1・17の神戸で語られたこと 阪神大震災28年
1月17日、6434人が犠牲になった「阪神大震災」は発生から28年がたちました。兵庫県内各地では追悼行事が営まれ、共同通信の記者も現地で取材しました。
例年、特に多くの人が訪れるのが犠牲者の氏名を刻んだ「慰霊と復興のモニュメント」がある神戸市の東遊園地です。
各地から寄せられたメッセージ入りの紙灯籠を見て、静かに手を合わせる人々。亡くなった家族のことを語り合う遺族。
この日、私たちが見た光景と、耳にした言葉。その一部をお伝えします。
(神戸支局・森脇江介)
地震発生時刻の午前5時46分に合わせて実施された追悼式典では、震災で長女の志乃さん=当時(20)=を亡くした上野政志さん(75)が遺族代表の言葉を述べました。
スピーチに込めたのは娘への思いと、生きることの意味、語り継いでいくことの大切さ。
「私の話や聞いてくれた人の様子について、娘に感想を聞いてみたいな。完璧ではなかったけれど、きっと『大丈夫』と言ってくれると思う」。
式典を終えた後、少しほっとした表情で話してくれました。
犠牲になった方、一人一人の名前を刻んだ銘板は「慰霊と復興のモニュメント」の地下にある瞑想空間の壁に並んでいます。
亡くなった人の家族、友人、地域の子どもたち。この日はたくさんの人が訪れました。
「厳しいけど優しい親やったね」「これがおじいちゃんの名前だよ」。故人の名前を見つけて、思い出を語り合っていました。
地上と地下をつなぐ出入り口は2カ所。一つは細い階段で、もう一つは緩やかなスロープになっています。スロープの壁面には、震災当時の写真も掲示されており、夕方になると「何回見てもつらい」という声も聞こえてきました。
瞑想空間に3人の女の子を連れた女性がいました。神戸市灘区に住む岩波多岐さん(38)。銘板に刻まれた名前を見つめながら「一人一人に家族がいるんだよ。みんな生きたくても生きられなかったんだよ」と語りかけていました。
どなたかのご家族ですか―。声をかけた記者に岩波さんはこう話してくれました。
「親族や知人の名前があるわけではないんです。でも毎年来ています。神戸に住んでいる以上、親としては娘たちに伝えないといけないと思って」。
犠牲者を追悼する「1.17のつどい」は市民団体が主催しており、費用の多くは募金で賄われています。震災を経験していない世代が増える中、こうした行事をどのように継続していくのかが課題になっています。
東遊園地に設置された募金箱の前に、つどいの運営に携わる俳優の堀内正美さん(72)の姿がありました。来場者に声をかけ、震災の教訓や語り継ぐことの意味を語る堀内さん。
「コロナの影響で来場者が減り、募金にも影響がありました。でも、たとえろうそく1本、竹灯籠1本になったとしても、募金という市民の自発的な活動で、追悼と継承を続けていくことが大事なんです」。
震災から28年。「つどい」の光景は、少しずつ変化しています。
「若い人、震災を経験していない人も来てくれるようになりました。この行事は世代を超えた、みんなのつどいなんです。追悼だけではなく、継承のための場でもあってほしいと思います」。
堀内さんの期待に応えるように、午後5時46分、この日2度目の黙とうの際は、地元で生まれ育った藤原祐弥さん(20)がマイクを握りました。
「若い世代がどんどん前に出て語り継いでいきたい」
28年目の東遊園地で聞いた藤原さんの言葉に、私は力強さを感じました。
一夜明けた18日午前、再び東遊園地を訪れると、ボランティアの人たちが竹灯籠や紙灯籠を片付けていました。よく晴れた空の下、数十人が声をかけ合いながら手際良く運んでいきます。
広い敷地内に並べられた灯籠の数は約1万本。多くの人々が集まり、悼み、語り合う場は、こうした方々の地道な活動に支えられています。
その場にいた「つどい」の実行委員長、藤本真一さん(38)に話を聴くことができました。
「震災はつらく悲しい記憶だけど、このつどいには来て良かったと思ってほしいですね。震災を経験した人もいつかはいなくなってしまいます。それでも、100年後まで続いているような行事になるよう、また来年に向けて頑張りますよ」
大きな仕事とやり遂げた充実感と、次に向かって動き出そうという決意。はきはきと語る藤本さんの表情に、そんな思いが見て取れました。
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