【小説】退屈な寝室隔離の縷縷綿綿
0日目
毎週水曜日の午後に、事業部に所属する正社員だけでなく、契約社員や派遣社員も含めて全員が参加する定例のオンライン会議がある。時間が余るとランダムに二、三人のグループに分かれて、テーマを持ってディスカッションするというのは羊頭狗肉であり、部員同士互いを知るための雑談だ。
その日の会議では、私のパソコン上のZoom画面にアップで映る事業部長が、ほぼ一方的に周知事項を共有し終えたところで、まだ会議終了の時間まで十分程度余っていた。
「今期も大体折り返しが近づいてきて、仕事の色々なことに疲れてきたり、ストレスが溜まってきている頃合いかもしれません。そこで『これをしたら発散する』ということをテーマに少し話してみてください」
事業部長がそう言うと、画面はブレイクアウトルーム(参加者を複数のグループに分けて議論させるZoomの一機能)に切り替わる。
ブレイクアウトルームのメンバーは、課の違う畑上さんと派遣社員の鷹梁さんだった。毎回のことだが、事業部長は本当にランダムにブレイクアウトルームを作っているのだなと思った。
「やあやあ」
「どうもどうも」
適当に挨拶する。
「じゃあ、話始めますか」
畑下さんがテーマについて口火を開く。
「私は推し活ですよ!」
畑下さんは目を爛々と輝かせる。
二十代のみならず私より年上の女性も推し活ブームは席巻しており、推し活ブームもここに極まっている。
このブームに乗じて、中年の男の私が「ボクも推し活!」と言って、「韓国アイドルグループのショート動画が出てきて、ひょんなことで見始めたらなかなか止まらなくてね、全員が個性あってねえ。ああ、かわいい。知っている人は?実はメンバーの何々が……」などと早口で捲し立てようものなら、あらゆる醜態ですり減らし続けた己が沽券が木っ端微塵に砕けてしまうだろう。
「推し活いいね。応援するものがあって。グループ名は知らないけど、韓国のグループだよね。畑下さんはそれで発散できるのだね」
「そちらだって浦和レッズがあるじゃないですか?」
「浦和レッズで発散できないわな。むしろ無様な試合で負けると日常では味わうことのない大いにストレスが溜まり、絶望の週明けを迎える。そしてその回数がやたらと多い」
私にとって浦和レッズとは断固として好きとか、応援する対象という言葉では言い表せない。殺伐とした緊張感と爆発する興奮、己が魂の喜び、怒り、悲しみ、叫びであり、それを「推し」という流行りの言葉で置き換わるものでは到底ない。
「へえ、じゃあ何ですかね」
「仕事を忘れることかな。普通の土日とか祝日だけだと仕事のことが結局忘れられず、Slackやメールを見てしまったらズルズル気にかけたりしてしまうけど、三日以上休みが続くと大分忘れてきて、四日以上となるとSlackやメールの存在もすっかり忘れて、いよいよ己がサラリーマンであることすら忘れて、仕事の存在すらも頭の中から消えてしまう。だから四連休以上あれば発散できる」
「でも、六月だからしばらく四連休以上はないですよ。夏休みは遠いです」
「ああ、まだ六月なんだよなあ」
話している時に、何となく喉が痛いなと思った。水を口に含んだ。
その日はよく晴れており、雨のせいで一昨日、昨日と二日連続で駆り出された塾やらプールの習い事やらでの車の送迎をする必要もないため、仕事を終えると、冷凍庫にオリオンビールの缶とビールグラスを突っ込み、近くの酒屋に地酒を買いに行き、戻るとシャワーを浴びて、キンキンに冷えたビールを冷たいビールグラスに注ぎ、一気に飲んだ。
爽快感はあるものの、喉に引っかかりを認める。地酒を飲むと、その酔い方にいささかの違和感を覚えた。
一日目
夜はダラダラ飲み、ダラダラ過ごした。十一時過ぎにベッドに入るも、いささか寝つきが悪く、扇風機や冷房をつけたり消したりしながら、十二時過ぎたくらいに寝たのだろうか。
目覚めると一時過ぎだった。トイレで小用を済ませ、すぐに寝て、目覚めると二時半。地酒の後に今日飲み干さねばと赤ワインも飲んだのが悪かったのか、二日酔いの始まりなのか。喉の痛みとともに身体も異様にだるい。
