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培地は餌ではありません

 実は、幼虫は培地材の殆どを食べてはいません。これはわたしの目検討の目算ではありますが、幼虫が実質的に食べている量は培地材総量の約10%にも満たないのではないかと考えています。おそらく、5%前後というのが妥当な数字だと思われます。これはですね、大きめのチップ材に植菌したオリジナル菌糸瓶で飼育した残材——つまり、食痕——を観察すればよく解ることなのです。何故なら、その殆どが粉砕されておらずに元のチップ形状のままに残存していますから。
 YouTuberなんぞは飽きもせずに菌糸瓶交換動画をみんな猿真似して毎度同じように投稿されているわけですが、次々とボトルに残った劣化材をあっさりと捨て去っておられますよね。がしかし、本来、よく観察すべきはそっちなんですよ。食痕の状態は貴重な研究資料なのですが……。

培地は餌材の基材である

 早い話が、大きめのチップ材——わたしが使用している物ですと一片、5mm x 4mm x 1mmくらいのチップ材——なのですが、この大きさですと、とてもじゃないですが3令幼虫でもオオクワガタの場合はそのままでは口を通りません。「いや、あの強靭な顎で砕けるでしょ」とお思いかもしれませんが、そんなことはしないんですよ、彼らは。オオクワガタの顎の機能は、実はそのような使い方をするようには出来ておらず、むしろ、カンナのように木材を削り取るように使うものなのです。これは、幼虫をよく観察していると解るのですが、顎先を前後に擦り付けるようにして木材(菌糸瓶の場合は培地)を削り取っているのです。そして、その削り粕を食べる。実際、顎に隠れた内側の口器のサイズは小さくて、大体、3令♂幼虫の頭幅サイズ:11mmを基準としますと、大凡幅が3mm以上のものは口器を通せないんですよね。
 では、「そんな大きめチップ材をどうやって食べているんだ?」となりますが、それが、食べてないのです、実は。いや、これは少々誇張表現ですが、そもそも、幼虫の目的はチップ材を食べることではなくて、チップ材とチップ材との隙間の空間を埋めるように発生している、あの白い腐朽菌の菌体細胞を食べることなわけです。厳密にはチップ材も同時に少しづつは食べてはいます。がしかし、それは限定的で、口器を通るサイズのみなのです。顎で摘んで、それが口を通らないサイズだと判ると、幼虫はそれを即座に周辺に打っちゃってしまいます。それを一々噛み砕いて小さくして食べるなんていう面倒なことはしないんです。目前に在る食べ易い物から先に食べてしまう。極めて合理的なのです。わたしたち、人のように、美味しい物は後回し、なんてことはしないのです。
 つまり、本来のメインの餌材は腐朽菌の菌体細胞であって、木材は副次的な二次餌材と考えると、この問題をスッキリ飲み込めるかと思います。要するに、木材については腐朽菌によって分解されたもの——リグニンが分解されたセルロース——であれば、幼虫はセルロース分解酵素を持った共生酵母菌を体内に保菌しているので、酵母菌の酵素分解の力を借りて栄養吸収することができますが、分解前の木材は食べても消化できない資材なわけです。実際、生オガやチップ材を培地として植菌された菌糸瓶の場合、実使用される段階では培地は未分解状態で、使用終了時点でもその殆どは未分解のまま廃棄処分されていると考えられます。
 考えてみてください、もしも、幼虫が木材を主な餌としているのならば、自然下の天然材では、成虫に成るまでの住処でもある腐朽材を食べ尽くしてしまうことになります。それは、安全な住処を自ら打ち壊してしまうことと同義なのです。これは本末転倒です。少なくとも、成虫に成るまでは住処は保全しておかねばなりません。実際、採集材を観察しますと、幼虫の移動した坑道に詰め込まれた糞、つまり、食痕は坑道内に非常に固く詰められており、最終的に空洞は幼虫の居所(蛹室)だけなのです。これは、元の木材の質量が僅かしか減っていないということを示しています。この意味するところは容易にご理解いただけるでしょう。

