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今の大学生に感じる焦り

こんにちは、犬派の大学生です。

最近、焦りを感じる出来事がありました。

友達に借りてこの本を読んだのですが、とても内容がショッキングで考えさせられるものだったので、自分の経験も交えながら思ったことを綴ろうと思います。
(おすすめして貸してくれたE本君ありがとう)

話は、「今の大学生」に関することです。
端的に言いたいことは、「今の大学生は、自分で自分の人生を生きるべき」です。

けっこう批判的に「今の大学生」を見ていきます。「批判する立場にいるお前も大学生やろ」って言われそうですが(僕は今大学4年生です)、そこに自分も含まれていることは重々承知で、「今の大学生」と呼びます。

いい子症候群の本が言いたかったこと

著者の金間大介さんは、現在金沢大学でイノベーションやマネジメント、そのためのモチベーション論などを研究されている方です。

そんな金間さんが2022年の4月に出した本が「先生、どうか皆の前で褒めないで下さい」です。インパクトある題名ですよね。語りがとても面白くて、あっという間に読んでしまいました。

この本が言いたかったのはざっとこんな感じです。
(違ったらごめんなさい><)

今の大学生の多くは「いい子症候群」である。
いい子症候群とは以下のような特徴を持つ。

  • 人並みでよい横並び主義

    • 周囲から見えている自分を最も気にする。浮かないようにする。

  • 損をしたくない、リスクは取りたくない

    • 安定が一番

    • 決断はせず、責任を負うことは避ける

    • だから、理性的で計算高い。真面目で丁寧で無知な印象を与えるのは得意。

  • 主体性が少ない、○○したくない思考

    • やりたいことは特にない

    • 積極的なリーダーはしない、ガツガツ働きたくもない

    • 目的意識、上司への提案、出世意欲などがない

  • これらの原因は、自分に自信が無く、失敗したくないから


かなり端折ってしまったので、決めつけみたいになっているがなんとなく雰囲気だけでも伝わりますかね(-_-;)

僕が、金間さんの考察に関して大いに共感したのは、これらの特徴が今の大学生の動機(モチベーション)の部分に落ち込んでいることです。

どういうことかというと、今の大学生は「一見」積極的で、勤勉で、であるがその意思決定プロセスに「いい子症候群」が潜んでいるということです。

例1.
「テストがめんどくさい」「勉強がダルイ」と友達と愚痴を吐きながら、「大学生ってこんなもんだろ」と講堂内でゲームなどしながらたむろしている姿を目にする。(自分もそうだった)。しかし、口では勉強がどれだけ嫌と言っても、自分がやりたいことのために学校をやめたりはしない。(大学は卒業しておきたいので結局テストはそこそこいい点を取る)

→つまり、勉強するのは自分では大事だと思っているのに、周りに合わせて「ダルイ」って言っています。
もちろん、勉強をやめて自由に生きる勇気もない。

例2.
就活ではサマーインターンシップや長期インターンシップに参加することが今は主流で多くの大学生が選考に苦労している。しかし、その動機も自己成長ではなく「周りが参加していて、不利になりたくないから」「簡単に本選考に進めるから」というネガティブな理由である。就活で有利になるかもしれない、就活で不利になりたくないというパワーはものすごいように感じる。
(そして、みんな画面の前で指定されてもいないリクルートスーツを着る。浮きたくないからである。)

→つまり、周りが参加していて、出遅れたくないからインターンに参加するわけです。とにかく不利になりたくないという心理が強い。

・・・
大学生の皆さん、モヤモヤしますか?

「自分は違う!!」

って言いたいですよね。僕もそう思いたい。

まあ、ここで話したことは僕や、僕の周りの人を観察した結果なので、てめーの妄想だろ、と言われてもハイそうですとしか言えないが、あながち間違っていないと思います。
次は、実際に僕自身が経験したことを書いていこうと思います。

違うものは許さない


先日、ある友達にセクシュアリティのことで相談を受けました。
(もともと仲がいいんですけど、僕がノンバイナリーであることが関係あったのかな)
その子は、最近自分の性について自覚したみたいで「よくマイノリティがいるって話は聞くし自分も寛容であったつもりだけど、いざ当事者になったと自覚しても、受けれ難い。怖い。」と言っていました。

僕は、「人と違うなんてなんかカッケー!」とか思っちゃうタイプなのだが、人と違うこと=恐怖としての構図ができていることに気づきました。

同時に、それはその子一人のなかでつくられたものでなく、僕たち同年代(あるいは社会全体)の価値観をよく知っているからで、社会の評価=自分の評価になってしまっているのかもなと思いました。

良くも悪くも、今の大学生は社会の評価というものに敏感で、しかもとても詳細な評価まで自己の中に落とし込めていると思います。


「自分がそう(そのセクシュアリティ)じゃなかったらよかったのにな。。。」とその子が呟いたのを忘れたくないと思いました。
(関係ないけど、もっとこういう話がオープンにできたらいいなと思ってます。)