寝たら良くなる、良くなると再び寝て、目覚めると三時半だった。喉の痛み、身体もだるく、熱っぽい。
体温計が枕元にあったので熱を測ると、三十八度だった。
昨夜も今夜も自分の隣で寝ている次男が寝ぼけながら扇風機をつけたのだろうか。扇風機が回っていて、私の身体にも扇風機の風が当たっていた。それが原因で夏風邪をひいてしまったのだろう。夏風邪は馬鹿がひくと言うが、私は馬鹿だった。夏風邪納得。受け入れたい。
そういえば、EURO2024の試合結果はどうなっているんだろうと、スマホを少し見て、寝る。
四時半に再び目を覚ます。体温計で測ると相変わらず三十八度だった。体は熱っぽいのに寒気もする。咳き込む。これはいかんと、薬のある二階のリビングへフラフラと行き、ロキソニンを飲んで、また寝た。
寝ているうちにロキソニンはよく効いたようで、七時に目覚めると身体は幾分楽になっており、体温も三十七度まで下がっていた。
ただ単に薬が効いているだけだしなあと、EURO2024の二試合のハイライト動画を見ながら、「今日は仕事を休んでしまうかしら。どうしましょうかしら」と悩んだ。
出なければいけないと思っている会議もあるし、やらなければいけない仕事もあるからなあ。
しかし、本当に私が出なければいけない会議が存在するのか、私がやらなければいけない仕事が存在するのか。そんな存在は己が自意識の作り出す幻想物なのではないか。もしそのような存在があるとしても、図らずも事業部長の掲げた事業部目標の一つの柱は「属人化の解消」であることから、打倒すべきものなのだ。今日私が堂々と仕事を休むことこそが事業部目標達成に向けた貢献なのだと強く思った。
「今、私は事業部目標の人身御供たらしめんなのだ」
私はロキソニンのよく効いた冴え渡った頭で結論に達した。そしてハイライト動画を見終わると、そのままSlackを開き、部署のチャンネルに投稿し、参加すべきだった会議の主催者である佐渡田さんに今日は休む旨をダイレクトメッセージで送った。
ベッドから起き上がり、二階のリビングへ行き、ことさら体調が悪い感じの雰囲気を醸し出し、ことさら低い声で妻に言った。
「三十八度も出た。喉が痛い。今日は仕事を休んで、病院へ行く」
九時過ぎに徒歩十分ちょっとのところにある内科医へ歩いて行く。少しボーとして、フラつく。歩行速度が遅いのか、思ったよりも時間が掛かる。
診察で受付する。
「発熱した方は待合室では待てないんですよ。個室があるんですけど、今埋まっていましてね。エレベーターホールで待っていてもらえますか」
待合室の診察を待つ患者が座る快適なソファーが透明ガラスの自動ドアの向こう側に見える、二畳程度の広さしかなく、外気の吹き込むエレベーターホールにある硬い簡素な丸椅子で待てというのである。
私は思った。
「コロナでもないのに」
自信があった。この数日、電車に乗っておらず、会社にもいかず、居酒屋に飲みに行ったりと、有象無象の他人と接する機会は一度もなかった。
一時間くらい退屈しながら待つと、ようやく空いた個室に入り、その十分後くらいに診察に呼ばれた。
症状を話し、「まあ、今はロキソニンを飲んでいるので熱はあまりないんですけどね」との言い訳も言うと、医者は言った。
「念のため、抗原検査しましょうか」
個室に戻って五分ほど待ち、防護の青いビニール服と手袋をつけた看護師に検査棒を鼻の奥に突っ込まれ、コチョコチョされる。
「それじゃあ、結果は十分くらいで出ますからね。結果出たら呼びますからね」
五分も経たずに呼ばれて、診察室に行く。
「ほら、これ見てください。ばっちり出ています。コロナです」
「ええ!そんな!」
ニ◯ニ◯年から燎原の火のごとき全世界を広がってパンデミックとなった新型コロナウイルス。五回もワクチン接種しているのに、三度目の罹患である。
困ったことになった。
最悪なタイミングだということは、いくら愚かしく責任感の欠如している私であっても分かるのである。