培地は炭素基材である

 オオクワガタは腐朽菌との共存が大前提で進化したクワガタなのです。従って、本来、腐朽菌の存在しない木材中では幼虫は育ちません。木材は炭素源であり、腐朽菌の餌となり、木材を酵素分解しながら腐朽菌が増殖します。オオクワガタの幼虫は腐朽菌の体細胞を食べて栄養にし、一緒に食べた木材と糞を母材である木材中に戻すことで腐朽菌に窒素還元するのです。これによって自然下の天然腐朽材中では共存共生が成り立っています。これには共生酵母菌も関わっています。
 要するに、木材は炭素基材であり母材です。これは、そのまま幼虫が食べて体内の消化器官内を通り抜けても、何の栄養にもならない高分子体素材でしかありません。分子サイズが大き過ぎて幼虫には分解吸収することができないからです。その分解という仕事ができるのが腐朽菌であり酵母菌なのですが、実は菌糸瓶飼育という限定的な質量と実使用の時間枠では、実際はそれら殆どが未分解のままだということなのです。
 腐朽菌の菌体細胞と木材由来のセルロースの栄養素を考えますと、幼虫の体を作るために必要なタンパク質は圧倒的に腐朽菌の細胞壁に多いと判断してよいかと思われます。成虫の外骨格を作る為のキチンも腐朽菌の細胞壁に豊富に含まれています。一方、セルロースから得られるのは専らグルコース。つまり、エネルギー源です。がしかし、実はここから更にタンパク質(アミノ酸)を合成できるのが酵母菌なのです。従って、酵母菌を含めた三者による共利共生循環が上手くいけば、天然腐朽材中では木材を母材とした炭素からの分解が良好に進行し、幼虫の必要とする栄養素として供給され続ける分解のサイクルが成り立っています。がしかし、人工的にこれを再現した菌糸瓶飼育ではそれが不完全なのです。それは、分母である母材の炭素源が有限であることから、分解が進行するにつれて環境の変化(言い換えればC/N比)が急変してしまうからです。
 例えば、3令幼虫に3ヶ月ほど使用した市販1500cc容量の菌糸瓶の状態を観察しますと、培地のかなりの量が減っていることが確認できると思います。この分量は幼虫が食べた分だと勘違いしてしまうと思います。が、その判断は間違っています。実は、元のオガ材の分量は殆ど減っていないのです。木材の容積率に対して、元々、オガ材の総量(充填量)が少なかったというだけのことなのです。

代替可能な炭素源

 ということで、パルプ材は代替可能な良質な炭素源として応用可能だということで、わたしは鋭意オリジナル菌糸瓶培地基材として使用しているということです。
 多くのクワガタ・ブリーダーは未だに天然オガ材の質に拘っておられます。例えば、ブナやクヌギなどの天然紅葉樹の種類で成虫の肌艶に違いが出ると仰います。木材によって栄養が異なるからだそうです。木に栄養? ……それらの言説には何らエビデンスがありません。飼育者の主観による誤った認識です。わたしも独自に研究を始める前の最初の頃はそのような認識でしたから、そのお気持ちに関しては十分に理解ができるのですが、今のわたしがそれは意味がありませんよと言い切れるのは、上述のように、単純に炭素源母材としての意味しか無いということが実験によって解ったからに他なりません。そして、わたしがパルプ菌糸で育てたオオクワガタ成虫を見て、その人が例え専門家であっても、その事実を見破れる人などこの世に居ないと思います。何故なら、木材培地で育てた成虫となんら変わる特徴など無いからです。そして、それらの成虫はまったく健全な個体なのです。
 解り易く喩えると、「コーンに乗ったアイスクリームのようなもの」と言えばどうでしょうか。無論、メインはアイスクリーム(腐朽菌体細胞)で、コーンが培地である木材などの基材です。アイスだけ食べてコーンは捨てる女子、よく見かけますよね。まあ、コーンは便宜的なアイスを食べるための「持ち手」と考えれば、別に食べなくても良いと言えば良いのです。でも、コーンも勿論食べられます。そして、コーンは小麦が原料であっても、お米が原料であっても、それを然程気にする人は居ないでしょう。そして、アイスは主に糖質と脂質が殆どではありますが、タンパク質も豊富。おもしろいことに、コーンはやはり炭素(炭水化物)なのです。

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