もう一つ、スペシャリストとジェネラリストについて。

これは僕が大学院の進路決定を担当の研究室の先生に伝えたときのことです。
僕は国立大学工学部の理系なのですが、院進学があたりまえの工学部の中では珍しく、学部を変えて院進学します。

理由は簡単で、自分が研究したいと思った学問が見つかったからです。

こう聞くとポジティブかもしれませんが、院に行くレールがこれでもかと敷かれた中では、異質な存在として見られることもあるわけです。

担当教授に、別の学部に行くことを伝えたところ

「スペシャリストではなくて、そういうジェネラリストになっていくのは心配だよ」

と言われたんですね。ここでいうスペシャリストとは工学の専門知識を究めた人で、ジェネラリストとはいろんな学問分野を跨いでる人のことを指すのだと思います。

そもそも、なんでジェネラリストが劣っているような表現をされるのかもよくわかりませんが、僕は「周りが進むからと敷かれたレールに沿って量産されていくほうがジェネラル(一般的)なのでは?」と思ってしまいました。

そういう身近な大人の言動にも、今の大学生は敏感に反応していると思います。(その先生は最終的に僕の考えを理解してくれましたが、)そもそも自分がやりたいからと決めたことに他人の評価が入る余地はないはずです。

誰も歩まなかった、僕の(異質な)キャリアのほうがよっぽどスペシャルな自信がある。

同じ工学部の同期へ、もしこれを読んでいて不快にさせたらごめんなさい。

その意思決定が、自分の意思に沿ったものであるならばとても尊重しています。

失敗は許さない


高校時代に話を戻します(そんな昔じゃないはずですw)

体育会系の部活だったのですが、オフの日に仲良し同期数人で遊びに行きました。行先は覚えてないですが、ちょっと遠出をしました。

そこで道が分からなくなったので、僕が調べたのですが、僕は地図を読むのが得意ではないので、けっこう道を大きく間違えてしまいました。
そしたら、
「ホント使えねーわ」

って言われたんですね。え?誰に言われずとも僕が率先して道案内したのにですよ?
僕は大人だったので「じゃあてめーが調べろや!」ってキレはしなかったんですが(心の中では思ってましたw)、そのとき自分の中で「自分からその集団に貢献したい気持ち」が削がれてしまったのを覚えています。
だってまた失敗したら不快な気持ちになるから。

いまだに、そのメンバーの前で、僕が地図を検索することはありません。

たった一度の失敗が許容されなかっただけで、非難されてしまう経験を思い出しました。


もう一つ高校のエピソードを。

僕の高校の3年の数学の授業では、演習重視でいろんな大学の過去問が入っている問題集を解くカリキュラムがありました。

毎週2回授業があるのですが、そこで当てられた人は答えを書いておいて、
自分で解説しなければなりません。

これが、難しいんですよね。難関大学の問題にあたった日なんかは最悪で、必死こいてみんなの前で発表できるレベルの回答を作る羽目になります。

先生も自分の頭で考えてほしいと思っているし、数学は答えまでの道筋が1通りじゃない場合が多いので、演習問題の答えは配布しないんですね。

それが学生との考え方のギャップです。学生は、みんなの前で間違えたくない、詳細な答えが分からない不安をどうにか解消したいと思うわけです。

その結果、メルカリにある解答集が飛ぶように売れ、学生の中で流通していました。

そういう、答えがあるならどんな手段を使っても探す(ある意味この探す能力はとてつもなく高い)高校生は全国的にも少なくないでしょうから、今の大学生にもあてはまるわけで、答えが無い状態にポジティブに向き合えない学生は多いと思います。

ここに関しては教育制度とか、問題が根深そうですが。

社会貢献はしたいです

金間さんの主張で僕が面白いと思ったことの一つに、今の大学生の社会貢献に対する考え方があります。

今の大学生は、社会貢献意欲は高いです(本書にデータがありますし、周りを見ていても感じる)。実際、採用でもSDGsを掲げる企業が注目されがちです。(社会貢献≠SDGsなのは前提として。)