己の仕事のことではない。
中学生の長男の期末テストが翌週なのであった。このタイミングで妻に「コロナになった」と報告しようものなら……。私は恐怖に慄いた。
「今は五種になったから強制というわけではないのですが、家族もいらっしゃるようなので一応今でも五日間は別室で過ごす方がいいですからね」
個室で会計を済ませ、処方箋をもらうと、覚悟を決めて仕事に出かけていた妻にLINEをした。
一度帰宅した。病院に行く前に回していた洗濯物を干すためである。ロキソニンが効いており、意外と元気である。今日はもう休暇を取ってしまったおかげかもしれないのだ。それなのに仕事をするとあっという間に体調が悪くなると知っているので、一切気にしない。
颯爽と自転車に飛び乗り、丘の下にあるドラッグストアへ下り坂を走り抜ける。坂から見る空はどこまでも広く梅雨の季節とは思えぬほど突き抜けた青であった。
家族の処方箋(花粉症)も一緒に持って行ったせいだろうか、冴えなさそうな若い男の薬剤師といささかコミュニケーションが噛み合わない。提出した家族の保険証をすぐに返されたと思いきや、その五分後に聞かれる。「保険証ありますか?」
「さっき返したもらったのですが」とマスク越しに言うと、「いや、そうじゃなくて」と言う。
どうやら私の保険証を探しているようだった。私の保険証はすでに渡してあるお薬手帳に挟まっている。
二十分ほど待って、大量の薬をもらい会計すると、三日間有効のドラッグストアの五パーセントオフのクーポン券をくれる。
私はコロナなのだから、ポカリスウェットを買い、そしてフランス人が風邪をひいた時にそうするように、コカ・コーラを買う。七百五十ミリリットルペットボトルのものだ。アイスも買い、ついでに切らしていたワイドハイターや髭剃り用のジェルなど日用消耗品を買う。
丘の上にある家に戻る登り坂。立ち漕ぎする私の目は下を向き、舗装の灰色が見える。家に帰り、薬や買ってきた物を確かめていると、ふいに怒り心頭に発した。保険証を返してもらい忘れたのだ。己が不甲斐なさは愛嬌であり、その怒りの全ては若い薬剤師に向くのである。コロナ患者を振り回すな。
再び自転車に乗り坂道を走り下り、ドラッグストアへ行くと、若い薬剤師がいた。
「ああ、今電話しようとしていたのですよ」と軽やかに言う。私は病人であろうと紳士の風体を崩すことなく、「預かってくれてありがとうございます」と言った。再びの登り坂はつらい。
妻が仕事から帰ってくる前、子供たちが学校から帰ってくる前。保菌者たる私は家族との一切の接触を断ち、隔離生活に入らなければならない。
妻が用意してくれていた昼食のたらこスパゲティを啜りながら、地元で最高級ホテルでの五泊六日の宿泊料を戯れに調べたのちに、隔離場所は我が家の寝室しかないなと思う。
私のいびきによって何年もないに寝室から遁逃した妻のベッドに普段寝ているのは長男であり、私と長男のベッドの足元に次男用のベッドがある。
とりあえず息子二人のベッドマットをそれぞれの子供部屋へ運ぶ。それぞれのベッドにシーツと毛布と枕をセットし、換気して、子供部屋の準備は完了する。
二階の家族全員が歯磨きをしたり、私はコンタクトレンズを着脱する際に使用する主要の洗面台から、私の歯ブラシと液体歯磨き、コンタクト洗浄セット、メガネを、一階の非主要の洗面台に運ぶ。
書斎から寝室にMASTERキートンを運び、寝室の入り口に空気清浄機をセットすると、隔離生活の始動である。
まず我がベッドに寝転ぶ。
次に手元に水がなく薬がないので、隔離を一時中断してして二階へ行き、水と薬を持って、今度こそはの隔離生活の始まりである。
ベッドの上でゴロゴロしているうちにいつのまにか寝る。夕方に起きると三十八度に熱が戻っていた。ロキソニンの効果が切れているようだった。頭がボーとする。新しく処方されたロキソニンを飲む。
学校から帰ってきた子供が塾や習い事に行き、仕事からとうに帰ってきた妻も買い物へ出かけると、寝室から出て、二階のリビングやキッチンへ行くことができる。
