質と共に、
囲い込んで逃がさないようにするという
相反する性質をもっています。

老賢者は「父性」
合理的で客観性をもつ知性をもつと共に、
権威的で威圧的な相反する性質をもっています。

アニマ、アニマスは、
男性の中にある女性性、
女性の中にある男性性
です。

この中で、
例えばシャドウをピックアップしてみます。

人間というものは、
様々な気質、性格をもっており、
全てのそれを味わえるわけではありません。

真面目に生きてきた人は、
「本当はもっと自由に生きたい」という思いを
押し込めて生きてきたかもしれない。

そういった抑圧したシャドウをもっていると、
自由に生きている人を見かけた時に、

嫉妬心や、
無意識に閉じ込めていた自分の激しい感情が、
刺激されたりするのです。

だからこそ、
「自分が何に怒りを感じるのか」
十分に把握しているということは、
自己理解するためには非常に大切。

さらに、
「シャドウの肩代わり」という現象も生じます。

親が世間体を気にして真面目すぎることで、
ペルソナが強くなりすぎてしまい、
家庭内でもペルソナを外せなくなってしまう場合があります。

すると、
仮面と皮膚が完全に同化してしまうことが生じ得るのです。

そうなると、
親は全く「影」がない人生となる。

しかし、無意識内では、
「影」を無理に押し込め続けることにより、

今度はその子どもが、
全ての影を背負うことになって、
悪行を重ねまくるような状態が生じることになる。

だからこそ、
ペルソナとシャドウのバランスを取り、
ほどよくシャドウを消化していくことが
大切だと言えるでしょう。

他にも、
気の強い父性的な女性には、
包み込むタイプの母性的な男性がパートナーになったり、

父親が母性的に子どもに接し、
ついつい甘やかしてしまう場合は、
母親が厳しく接して父性の部分を表出したりと、

アニマ、アニマスのバランスというものも、
常に一定に保たれているのが健全だと言えそうです。


ある統合失調症患者の告白

昨今は、
精神疾患と呼ばれる症状をもつ人が
SNS等でカミングアウトをしやすい環境になりました。

その中で、
ある統合失調症が寛解した人物が

自分の体験を、
非常に豊かな語彙で分かりやすく説明していた
面白い動画がありました。

その人物の統合失調症の発症のきっかけは、
職場内での昼寝であったそうです。

昼寝をして目を閉じていると、
周囲と自分の空間が同化したような
自分が周囲に広がっていくような感覚を覚えます。

やがて、それが、
以下の条件の時に発動することに気が付きました。

空腹であること。
ひどく疲労していること。
完全に寝ているわけではなく
ちょっと休みたいという微妙な状態であること。

段々と自分が広がっていくというコツを掴み始め、
どこまでも広がりたいという気持ちに
身を委ねるようになっていったそうです。

目を開くと、
目でも肉体でもなく、
広がった自分そのものが周囲をみている感覚に。

その内、
草や木、ベンチ、土など、
あらゆるものに同化していく体験を覚え、
連鎖的に全てのものが結びついていく状態になります。

全てのものが自分でありながら自分ではない。
それらも実は全てが同じであり同じではない。

やがてその広がりは、
さらに上空へ、宇宙へと広がっていく・・・

そして、
一定のラインを越えるところまで行くと、
突然物凄い恐怖心に襲われます。

急いで引き返すことはできたのですが、
それ以来、強迫観念を覚えるようになったそうです。

それが、
統合失調症に発展していきます。

そんな語りを読んだ視聴者からは、

「案外ブッダとかも、こういうやつだったのかもしれないね」

というコメントが寄せられていました。

この体験を聞いて、
筆者が何とも言えない感覚を覚えました。

というのは、
この人の描写が、
ある脳科学者の体験とほとんど一致していたからです。


脳卒中を体験した脳科学者

『奇跡の脳』という本を書いた、
ジル・ボルト・テイラーという脳科学者がいます。

この本には、
激しい脳出血から完全に立ち直った
神経解剖学者による、
世界初めての記録が残されています。

彼女がダメージを受けたのは、
左脳です。

左脳は、
恐怖やリスクといったものを司る
人間の制御機能のような部分があります。

その左脳が機能しなくなり、
完全に恐怖や制御から解放された
不思議な右脳だけの世界

脳卒中の最中に、
彼女は体験したのです。

その時の彼女の体験を文字に起こした描写が、
先に紹介した
統合失調症を発症した人の表現と酷似しています。

このからだは、
わたしという名のエネルギーが
三次元の外部の空間に
広がってゆく扉なのです。

高度な認知機能と過去の人生から
切り離されたことによって、
意識は悟りの感覚、
あるいは宇宙と融合して
「ひとつになる」ところまで
高まっていきました。

左脳的な支配から
解放された右脳の世界が、

統合失調症の患者の世界や
仏教徒の悟りの世界などと
ほとんど一致しているという事実。

脳には、
まだまだ人間が解明し切れない
「集合的無意識」
限りなく詰まっているのかもしれませんね。


まとめ

現在はまだ、
科学が主流となっている時代です。

だからこそ、
科学の理では解明できないことを
異端視する傾向があります。

そんな「科学」という基準から外れたものを
「異常」と認定し、

その一部に「精神疾患」という
病名を付けているのかもしれません。

しかし、
時代を遡ってみれば、
現代の精神疾患という状態の人は昔から存在し、
社会的にも重要な役割を担ってきていました。

そういった性質をもつ人間は、
実は人間という集団においては不可欠の存在で、

現代は、社会自体が歪んでしまったから、
「精神疾患」と認定されているだけなのかもしれません。

曇りなき視点で、
これからも本質を見極めていきたいです。


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