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【47エディターズ特別編第3弾】二度と同じ悲劇を生まないために。再審無罪の袴田巌さんがたどった苦難の道を知る
こんにちは。大阪支社アカウント運営担当(S)です。注目ニュースの背景や、知られていなかった秘話、身の回りの素朴な疑問を深掘りした共同通信のインターネット向け記事「47リポーターズ」。担当デスクがその舞台裏を振り返る【47エディターズ】の特別編第3弾として、今回は名古屋支社編集部からお送りします。
執筆は酒井沙知子デスク。管内の静岡を舞台にした再審無罪事件で、多くの47リポーターズを手がけてきました。
こんにちは。共同通信名古屋編集部デスクの酒井と申します。
今回紹介するのは、静岡支局の記者たちが袴田巌さんについてまとめた記事です。
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袴田さんをご存じでしょうか。現在88歳。その人生は壮絶です。今から半世紀以上も前の1966年、30歳の時に、静岡県で発生した一家4人殺害事件で逮捕され、無実を訴えるも、死刑が確定してしまいます。48年間拘置所で過ごし、2014年に釈放され、2024年9月に「再審」と呼ばれるやり直しの裁判でようやく無罪となった方です。長い獄中生活のため、拘禁症状と呼ばれる病気を患い、今も意思疎通が難しい状況です。
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この拘禁症状、読者の方はなかなかイメージしづらいかもしれません。私(酒井)は2014年に、東京で開かれた集会に出席した袴田さんを取材したことがあります。静岡地裁で裁判やり直しが相当だとする「再審開始決定」が出た後のタイミングでした。「神」など一つ一つの言葉の意味は分かるのですが、全体として意味をなさない内容が続きました。
時間がたてばよくなるという見方もありましたが、2024年春から袴田さんの取材を担当している柳沢希望記者に聞いたところ、釈放から10年以上たっても状態はそれほど変わっていないとのこと。自由を得ても、妄想の世界にあり続ける冤罪の恐ろしさをなんとか記事にできないか、柳沢記者が書いた記事がこちらです。
袴田さんは釈放後、子どもの頃から支え合ってきた姉・ひで子さんの家で暮らしています。袴田さんを死刑とした裁判をやり直す再審は2023年10月に始まりました。
柳沢記者が袴田さん担当となった2024年春には実質的な審理が全て終わり、検察がどういった刑がふさわしいかを述べる「求刑」や、袴田さん側が最終的な意見を述べる「最終弁論」を残すのみとなっていました。難しいタイミングでしたが、柳沢記者は支援者らの信頼を得て自宅での取材を重ねました。
袴田さんは1980年に死刑が確定し、ずっと裁判のやり直しを求めてきました。静岡支局には、歴代の担当記者がひで子さんや支援者から提供を受けた資料が集められていました。このうち、柳沢記者の前任に当たる今井咲帆記者は、袴田さんのとある手紙に着目しました。獄中からひで子さんら家族や支援者に出していたもので、それをまとめた記事がこちらです。
ぜひ見てもらいたいのが、袴田さんの筆跡です。袴田さんは獄中でペン習字を習ったそうです。美しく読みやすい字は死刑確定後、判読しづらい独特の筆跡に変わっていき、「電波」や「神」という言葉で埋め尽くされるようになっていきます。
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2024年9月。袴田さんの半世紀以上の闘いに終止符を打った再審判決の言い渡しを前に、柳沢記者ら静岡支局記者は袴田さんがたどった苦難の道や、残された問題を探る記事を出しました。上下2回続きの記事がこちらです。
実は、袴田さんは逮捕後、いったん自分が罪を犯したと認める「自白」をしています。連日、取り調べの警察官がひどい言葉を投げつけ、罪を認めるよう迫る過酷な取り調べが続き、後年見つかった取り調べの録音テープには、取調室に小便器を持ち込んで袴田さんに用を足させる様子も記録されていました。
現代ではこんなことはないはず。そう思いたいところですが、ミュージシャンの土井佑輔さんが語る実体験はそれを見事に否定します。
土井さんはコンビニでの窃盗事件で2012年に逮捕されました。300日以上拘束された末に無罪となり、真犯人が見つかっています。逮捕された際、取調官から侮辱的な言葉を投げつけられ、うそをつかれ、自白を迫られたと言います。警察や検察の問題のある取り調べが発覚したとのニュースは後を絶ちません。「あなたも当事者になる」。土井さんの言葉です。
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再審判決の前に、1966年8月の袴田さん逮捕から、1968年9月に静岡地裁で死刑判決が言い渡されるまでの新聞記事を読み直しました。どの新聞も「袴田」と呼び捨てにし、逮捕で「事件は解決した」と書いたものもありました。袴田さんやご家族を苦しめた責任をメディアも免れないと痛感しました。
名実ともにようやく自由を取り戻した袴田さんと姉ひで子さんの穏やかな暮らしが1日でも長く続くことを祈り、袴田さんのような悲劇を二度と生まないよう、記者たちと取材を続けたいと思います。