食欲は変わらないようで、用意されていたお好み焼きをむしゃむしゃ食う。さすがにビールを飲む気にはなれず、あっさりと食べ終えると、シャワーを浴びる。家族三人、誰一人たりとも帰ってこないうちが、勝負なのだ。囚人になった気になる。氷を炭酸飲料対応の水筒に詰めて、冷蔵庫から取り出したコカ・コーラのペットボトルを持って、寝室に戻りドアを閉める。
もう寝室の目の前のトイレと、非主要洗面台以外、このドアが開くことはないだろう。
コカ・コーラを水筒に注ぎ、一気の飲み干す。腫れた喉を刺激するコカ・コーラの美味さたるや。春夏秋冬コカコーラは美味いが、健やかなる時も病める時もコカ・コーラは美味いのである。
二日目
「死せる孔明生ける仲達を走らす」という故事がある。
五丈原の戦い中に病没した諸葛亮孔明が、対峙していた司馬懿率いる大軍を退却させた。
この日の私は諸葛亮孔明となった。
つまり会社を病欠(死せる私)することにより、事業部の目標である「属人化の解消」に絶大なる貢献をする(生ける事業部を走らす)のである。
前日のうちに、熱があろうと、無かろうと休もうと決めていたが、熱がないとなんとなく罪悪感を覚えてしまうもの。熱を測ると三十八度であったため、心置きなく私は諸葛亮孔明として、七時前に病欠連絡をした。
枕元に置いたロキソニンを飲み、ゴホゴホとたまに咳き込みながらもしばらく横たわれば、熱も引き、身体も楽になる。
バタバタと子供達は学校へ行き、妻は朝の散歩に出かけた。
妻や子供たちと語り合えない。誰も話し相手もいない。
日常は十六時間ダイエットを題目に掲げ、朝食を抜いている(我慢できずに十一時くらいに昼食を食べる)も、特にすることもなく、食欲は変わらないので、隔離部屋を出て、パントリーを漁る。
療養食として今まさに我が脚光を浴びるは、備蓄用のインスタント粥だ。温めるのも面倒だと、常温のまま封を開けて、ジュルジュル食べる。妻が散歩から帰ってくる前に食べ終わり、食器を洗い、また隔離部屋へ戻らねばならないのだ。
空気清浄機をつけっぱなしにしていても、熱と脂をまとった私がほぼ丸一日篭っているせいか、寝室の空気は湿っぽく澱んでいた。
空気をキリリと引き締めるためにクーラーを強めにつけ、ゴロリと横たわり、MASTERキートンの続きを読み始めると、うつらうつらしてくる。昨晩も何度も何度も熱で目覚めたのだ。
スマホの通知音が鳴り、目を覚ますと、 会社のSlack通知をオフにし忘れていた。来週まで通知がならないようにして、完全に仕事のことを忘れんとする。家族とはコミュニケーションを取りたいが、会社とは断固コミュニケーションを謝絶するのだ。
散歩と仕事の合間の妻が用意してくれたシマダヤ流水麺をすすり、マスクをして外に出る。大雨である。しかし、冷蔵庫には今日飲むべきコカ・コーラがないのだ。妻はコカ・コーラを用意してくれない。
炭酸飲料対応の水筒に氷を詰めて、冷えるまで時間を少しおいて、一気にコカ・コーラを飲む。ベッド脇に設置したスタンドにiPadを置き、NHKプラスで「ある野球人の死 “不惑”の大砲 門田博光」というドキュメンタリーを見る始める。
不惑の頑固職人。己の会社人生と重ねるものの、私は門田選手と比較するにもおこがましいたるんだ人生を送っていると反省する。だれど、家族とは不仲になれば、どんなに仕事で成功しても、不幸な人生なのではと思い直し、自己肯定を高める。
そうこうしているうちに、再び熱は上がってきた。熱が上がるたびにロキソニンを飲むと、白血球がしっかり戦っていないような気がして、とりあえず我慢すると、もう何もしたくなくなり、しばらく寝る。
目覚めると、熱は三十八度五分。
学校から帰ってきた次男にLINEを送り、氷水を持ってきてもらう。寝室のドアを少し開け、次男は手で口を覆いながら「どう?」と言いながら、床に水筒を置いてくれた。
