『日常の言葉たち』を書いてみる(「韓国・〇〇・日本を読む」企画①)
専門分野の異なる4名の書き手(キム・ウォニョン、キム・ソヨン、イギル・ボラ、チェ・テギュ)が、16の日常的な単語について綴ったエッセイ集、『日常の言葉たち 似ているようで違うわたしたちの物語の幕を開ける16の単語』(牧野美加訳, 葉々社,2024)で挙げられている単語をもとに、60分で短い文章を書いてみる。
書き手
白橋つむぐ(https://tsumugushirahashi.com)
m(https://www.instagram.com/minamimado.so/)
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この企画は京都市の書庫兼図書室、「共同書庫」による本読み会「韓国・〇〇・日本を読む」の一環として行ったものです。
会の詳細については以下のnoteをご覧ください。
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手順
① 16の単語について、連想することを書き出してみる。(20分)
② 書いた単語、思ったことについて参加者で話す。
③ 16の単語から3つを選び、文章を書いてみる。(60分)
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1-1 テレビ (白橋つむぐ)
テレビは非日常。私が幼い頃に、離乳食を食べながらテレビに興味津々で、ボロボロこぼしたんだか、食い気味に見過ぎて箸が進んでいなかったんだか知らないけれど、怒った父親がテレビを段ボールに片してしまった。以降家庭にテレビはない。祖父母の家に行くとテレビとパソコンがあって、わくわくしていたのを覚えている。
小学校での友人たちの話題はテレビについてのあれやこれやが多くて、あのバラエティがどうのとかドラマがどうだとかいう話が飛び交っていてもよくわからなかったけど、あまり寂しくはなかったような気がする。ワイワイしている空気を吸ってにこにこしていた気がする。それに対して、今は私が知らない話で盛り上がられると面白くないと感じる。いつからこうなったんだろうか。わからないな。昔は多分、「テレビを知らない」という自分の希少さを誇らしく思っていた。そんな節がある。私はそういう子だった。孤高の私を楽しんでいたのだと思う。
家にテレビがなくて良かったと、受験期には感じていた。だって刺激が多すぎるんだもん。私はよくぐったりしているけれど、ぐったりしているときにテレビって悪魔的な相性の良さを発揮してくれちゃうから、永遠にぐったりできてしまう。そんな際限のない端末がなくて良かったと、スマホも持たず、勉強用のタブレットには親に頼み込んで機能制限をかけていた当時は思っていたけれど、解放された今はあらゆる端末がそれを代替してくれている。
最近談話室にテレビが導入された。どのチャンネルで何が再生されているか知っていたり、どの番組をみたいとか言って盛り上がったりしているみんなに少し疎外感を抱くこともあるのだ。そんな画面にみんな食い入ってないでさ、もうちょっと私に関心を向けてよ、話そうよって寂しくなったことが、最近あった。寂しがり屋がすぎるね。1人で作業をするなり、一緒に番組を見て手を叩いて笑ったりすればいいのにさ。
1-2 テレビ (m)
生まれてから8歳まで住んでいたマンションにはブラウン管のテレビがあった。各辺30cmくらいの、灰色の分厚い箱。カーブのかかった液晶画面。
当時の家のことを思い出すとき、そのテレビがあった一角の画像が頭に浮かぶ。テレビ、テレビが置かれていた銀色のラック、テレビに対して垂直に置かれていた灰色のソファ。
記憶の中のテレビには何も映っていない。そもそも、あのテレビを見た記憶がほとんどない。両親はそもそもあまりテレビを見ない人たちだったし、私は放課後は学童保育へ通っていて、その当時は家に1人になることがなかった。幼い頃のテレビに関する記憶だけを探ってみると、正月に祖母の家のテレビ(薄型だった)で見た特番やら、時折兄ともども預けられていた知人の家のテレビ(かなり大型で、背丈の半分くらいあった気がする)で見た子供向けのバラエティなどが思い浮かぶ。
家のテレビで何を見ていたか全く思い出せないにもかかわらず、その空間にまつわる第一のイメージが、そのテレビを含む一角である、というのは不思議なことだ。アイランドキッチン、金魚の水槽、ドミノ、お風呂場、マンションの前の遊歩道、そういったものの前に、まずあの灰色の箱が思い浮かぶ。
誰も見ていないし、何も映していないのに、リビングに居座り続ける物体が印象に残っていたのだろうか。どうにも解決しようのない謎である。
2-1 本(白橋つむぐ)
