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訛り問題

「言葉のイントネーションがおかしいよね」

そう言われるときがたまにある。
自分では普通に話しているはずなのに、時折「この人、なまってる?」と思われているらしい。

自分は宮崎県宮崎市佐土原町で生まれた。
でも育ったのは長野県であり、愛知県であり、東京都だ。
父親が転勤族だったので、小学生の頃までは2、3年ごとに引っ越しするのが常だった。 思えば学校で言葉を覚える大切な時期に名古屋弁バリバリの場所に住んでいたことが訛りの原因かもしれない。

思い当たる節はもう一つある。
小学生の頃は夏休みになると、宮崎県にある母方の実家に行くのが恒例で、そこには愛知県、福岡県の親戚が勢揃いする。つまり、一か月近くの長い間をずーっと博多弁、宮崎弁、名古屋弁が入り乱れる、今思うとめちゃくちゃカオスな空間に身を置いていたのだ。
祖父母には宮崎弁で怒られ、毎晩酔っ払った叔父叔母のどぎつい博多弁の相手をする日々。夏休みが終わり、2学期が始まる頃には「夏休みは宮崎県の婆ちゃん家に行ってきたっちゃ。うわ、日焼けの跡がわやだわあ。おめえしぇからしかあ!」などといった訳の分からない言語で話していたような思い出がある。

気がつけば東京での暮らしも四半世紀を過ぎ、今ではすっかり(自分としては)標準語で話すようになった。
でも、先述の通り訛ってると言われたりするし、ムカつくことをされたり、また親と話している時に無意識のうちに当時の言葉が出るときは正直多々ある。
まあ、別に直したいとも直そうとも思わないけれど。

さて、話は変わる。"人は産まれて初めて吸い込んだ空気の一部を肺の中に死ぬまで溜めたまま生きていく"、と先日ある本で知った。
となると、自分は宮崎の空気を死ぬまで身体に秘めながら生きていることになるのだろう。
幼少の頃に染み付いた訛りとともに。

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