一言の会話は嬉しいものの、やはりあまり会話はすべきではなく、ビジネスホテルにあるような小さな冷蔵庫が寝室に欲しくなった。近くのリサイクルショップで五千五百円で売っていたから、回復したら次の隔離に備えて買ってこようかしらと思う。
三日目
土曜日の朝八時半である。
熱は三十七度前半である。妻と次男はスイミングスクールの大会があり、すでに出かけており、長男は大会に不出場で期末試験に向けた勉強の一日にするということで、まだ熟睡中のようだった。
少し体調が良くなった気もするも、微熱はあるので、ルーティンとしてロキソニンを飲む。
まる二日の隔離により、私から分泌される脂は、我が発熱によってじっくりと発酵熟成され、誰もが立ち入ることのできないほどに空気を澱ませていた。十三年前の空気清浄機はまるで役立たずであり、とりあえず窓を開ける。それだけでは澱んだ空気は霧散さること叶わず、今日もクーラーをつける。
MASTERキートンもほぼ読み終わり、かといって活字を読む元気もなく、圧倒的な暇な時間となる。スマホやタブレットでの動画視聴も画面が小さい。
二十七インチのiMacを持ってこよう。よっこらよっこら書斎から寝室に運び、折りたたみ式のサイドテーブルに置くのはいささか心許ない。大きな地震が来たらあっという間にサイドテーブルは崩壊して、びっくり返ったiMacの画面はバキバキに割れるのかもしれないが。我が理想とする隔離病室に一歩でも近づけるために強行する。
「パパ、ご飯だよ」
寝室のドアがガラガラと開き、黒いマスクをした次男が昼食を持ってきてくれた。次男は小学生だからか、警戒感は薄い。コロナ罹患以降、妻と長男の顔は見ていない。
今日はデーゲームであり、広島カープファンとしてオンデマンド中継をiMacで見る。
仕事終わりにビールを飲みながらテレビでプロ野球を見るという昭和の親父の典型の趣味を令和の時代になって持つようになった。
大瀬良大地選手の無失点記録がどこまで続くか、ハラハラしながら見て、無事に七回無失点で終え、そして三対一で勝利して安堵する。
喉に痰は絡むが、熱は上がらない。我が白血球はコロナウイルスとの激闘の末に、勝利の凱歌を歌っているのか。
私も勝利の凱歌を歌わねばならぬ。
夜七時キックオフ。浦和レッズ対鹿島アントラーズ。不倶戴天の敵。真紅対臙脂血の決戦である。
DAZNの無料配信があるので、iMacで見る。
敵のエースとして大嫌いであり男として嫌いになれない鈴木優磨にやられて前半のうちに複数失点。
意気消沈する。
長男は塾へ、私に夕食とシャワーの時間を与えるために妻は次男を連れて自転車でスーパーへ買い物に行ったハーフタイム。慌ててご飯を胃に納め、シャワーを浴びる。水筒に氷を詰めて、コカ・コーラを入れて、いざ後半へ。
試合は後半の中盤に差し掛かる。この数年間確かなる歴史を刻んだ神と称されるアレクサンダー・ショルツ選手が負傷で交代する。ショルツ選手は今夏での対談がほぼ確実であり、これが最後の試合となるかも知れなかった。さらに落ち込む。
その後に出てきたのが、武者修行を終えて帰ってきた若武者、武田英寿選手だった。彼が出てくるとチームは活性化し、その武田選手が一点を返すと、ロスタイムのことである。ゴールエリア外のやや離れたところからのフリーキック。キッカーは武田選手。中の味方選手に合わせるボールを蹴るかと思いきや、GKの位置を見て、直接ゴールを狙う意表をつくボールを蹴り、同点ゴール。
主力選手の退団の噂が続出し、一つの時代が終わる寂しさから、新しい浦和レッズの日の出を見た。
咳き込みながら、雄叫びを上げる。
そして、私は思う。
もはや私は元気なのではなかろうか。
鈴木優磨選手が同点で終わった試合の悔しさでベンチを殴りつけていた。
「明日も隔離だけど、生活リズムは崩したくない。それなのに」
試合終了の四時間後。未だ興奮を引きずり、眠れなかった。
副交感神経を優位にするために、スマホで猫動画でも見ようと、YouTubeのアプリを立ち上げる。
木曜日にオンライン会議欠席の連絡を送った、佐渡田さんがライブ配信をしていた。
