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現代人は「心の学び」が退化している?

貴重な3連休の時間!

一方で、
根詰めすぎてももたなくなるので、
「余白」を残す。

緩急をつけて、
やるべきことをやっていきます。


共育LIBRARYへようこそおいでくださいました✨

教育、人間、人生など、様々な「知恵」や「情報」が詰まった図書館のような、皆さんがくつろぎ、人生の「気付き」を得たり、知的好奇心を満たしたりできる居場所を目指しています😌

どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。

共育LIBRARYりょーやん、元教師です。


「令和は心の時代である」

それを肌で感じる時代になりました。

飢えの時代を満たし、
物欲の時代が終焉を告げ始め、
「心」「承認」に注目が集まる時代になっています。

しかし、最近、
ふと思うことがあります。

「時代と共に人類は進化してきたのだが、心や人生の生き方に関しては進化してきているのだろうか」

場合によっては、
昔の人の方が「心の在り方」
よく知っていたのかもしれない。

「生きる目的は何か」

と彷徨うことなく、
心が満ちる生活が何かを
無意識に知っていたのかもしれない。

今回は、そんな視点から
記事を書いていけたらと思います。

楽しんでいただけると幸いです。



「心の学び」が退化している?

心理学を勉強していると、
日本に心理学の知見を広めて
大きく貢献した人物の1人である、
河合隼雄氏を通過せざるを得なくなります。

そんな河合氏は、
難しい技法や理論は一切交えずに、
「こころの処方箋」という、

誰にとっても読みやすい、
心のふとした動きや現象を綴ってくれています。

以前にnoterの枝瀬さんも
紹介してくれていました。

この内容が、
非常に納得できるものであり、
本質をついているものだと感じられます。

発行されたのは、平成10年。

1991年という、
今から30年以上も前の内容になります。

それなのに、
今尚「なるほど・・・」と唸ってしまうような
新たな知恵を与えてくれるような内容になっている。

ひょっとして、
現代人は「心の学び」退化している?
(筆者だけかも。笑)

