観察力が基本
育ち盛りの3令初期の♂です。
人間で言えば中学一年生という年頃でしょうか。正に食べ盛り、育ち盛り、伸び盛りの頃合いで、とても状態が良い健全な幼虫です。
上の画像をじっくりご覧ください。
さて、何かお気づきになったところはありますでしょうか?
ありませんか? 無ければ無いで結構です。
では、下のわたしがマークUPしたところをよく見てみてください。
赤枠で囲った部分に何か在りますよね? これが何だか判りますか?
これ、腐朽菌の子実体の原基です。
このような子実体は菌体膜の張った部分とそれを幼虫が食い破って食痕(糞)で埋まった境目によく発生します。これは、幼虫の糞に含まれる窒素が腐朽菌の栄養になっていることで子実体が発生し易いのだとわたしは考察しています。野外採集での天然材でも子実体の発生している直下に幼虫が居ることはよくあります。がしかし、天然材では辺材内に子実体が発生することは無く、樹皮から天空に向けて発生します。同様に辺材内で幼虫の食痕が子実体の発生を誘発しているものとわたしは考えているのですが、菌糸瓶の場合、このようにボトルの内壁面に発生することが多いです。それは、隙間(空間)ができ易い部分だからです。菌糸瓶のボトル詰めでは培地痩せはどうしても生じてしまうので、そこを目掛けて子実体が発生してしまうのです。腐朽菌の子実体発生は、基本的には適正気温・湿度に合致したときですが、そのような場合の培地の上面からの発生は無くとも、このような培地内での発生は幼虫による培地掻き混ぜショックや一時的な局所的富栄養化によって度々起こるのです。
何れにせよ、このように腐朽菌と幼虫との間に共利共生が成立していて、お互いに栄養を還元し合っているというわけです。
幼虫は子実体を食べないと言われるが
そう、インセクト業界の通説では、「幼虫はキノコは食べません。菌糸を食べて育つのです」と言われてますよね。YouTubeでも販売業者さんやインセクト・ショップの店員さんもそう説明されています。初心者や子供たちを対象にした動画で自信有り気にそうきっぱり言い切られるのですが、でも、それは伝聞による知識でしかありません。何故か、彼らは自分で確かめることもなく無責任にそれをそのまま人に教えようとします。彼らは観察眼に乏しく無知なので信用できないのです。
幼虫はキノコを食べます。というか、大好きなのです。かく言うこの画像の幼虫も、子実体目掛けて移動しているところを撮影したものなのです。これは何もこの個体に限った稀有な例ではなく、わたしはこれまでに幾度となく子実体を食べる幼虫を確認しています。というか、逆に食べない幼虫は居ないのです。そして、これはどうやら、偶々そこに生えていたから食べたということではなく、幼虫には子実体の発生が察知できるらしく、明らかに子実体の発生場所目掛けて移動するのです。つまり、選択的に行動している。そして上手に食べ切ります。
これは、我々がキノコの子実体を食べるのと同じなわけですが、実は、人と違って幼虫には子実体に含まれる栄養素の殆どを消化吸収はできない筈なのですよね。でも、食べる、と。実際にどこまでの栄養素を摂り込めるのかはわたしも詳しくは調べていないのですが、とにかく食べる。これは事実です。
さて、子実体を食べると大きく育つのかどうかがブリーダーにとっては最も気に掛かるところだと思うのですが、わたしのこれまでの観察では子実体を沢山食べたからと言って幼虫に何ら有意差は無いと思われるのです。幼虫の子実体食を発見した最初の頃は大いに期待したものですけれども。まあ、でも、幼虫は子実体を食べる。せっかく腐朽菌からいただいた栄養を糞で還元してお返ししたのに、その結実さえも幼虫は結局無慈悲に食べてしまう(笑)。謎です。
通説と定説はその殆どが嘘
このように、独自の観察眼で新たな発見はあるんですよね。そして、通説や定説は極めて怪しいということが解るのです。
観察は時間の努力でありますが、観察眼はセンスでもあると思うんです。ファッションと同じで、センスのある人と無い人では服を身につけたときのお洒落さには差が出ますよね。高級な服を身につけたとしてもセンスの無い人の着こなしはありきたり。でも、センスのある人は少ない予算で揃えた服であってもお洒落な着こなしをするものです。なので、観察眼を磨くことが大事だとわたしは思うのです。それは、目の付け所とでも言いましょうか。何にしても、目の付け所の良い人というのは常人には見つけられない何かしらを見出す達人なのです。
疑問を持つ癖をつける
もう一つはこれです。「それは何故なんだ?」と。疑問が浮かんでそれが気になると、自分で解明したくなるものです。それが学びの動機になります。解らないものは調べる。誰も教えてくれないものは自分で調べる。そして、解った事実を整理して自分なりに仮説を立ててみる。そして、答えを究明する。この一連の流れを自分でとことん実行してみること。練習だと思って。その繰り返しをしているうちに自分にしか見えないものが見えてくるんです。不思議なことに。これが学びの本当の醍醐味なのではないのかとわたしは思うのです。
ただ、ペットとしてオオクワガタを飼育するだけではなく、生物としてのその不思議さに触れて、解らないことを自分自身で究明してみるそのおもしろさを味わってもらいたいと思い、このnoteの投稿も執筆しているところです。他人の言説をそのまま鵜呑みにせず、真に受けないことです。自分の疑問は自分の疑問。その疑問に対して決着をつけるのも自分。自己完結。そういう独立独歩の姿勢、大事だとわたしは思うのですよ。これがKYOGOKU流の極意です。
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