しかし問題なのはその「社会貢献」といったものが何を指すのかです。
せっかくなので本文を引用してみます。

いい子症候群の若者にとっての社会貢献とは何か。
それは、誰かに「貢献する舞台」を整えてもらった上での貢献を意味する。責任を取る誰かがいて、調整してくれて、意思決定もしてくれて、そのうえで自分らしさを発揮するお膳立てをしてもらってからするのが社会貢献。
さらに事後には「君がいてくれて本当に良かった。いつもありがとう」と言ってもらうのが社会貢献。
逆に、自分から何かを働きかけたり決めたりするものではない。それは意識の高い「あっち側」の人がすることで、決して「自分のする社会貢献」ではない。

p154

これが自分の感覚にとてもあてはまるので、びっくりしました。
僕の感覚は「本気で社会を変えようと思っている学生が少ない」といったものです。

本気で社会に貢献して何かを変えようと思ったら、目の前の勉強に集中して、失敗してもいいから行動を起こしてみることは不可避であるはず。

誰かに指示された課題をこなしているだけでは社会を変えることはできないことくらい、二十歳を過ぎればわかります。

そしてその言動の不一致が、承認欲求という、現代の若者の患いとも読める言葉でつながっていることを知りました。

私の仮説は「社会貢献=身近な人たちからの承認欲求の向かう先」という方程式だ。人目につくような努力は恥ずかしく、競争も好まない今の若者にとって、承認欲求を満たすシーンは極端に減ってきている。
特に、リアルな社会では、自分に自信がない上に本来褒められていい状況でも、周りからどう思われているか気になって仕方がない。
かといって、人としての承認欲求が消えるわけではない。
ではどこで(このナイーブな)承認欲求を満たすか。それが社会貢献だ。

p155

つまり、今の大学生は、チームメンバーや友達などごく限られた狭い範囲の人から認められたいという思いを貢献という形で表現し、それを高々と社会貢献だと思っているわけです。

自分が顔も知らない遠い世界の人の状況を変えたいといった、主体的な社会貢献ではないはずです。

少し感情をこめて書くと、こんなものは、誰かに課されたノルマをこなすことで(この組織では認められているという安心の上に)成り立つ「貢献している感」でしかない。

社会を変えるような「目立つ」「失敗するかもしれない」「ほかの人がやっていない」ことはどんなにいいと分かっていても踏み出せない(あるいは自分が対象でないと思っている)人が多いのです。

現に先日の選挙では、10代の投票率は34.5% であることからも分かります。社会を変えるために一番有効な手段であるはずの選挙では、承認欲求は満たされないのです。

最後に

ここまで散々な言い様だったと思いますが、ハッキリ言っておくとこれは全部僕の妄言に過ぎません。それも、なんか本を読んだだけの焦燥感に煽られて先走って書いた妄言。

多くの人をモヤモヤさせてしまったと思います。
でも、モヤモヤするってことは、心当たりがあるんじゃないですか?

煽りスキルが高くてすみません。

そもそも僕がなぜこんなに焦りを感じているかというと、僕は今「若者のリーダーシップを育む」というミッションを掲げた学生団体に所属しているからです。
正直、いい子症候群の若者は、リーダーシップとは対極の場所にいます。
リーダーシップの定義はさまざまですが、「自分から何かを変えるために行動することはなく、目的もなく大衆の波に身を任せる」というのはリーダーシップの訳書に載っているわけがありません。

これを執筆していて、とてつもない大きな波が僕たち若者を飲み込んでいるような印象を受けました。波と言っても、静かで、均一で、空気のようにまとわりつく、しかし逆行するものがいればとてつもない圧を与える、そんな性質を持った波です。

そういった状況に、今の大学生も気づいていると思います。僕たちはバカではないので。

ただ、僕はそこでこのような波を変えていくために立ち上がる人、もっというと問題として声を上げることができる人が減っていくかもしれない現状に危機感を覚えています。

こういうnoteを書くことで少しでも勇気をもって、行動してみようと思ってくれる人が居ると願っています。

同じ大学生として、「今の大学生」に伝えたいことがあります。

「自分の人生は、自分が選択しているか?」ということです。

かみ砕いて、こんな問いに答えてみてください。

「あなたはなぜ、そのパートナー/友達/先輩と一緒にいるんですか?」
「あなたはなぜ、大学で勉強をしているんですか?」
「あなたはなぜ、サークル/インターン/バイトをしているんですか?」
「あなたはなぜ、就職したいんですか?」
「あなたはなぜ、人と違うことが嫌なんですか?」

もし主語が、親や周りの友達、就職、学校など自分以外の人が出てきたら、あなたは今自分の意思で自分の人生選択していません。
「いつかの未来の自分」のためでもダメです。そんな自分は一生来ないからです。

主語が「今の自分」になったらあなた自身の意思で選択していると思います。

「今の自分が、ありのままでいられるから」
「今の自分が、どうしようもなく興味のあることだから」
「今の自分が、本気で取りくむだけの価値がもらえるから」
「今の自分が、心から好きなことを仕事にしたいから」

こうやって言えたらいいなと思います。
誰かに決めてもらった人生は、だれも責任を取ってくれません。

やりたいことが無ければ、自信が無ければ、まずは行動してみたらいいと思います。行動から学べることは多い。

僕も、目立つのは怖いけどこうやって書いてます。自分で選択してます。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

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