そんな視点を交えて、
幾つかの印象的な考えを紹介し、

それに筆者の所感を付け加えていこうと思います。

厳選して、
3つに絞らせていただきますね。


心配も苦しみも楽しみのうち

人間というものは不思議なもので、
心配や苦しみがあると
全力でそれから逃れようとします。

それから逃れたと思ったのも束の間、
また、新たな心配や苦しみを抱えることになります。

もし、心配も苦しみも何もない人生だったら
どうなるのでしょうか。

生きていることに満足し、

「もう十分味わった」

と、早くして
人生の幕を閉じようとするかもしれません。

ヤーキーズ・ダッドソンの法則という
ストレスが低すぎても高すぎても
学習効果は上がらなくなるという結果もあります。

河合氏は、

「文句を言っているうちが華」

と言っています。

孫の受験のことが
心配でたまらない様子の祖母がいたそうです。

その孫が受験で落ちてしまい
浪人をすることになりました。

すると、祖母があまりにも
気落ちしてしまったため、
祖母に心配をかけないようにと、
祖母に受験の細々したことは伝えないようにしたそうです。

その頃から祖母が「ボケ」始めたようで、
様々な被害妄想のようなことなことを
言うようになり始めました。

家族で色々と話し合った結果、

祖母から孫の受験に関する
「心配」を取り上げてしまったので、
急に疎外感を感じたのではないかという話になりました。

そこで、
思い切って孫の受験のことを
いろいろと話してみると
祖母の「ボケ」は収まってしまったようです。

何歳になっても事業を運営している人は
認知症になりづらい印象があります。

それは常に、心配や解決すべき課題が
次から次へと発生してきて、
「張り」があるからではないでしょうか。

仕事が非常にうまくいっている人は、
家庭ではうまくいっていないことが多いと言います。

逆に、家庭で奥さんに叱られまくっている人は、
仕事場では伸び伸び楽しく過ごしているとも聞きます。

心配、苦しみ、文句などによって、
人間は安定を保っていることが
多いのではないでしょうか。


心の勝負は51対49

河合氏が多くの患者をみてきた実感として、
人間の心の動きは
51対49のときが多いことが挙げられるそうです。

どういうことか。

例えば、患者の中に、
教師や保護者などから
無理やりに連れてこられた高校生などがいたとします。

その子は会うや否や

「お前なんかに話をするものか」

と、椅子を後ろに向け、
背を向けて座ったりする。

そんな時に河合氏は、

「これはやりやすい子が来た」

と思うそうです。

そこで、

「これはこれは、僕とは話す気がないらしいね」

などと言うと、

「当たり前やないか、こんなことしやがって。うちの親父はけしからん・・・」

などと、心の内をちゃんと吐露し、
対話がはずんでいくそうです。

つまり、
本当の本当に嫌ならば、
暴れ回るなり、
大人を振り切って逃げるなりして
心理療法の場には連れてこられないはずなのです。

カウンセラーのところなど行くものかと
思っている反面、

ひょっとして
自分の苦しみを分かってくれるかもしれない

と思うからこそ、

嫌がりながらも、
助かりたいという気持ちが共存し、
その場に赴いていることになる。

よって、
ちょっとの相手が心を動かす作用があれば、
一気に気持ちが逆転することがあるということ。

逆もまた然りで、
一見やる気があるように見えても、
それがたまたま51の部分であり、

ちょっとしたことで、
49の部分が逆転することがあり得るということ。

子どもの心などはまさしくそうで、

「体育なんて苦手だから嫌なんだ」

と口で散々言っていたとしても、
いざ体育の授業で面白さや
ちょっとした技が出来たりすると、
一気に体育に関してうんぬん言わなくなったりします。

いやだと言いながら、心の中では、
自分も体育を楽しみたい気持ちが
49存在しているのでしょう。

なので、
体育や算数、図工、英語など、
できるできないがはっきりする教科は、

つべこべ言わずに、
まずできる状態にさせてしまうのが、
最も早い学習を好きにさせる方法であると
筆者は実感しています。

もちろん、無理やりにではなく。
考え抜いた指導法と訓練が必要ですが。

前年度まで
20点、30点しか算数で取れなかった子が、
いきなり80点、90点取るようになると、
途端に態度が変わったりするのです。

これは大人の世界も同じで、一見、

「え~遠慮します」

と言っている人も、
51がギリギリ勝って遠慮しているかもしれない。

「疲れてないですよ!」

なんて言っている人も、
49は疲れている状態で、
ギリギリそう言えているのかもしれない。

言葉通り受け取らず、
その裏のグラデーションを推し量ることは、
全ての人間の心の作用に
応用可能なのではないかと思えます。


ものごとは努力によって解決しない

令和の現在は、
努力するという行為も、
実は先天的に備わっていたり、
幼少期にある程度決まる素因が多いことが分かってきています。

そのせいか、

「努力」

という言葉が、
使われることが減ってきました。

日本の場合は、

「努力しなさい」

が、時として、

「我慢してやりなさい」

に変換されてしまったりするので、
コンプラの問題や、
メンタルの問題に派生するからもあると思います。

さて、そんな努力についての考え方が
変化している令和ですが、

それでも、

「努力をしていることは、つまり逃げているということである」

と言われたら、

「え?どういうこと?」

となるのではないでしょうか。

河合氏は、

「ものごとは努力によって解決しない」

という考え方を好んでいるようです。

河合氏の経験上、

「子どもの為に努力をした」

というクライアントがいた場合、
解決するはずのない努力をし続けることによって、
何かの免罪符にしているのではないかと
感じることがあるそうです。

「何の努力もしないで、ただそこにいる」

ということが恐ろしいばかりに、
努力の中に逃げ込んでいるのではないか、と。

これは、非常に耳が痛い話でもあります。

筆者は、
教員をやっていた頃、
何か解決できない問題があれば、

「解決策を模索し、努力することによって事態は好転していく」

ということを信じ、
様々な策を次々に打っていました。

結果として、
できないことができるようになったり、
成長したりする子どももいたことは確かですが、

それはすなわち、

「成長すれば認められる」

というメッセージを
子どもに発していたことに
なり兼ねないかもしれないのです。

何の成長もしなくても、
努力もしなくても、
ありのままでただそこにいることが幸せである
ということを示すには、

教師が時には、
努力しないという選択をすることも
大事なのではなかったかと思うのです。

きっと筆者は、
努力をしないことによって、

「自分ができる限りのことをやらなかった」

という思いを味わうことが嫌で、
努力をしていた部分があったのでしょう。

それは、
「努力しない努力」
をしていなかったとも言える。

河合氏はこう言っています。

解決などというのは、しょせん、
あちらから来るものだから、
そんなことを「目標」にせずに、
せいぜい努力でもさせて頂くというのが
いいようである。


まとめ

現代は、
困ったことや分からないことがあれば、
すぐに調べて何とかしようとします。

心配や不安を
すぐに除去する
のがスタンダードなので、
逆に解決が困難な人間関係などの問題で、
大ダメージを受けると言えるかもしれません。

昔の人は、
調べてもすぐに分からないことが多い中、
自身で粘り強く考えて、
心を錬磨したり、
柔軟性を身に付けたりしていたのかもしれない。

河合氏は、

家庭や地域内で
自然と伝わってきた「常識」は、
伝える機会が減少してきたことにより、
とうとう「常識」までも本にして売る時代になってしまった。

と、自分の本について述べています。

そこから30年経った今。
昔の知恵とも呼べる「常識」は
なくなりつつあります。

現在こそ、
かつての時代をたくましく生きた方々から、
「常識」を学ぶ時代なのかもしれませんね。


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より教育についての知見が深めることができる
図書館でありたいと思います。

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皆さんの今日・明日がよき1日でありますように😊


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共育LIBRARYりょーやん元教師



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