熊谷博子『かづゑ的』(2024)
3月2日から熊谷博子の新作ドキュメンタリー『かづゑ的』が公開される。以前、女性の映画作家について書いた共著『彼女たちのまなざし——日本映画の女性作家』を書く過程で、東京国際女性映画祭第15回の記念作品として作られた長編ドキュメンタリー『映画をつくる女性たち』(2004)、パイロットフィルムの短編ドキュメンタリー『日本初の女性映画監督 坂根田鶴子を追って』を視聴させてもらい、試写の案内まで送ってくれた。僕は1月31日にマスコミ試写で拝見した。『かづゑ的』は瀬戸内海にある国立ハンセン病療養所・長島愛生園に10歳で入所して、約80年間、この島で暮らしてきた宮﨑かづゑさんを追った長編ドキュメンタリーである。
かづゑさんは、ハンセン病の影響で手の指や足を切断し、視力もほとんど残っていない。そんな彼女を熊谷博子は8年もの間、ずっとカメラで追い続けた。端的にいって、この作品、凄まじかった。ちょっと言葉では言い表せないほどの衝撃を受けた。きっと多くの人は、この映画でかづゑさんを目の当たりにすると、言葉を失い、立ち上がれなくなるのではないか。それほど僕はこの映画を見て、しばらく動けなかった。カメラを抱えて会いにいくなり、熊谷は彼女に明日、お風呂のシーンを撮るといわれる。ハンセン病を患って生きてきた、ありのままの姿をまずは見ろ、というわけだ。文字通り裸の姿をカメラに曝け出すところから映画は開始される。この序盤にあるお風呂のシーンから、ぐいぐいとかづゑワールドに引き込まれてゆく。
ハンセン病はかつて「らい病」と呼ばれていた。だが、かづゑさんはハンセン氏が作った病気じゃないからという理由で「らい」という言葉を使う。本当のらい病の患者がどう生活し、どんな感情を持って生きているのか、その飾らない生活を残したい、というのである。私たちはかわいそうな患者じゃない、私たちも当たり前のようにかけがえのない毎日をただ生きているのだ。そうかづゑさんは映像を通して伝えているように思った。試写のあと、監督は自分が撮りたいようにやってもらうのではなく、彼女がやりたいようにしてそれを撮ったのだと語った。それが映画に溢れている。彼女のみなぎる生命力が、画面を突き抜けてこちらまで届いてくる。カメラの前だろうが、彼女は泣き、楽しければはしゃぎ、沈黙したいときは黙り込む。とてもユニークなキャラクターでお茶目なところも可愛らしい。
かづゑさんは84歳で初の著書『長い道』(みすず書房)を刊行した。パソコンを覚えたのも76歳のときだ。周囲の手を借りるときも当然あるが、何でも自分でやろうとする。もう一つのこの映画の見どころがある。それは70年連れ添った夫の孝行さんの存在だ。彼もハンセン病患者として長島にやってきた。寡黙だがやはり可愛らしい人で、二人の掛け合いなど、もうずっと見ていたくなるほど愉快で、本当に幸せな気持ちになる。二人のエピソードも序盤で紹介されるのだが、孝行さんが、かづゑさんを意識したのが、図書館で借りる本にいつも「宮﨑かづゑ」という名前が貸出カードに書かれていたことだという。『耳をすませば』かよ!と思ってついそのエピソードにうっとりとしてしまった。
そう、かづゑさんは読書家だった。隔離された場所での生活を余儀なくされても本を通じて教養を深めた。試写後に監督がかづゑさんに一番好きは本は何かを尋ねたことがあると話した。かづゑさんは「デルス・ウザーラ」と答えたという。ロシアの探検家だったウラジーミル・アルセーニエフが1922年に著した紀行だが、日本人でこれを知っているのは、ほとんどが黒澤明の1975年公開の映画を通じてではないだろうか。ところがそのずいぶん前に彼女はこの本を読んでいたというのだ。
『かづゑ的』はかづゑさんと孝行さん夫婦が共に寄り添って生活する姿を映したドキュメンタリーでありながら、その一方で、かづゑさんと母の深い心の絆を描いたものでもある。彼女は岡山に帰って母の墓を訪れる。お墓にしがみついて離れようとしない。ずっと待っていた孝行さんが声を掛ける。
「もう、行くぞ」
それでも彼女はじっとお墓を抱擁して動かない。再び孝行さんがいう。
「寒いから…」
この声の掛け方がまた絶妙で、言葉では表現しにくいのだが、まるで小津安二郎の映画に登場する笠智衆の姿を見ているようだった。こんなシーンが現実で本当にあるのだな、と改めて小津映画の魅力も実感したのだった。
かづゑさんは何でもやろうとするし、行きたいところに行く。そんな彼女に熊谷のカメラは寄り添う。まるで演出家と被写体が逆転しているかのような錯覚に陥ることすらある。久しぶりに原一男の『ゆきゆきて、神軍』(1987)のドキュメンタリーを観たときの感動が蘇ってくる。そういえば原一男も『さようならCP』(1974)という脳性麻痺の患者を捉えた素晴らしいドキュメンタリーを撮っていた(いきなり宣伝ですが、アップリンク吉祥寺での「気がかりな映画特集」で3月9日にかかる『さようならCP』の上映終了後、原一男監督と僕のトークセッションがあります)。
終盤、とてもショックな出来事が起こる。それでも彼女は逞しく生きていく。かづゑさんがカメラの前で話す——「自惚れたこというけど、わたし、ちゃんと生きた」。その言葉を語る彼女は、とても美しく輝いていた。誰よりも力強く映った。彼女は高齢ながら、いまも瀬戸内の長島で元気に暮らしているという。『かづゑ的』を観たら、きっと誰もがかづゑさんに夢中になる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?