見出し画像

ニューヨーク。JFK空港。

婚約指輪を買ってくるというミッションは果たしつつあった。銀座の本店で婚約指輪を決めたとき、雰囲気を大切にそのまま買いたかったと彼女は不平をこぼしていたが、我らに何が雰囲気だ。アメリカで買うと10数万円安い。アメリカ往復分のマイルは貯まっている。サーチャージは往復7,000円と破格。兄はフィラデルフィアに留学中なので、ホテル代はただ。私がアメリカへ足労するだけで、差し引き10万円で我々は何度大衆居酒屋かぶら屋へ行けるのか。桁違いのビール党である彼女をそう籠絡し、アメリカのアウトレットモールへのおつかいの旅も、あとは帰るだけである。

出国エリアにて、アメリカの名残を惜しむかのように、現在の太い胴回りな伏線としての本場アメリカのハンバーガーを頬張り、コカ・コーラのLサイズを飲み干さんとしたところ、財布が見当たらない。

手荷物検査場でポケットに入れておいた財布を検査のために取り出したが、そこで置き忘れたのか。ベンチで荷物整理をしていたときに、置き忘れたのか。

出国エリアで落としたのは確実だが、ここはアメリカである。NY生まれ、HipHop育ち。悪そうな奴はだいたい友達。東京の比ではないのだ。埼玉生まれ、TK育ち。悪そうな奴に近寄れない私は、悪そうな奴の本場で財布を落としたのである。

ポケットを全て裏返しにし、鞄の中をひっくり返しても見つからない。辺りを探し回っても見つからない。歩いてきた道を丹念に探しても見つからない。

手荷物検査場に戻る。検査場のスタッフに私の英検3級で証明されている英語力を披露するよりは、都合よく検査を受けていたANAのCAの方に泣きつく。通訳してくれと。

三十路の汚そうな男の頼みを快く受け入れ、手荷物検査場のスタッフに聞いてくれたが、財布はなかった。

財布が見つからないと、成田空港からの交通費すらない。文字通り一銭もないのだ。交通費を捻出するために婚約指輪を二束三文で売るか。そんなことしたら帰国して待つは般若である。

もう搭乗の時間は近づいてきた。アメリカで財布を落として見つかるわけがないのだ。万事休す。震える手でクレジットカードを止めるための電話をかけようとすると、空港のアナウンスで聞き覚えのある名前が呼ばれていた。もしかして私のことか。

「HK。ブリティッシュエアウェイズのラウンジに来い!」

帰宅部にて帰宅技術を磨くために鍛え上げたスプリントを活かして、ラウンジに駆けつければ、財布があった。現金はそのまま。クレジットカードもそのまま。

ブリティッシュエアウェイズのおばさんスタッフが邪心を起さず届けてくれたのだった。やはり太い胴回りには大きな心が宿るものだとするのは、今の私が太い胴回りだからである。

彼女はチップを受け取らず立ち去ろうとしていたので、慌てて謝礼を渡した。

彼女は「I'm so lucky!」と連呼した。ラッキーなのは私である。

ANAのCAの方にも、離陸後、醜悪な姿勢でドラクエに興じていたところを話しかけられ、状況を聞かれた。ずっと心配していただいていたのだった。

アメリカの名残を惜しむかのように、現在の太い胴回りとなる伏線としての本場アメリカのハンバーガーを頬張り、コカ・コーラのLサイズを飲み干した後だったので、ゲップをしながら礼を述べた。

サポートしてもらって飲む酒は美味いか。美味いです。