佐渡田さんは同僚でありながら、人気YouTuberとして活動している。
ライブ配信を見てみると、クラシック音楽をBGMに佐渡田さんは黙々と作業をしている動画の配信であった。
どうやら作業する時間を一緒に過ごしましょうという企画なのだ。
佐渡田さんは何も喋らず、ひたすら何かの画面を見ながら作業をしていた。
佐渡田さんのチャンネルのファンだったら、至極の時間なのだろう。憧れの佐渡田さんと画面越しで同じ時間を過ごしているのだ。チャットにも同じ時を過ごす喜びの声が溢れていた。
されど、そんな佐渡田さんの姿は、私にとっては会社の現実そのものであった。三日目の休みにてせっかく会社のこと、仕事のことを忘れてかけていたところだ。
「佐渡田さん、すまぬ。一瞬増えた視聴者数がすぐに減る」
私は独り言を言い、猫動画で副交感神経を高めるのだ。今はまだまだ非現実の中にいたい。
四日目
昨晩は一時半に寝て、一回も目覚めずに九時過ぎまで寝ることができた。
熱はもう三十六度台であった。夜中も熱は上がらなかったのだろう。
中間試験の結果にようやく中学校の勉強を分かったのだろう。長男は塾の自習室に朝から出かけて行った。
妻と次男も朝の散歩へ出かけた。隔離部屋を出て、キッチンへ行き、オレンジジュースを飲むと、水の味と、遥か彼方の遠いところに柑橘系の味と甘味を僅かに覚える。
昼には、散歩の際に妻が買ってきてくれた納豆巻きとざるそばを食べる。納豆とはこんなにも無味なのか。
鼻は詰まっていない。
これがコロナの味覚障害なのかと思った。
夕食のカレーも味は薄かった。
今日は昼過ぎからずっと家族は家にいた。
結果、ずっと引きこもりである。
ゴロリと寝転びながら、ぼんやりしていると、うつらうつらする。
熱は引いても、脂の分泌は止まることを知らず、今日もシャワーを浴びたいが、二十二時半まではシャワーを浴びることができなさそうだ。
そして、元気になってきたにも関わらず、体を動かしてないものだから、今日も寝つきは悪かった。
五日目
月曜日になった。
出社前提であるならば、隔離期間を大義名分として堂々たる欠勤をするはずだ。しかしハイブリット勤務であるがゆえに、大義名分はまるで通用せずに、致し方なく勤務とする。
子供達が学校へ出かけるのを音で聞き届けてから、マスクをしてキッチンにいた妻に話しかける。
「今日は仕事するよ」
「書斎のドアは絶対に閉め切って」
課のオンライン朝会に出る。
「大丈夫?」
「まあ一応」
などと会話しているうちに、頭がぐっと締め付けられる気がする。
十分くらい雑談して、私は静かに宣言する。
「多分昼の会議が終わったら、今日は退勤します」
予告通りに十三時半に退勤を打刻して、最後の寝室隔離へと入った。
もしかしたらコロナではなく、夜の寝つきが悪かったせいで頭が痛いのかと思う。もう少し非現実の中にいよということなのか。
次男がプールに、長男が塾に出かけた後、夕食前に自らガリガリ削ったかき氷にたっぷりのブルーハワイシロップをかけて、食べる。
頭を突き抜けるキーンとした痛さは変わらずも、味はただ甘いだけで、ブルーハワイ感はない。これはシロップが安物のせいで味がしないのか、やはりコロナによる味覚障害なのか。
解放
ハイブリット勤務で出社率が人事によってカウントされ、三十パーセント以上出社しないと評価にも加味されるという。
マイナス査定になるようなことは極力避けるために、残り四日間で三回出社しないと三十%は達成できない。
頭は昨日と変わらず重いが、医者に言う隔離期間は終わったので、マスクをつけて出社する。
久しぶりにマスクをつけて駅まで歩き、電車に乗るので、コロナ禍ですっかり慣れたマスクも、久しぶりだと息苦しい。
ただただ出社の打刻をするためだけに出社したので、二時間ほどの滞在で退社した。相変わらず頭が重いのだ。
会社に置いてあるコカ・コーラの自動販売機は、総務の肝付さんの尽力によって市価よりもずいぶん安く、お土産に買っていこうかと思いきや、今の味覚障害の自分にコカ・コーラに食指は動かなかった。