本は好きだけれど、好きだということには少し恥じらいを感じる。「最近はどんな本を読んだの?」、「どんな本が好きなの?」と問われたときに、読んだ本を並べ立てるような答え方をしてしまうことがしばしばあって、その度に、発した自分の声を聞きながら情けないなと思う。読んだ本を積み上げること、本棚に並べる本の数を増やすこと、そこに達成感を持ってしまう自分があまり好きでない。本を数として、量的なものとしか捉えられていなくて、貧しく思う。けれど、そうしてしまうことが多い。最近、あまりゆっくりと本を読むことができていない。いつもどこか焦っていて、本を読んでいるときにも読まなければならない本に思いを馳せてそわそわしてしまうのだ。ゆっくり本を読みたい。
図書館や本屋が好きだ。ものとして美しい本がたくさん並んでいるとそれだけで嬉しくなる。大学図書館の蔵書検索をしている時間も好きだ。こうした好きの気持ちは、多分コレクションの欲求なのだと思う。
本を読むのは、それをネタに人と喋りたいからだったりする。読書会があるから、気になる素敵なあの人とお話ができる。あの本を読んだから、「私もその本を知っています」と話すことができる。これは、とても道具的な読書で、本分から言えばズレたものなのだろうけれど、こうした背伸びをしている自分を可愛いと思ったりもする。
そういえば、小学生のときに「物語を作ろう」の課題があった。私は当時大真面目に、図書館をモチーフにした、今思えばあまり面白くない物語を原稿用紙に書き殴っていた。主人公の名前を覚えている。名は「小夜時雨」だった。いかにも小学生が好きそうな語感だと、「さよしぐれ」の自動変換の結果を見て少し笑った。小学校のときは図書室に入り浸ってた。物語世界に胸を踊らせることが好きだったし、司書の先生から「本の虫だね」と言われて得意になっていた。得意になっていたと言ってしまうと当時の自分を馬鹿にしている感じになるけれど、ちゃんと本は好きだった。『獣の奏者』を読んで最終巻のグロテスクさに具合が悪くなったことも、『ぼくら』シリーズの生々しい殺人とかぐちゃっとした人の感情に触れて夜のトイレに行くのが苦手だったことも、友人に勧められた有川浩の『植物図鑑』をセクシーさにもじもじしながら楽しんだことも、『4と1/2探偵団』が日本では5巻までしか訳されていなくてドイツ語を勉強しなきゃと思ったことも、覚えている。そのくらいには本が好きだった。
あとは、漫画が好きだった。実家には段ボール8, 9箱分くらいに詰め込んだままの漫画がある。お小遣いがない家だったから、お年玉を計画的に使って毎月新刊を4冊ずつくらい買っていた。ジャンプっ子だったけれど、なんとなく本誌を買うとかさばってしまうし、単行本の方が綺麗で、揃えてうっとりできるものだったから、とうとう雑誌を買うことはなかった。幼稚園生の時はピッコロさんが死んで涙して、父親に泣きながら報告した。ドラえもんの教育系漫画シリーズは漫画部分しか読んでいなくて、細かな文字で書かれている解説には一切目を通さなかった。祖父母が賢い子だと褒めてくれる理由はしばらく理解できなかった。「だって読んでるのはドラえもんの漫画だよ?」って。
人の読んでる本って気になる。以前「何読んでんの?」って聞いたら、その子に対してこれまで聞きすぎてしまっていたようで、少し嫌がられちゃった。ごめんね、もうしません。
2-2 本(m)
「共同書庫」をつくるまで、読みたい本は図書館で借りることがほとんどだったので、本は私のもとに一時的に滞在し、そしてまた然るべき場所へ帰っていく存在だった。装丁などの好みはあるにせよ、ある種情報装置のようなものとして捉えていた。しかし物件を借りて書庫をつくる、という行為の中で、本とは物体なのだと度々思わされた。
たとえば本棚の設計をするときには、本の重量に耐えうるもの、本のスケールと合致するものを作らなければならない。できた本棚に本を並べるときにはサイズ、色彩、隣の本との兼ね合いを考えなくてはならない。書庫へ本を運ぶとき、書庫から出すときには、その重量や大きさを意識しなければならない。
「物」として意識し始めると、それらが「物」としての形を失う状況を考えてしまうようになる。
具体的には、本が燃えるとき。今私を取り囲んでいる本が、なんらかの原因によって灰塵と化してしまうこと……。想像しただけでも背筋がすうっと冷える心地がする。
数ヶ月前、武田泰淳の評論集『滅亡について』に入っていたあるエッセイを読んだ。日本軍の一兵卒として中国の農村へ渡ったときの記録として書かれたものだ。その中に、ごく自然に、本を焼く場面が出てくる。「本を焼く」、という衝撃的な行為について書いてはいるものの、そこに悔恨や恍惚などの感情は含まれず、淡々と情景が語られる。打ち捨てられた邸宅に本が残されていた。焚き火をするために、本を焼いた。それだけである。
東京帝国大学で中国文学について学んでいた武田泰淳が、日本の兵士として中国語の本を焼くときに何も思わなかったはずはないが、この冷静な語り口は戦時中に発表されたことに起因するのか。それとも自分の行いをドラマティックに描写することにためらいがあったのか。
「本を焼く」ことについては今後も書庫で取り扱っていきたいテーマだと思っている。
3-1 待つこと(白橋つむぐ)
待つって、すごいことだと思う。子どもがご飯を待つことができるのは、保育園で親を待つことができるのは、その先でご飯を出してくれることを、迎えに来てくれることを、確信できるからなのだと思う。そうじゃなきゃ、待つなんてできない。その先への信頼があるからできる、すごい行為だと思う。私が結局うまくいかなかったのは、待つことが途方もないことのように感じられてしまって、心が折れてしまったから。悲しいけれど、仕方のないことだと思うことにしている。
待ち合わせで人を待つことも、遅れた電車を待つことも、嫌いではない。本を持っていれば、イヤホンを持っていれば、時間なんていくらでも過ごせると思っている。でも、そう思えるときは私の心に余裕があるときだけで、何かに追われているいるときはじれったさにイライラしてしまう。待つことができないときに、私の貧しさに悲しくなるけれど、それはそれでその時の自分にとっては仕方のないことなのだろうなとも思う。けれどそれを許せないのもまた仕方のないことだと思う。
終わりを待つのは悲しい。小学校から大学まで、私は大抵授業の終わりをずっと待っている。終わらなければいいのにと思った記憶はない、気がする。これは最近の記憶に上書きされてしまっているだけのような気もするけれど。時計をちらちらと見ながら、腰や首の痛みにげんなりしている時間は嫌い。こういう待つは嫌い。
文字でのやり取りは苦手。言葉を尽くそうと思うと何度も確認しないといけなくて、その強迫性にすごく疲れてしまう。それでも、LINEの返信は速い方だと思う。それは、よく開いてしまうから。手持ちぶさたな時間があればすぐに確認してしまうから。だからLINEに関して言えば、私は待っている時間が長い。既読がつくのを、そこから返事が来ることを、ずっと待っている。待ちの度合いがすごくなると、あまり何も手につかなくなってしまう。何をしているのって聞かれて、「待っているの」と答えたくなるくらい、誰かを待っているだけで何もできないままに時間が過ぎていくことが、よくある。逆に、メールとか紙の手紙は待たせてしまうことが多い。それを用意するにはLINEよりも気合いが必要だから。そして、待たせてしまっていることに申し訳なさを感じて疲弊してしまう。あるいは、返さなきゃいけないの念に苦しくなって疲弊してしまう。だから、やり取りをする相手があまり多くない方が健康的だと思うのだけれど、返信に追われている人を見ると、そうでない私がひどく寂しく感じられるからなんなんだよと思う。面倒くさい、私。
2024年の年末に曲を書いて投稿した。タイトルは「待つ」。内容は、歌詞を練るけれどなかなかいい言葉が出てこないなあと悶々と散歩する人の話。あまり練らずにスッと出てくる言葉とか旋律とかの方がいいものなのだとは思うけど、口ぐせとか手ぐせでやりすぎると似たり寄ったりになっちゃうから、こねくり回すことが多い。そして結果として、最後の1ピースを待つんだと言って半年以上眠らせている曲が……。ひどいと4年くらい寝かせている。この場合、「待つ」は逃げの言葉。今年は積んでるデモを完成させるか思い切って捨てるかする一年にしたい。待ってばかりじゃなくて、とりあえずこちらから手を伸ばして触れるところまでを形にしたい。
3-2 待つこと(m)
待っている人のために建築をつくるとして、それはどのようなものであるべきか?
誰が誰を(何を)待っているのか。どれくらい待っているのか。待っている者が訪れたあと、どこへ向かうのか。
色々な設定が考えられるけれど、私は柱がいいと思う。
待つための柱。
まっすぐ立っている柱。
「待っている人」がもたれかかり、うろうろとまわりを歩くための柱。
形。角のない円柱がよい。背中を預けるのにちょうどよいし、何人かの「待っている人」がカーブに沿って並んでいる姿は素敵だと思う。それと、カーブから待っていた相手の姿があらわれたら嬉しいと思う。多分。
大きさ。直径80-100cmくらいの、駅の改札にある柱みたいなものでもいいけれど、太くてもいい。昭和のドラマで見たように、相手が裏側にいたら出会えないなんてこともあるかもしれない。今は携帯があるから大丈夫か。
数。広い場所に1本でもいいし、林のように何十本も立っていてもいい。
触り心地。コンクリート。ほどよいつめたさを保っていてほしい。
待つための柱があれば、座り心地のよい椅子は必要がない。「待っている人」はあくまで一時的にその空間にいるだけであって、相手があらわれたら、すぐにでも歩き出せるような姿勢にあるべきだ。腰を落ち着けてしまったら、もはやその人は純粋な「待っている人」ではなくなってしまう気がする。