翌日の水曜。今日は右膝痛のリハビリで通院するため、在宅勤務だ。
来月からの組織変更に伴う異動の内示がされた。夕方には異動に伴う業務の割り振りを関係部署間で行う会議へ出席した。
専門職なのでやることは大きく変わらないものの、業務範囲はだいぶ狭まるらないものの、我が業務の会社における意味付けなどが大きく変わるのだろうなと思った。久しぶりの定時勤務。
木曜日、寝坊をした。今日出社しなければ出社率の未達は確定するが、どうせ異動するのでどうでもいいやと在宅勤務とする。
コロナウイルスは我が体内から退散したはずなのに、今日も頭が重い。
玄関のすりガラス越しに茶色い物体が見えた。三毛の地域猫のニャンちゅう(仮称)が私を待ってくれているのか。ずっと寝室にこもっていたせいで、ここ何日も触れ合えてない。
玄関を開けると、ニャンちゅうはニャっと鳴いて、ごろっと身体を横たえる。そうしたら背中を撫で回して、顎下をマッサージしてあげるんだと嬉々としていたら、そこにいたのはニャンちゅうではなく、あったのはアマゾンの大きな段ボールであった。
軽井沢の別荘地に住み、エイブラハムさんからのエールビールのギフトだった。
話は脱線する。
エイブラハムさんは一時仕事を一緒にした日英のハーフのインテリジェンスあふれる紳士であり、私と同じ趣味を持っている。
「ぼくが鉄道好きなのは、それは鉄道の旅は人生のジャーニーに例えられるから」
鉄道オタクの理由に、ここまでの知性と気品を抱かせるものはあろうか。
それはまるでMASTERキートンの主人公で同じく日英のハーフである平賀キートン太一ごときかっこよさだ。
コロナに罹患する数日前、彼と彼の奥さんと電話で会話した。
「かっちゃん、今度うちに遊びに来なよ」
「そうですよ、ぜひいらっしゃってください」
私にとっては恐怖である。
エイブラハムさんの家は、その佇まいと住所から想像するに白樺の林の中にある洋風の豪邸だろう。きっと暖炉がある。これから盛夏なのに、暖炉の火を囲んでいるイメージがある。
MASTERキートンでもそんなシーンがあった。
暖炉の前の教授を中心に、キートンたち学生が円座に紅茶を飲みながらアカデミックな会話をしている。
おそらくエイブラハムさんの家でも同じ光景があるのだろう。
だが、私は知的な会話は一切できない。あまりに会話が続かずに、プルプルと子鹿のように震える我が醜態が容易に想像できるのだ。
そんな恐怖がありながらも、エイブラハムさんは私のことをよく構ってくれてるのだ。
閑話休題。
DeelLで御礼文を英訳して、LINEに送ると、早速ビール一缶とビールグラスを冷凍庫に詰める。
一時間後、ごくごくと飲む。うまい!
どうやら味覚も戻ってきたようだった。
イランというビールの存在しない乾いた大地をひたすら東から西へ移動し続けた先に、国境を超えてトルコに入る。目の前にどんとアララト山が広がる。そしてここで待っているのはよく冷えたエフェスビール。エフェスビールは何でもないところで飲むと味の薄いビールである。しかし、ここで飲むエフェスビールは世界のどこで飲むビールよりもうまい。
そう断言しつつも私はイランに行ったことはなく、ただ下記の文章からの追体験である。
とりあえず、コロナ明けに飲むエイブラハムさんからのビールは最高だった。
もう隔離は解いており、家族がいる中で夕食をむしゃむしゃ食べる。
食後のアイスを食べながら、私は子供たちに尋ねた。
「いつベッドマットを寝室に戻す?」
「うーん、どうしようかな。もう自分の部屋のままでもいいかな」
そう長男が言うと、
「僕もそれでいいよ」
と次男も言った。
これまで淡く近づいている気がしてきた人生の終盤へ向かうための大きな転換の一つが、この無為無聊の隔離の間に、その足音を認められるほど一気に近付いたようだった。その転換に抗うもよし、その流れに身を任せるもよし。
ひとまずコロナ隔離の縷縷麺麺はこれにて終わりである。エイブラハムさんからのエールビールはふんだんにある。