評⑪鈴木忠志『世界の果てからこんにちはⅡ』の脚@吉祥寺シアター4000円
ひょんなことからチラシを手に入れ、まだ空いてる日があったので行く。
鈴木忠志『世界の果てからこんにちはⅡ』@吉祥寺シアター、全席指定4000円。芝居1時間、鈴木トーク2時間。SCOT(Suzuki Company of Toga)。ここ武蔵野市と、SCOT拠点の富山・利賀村が友好都市の縁で、SCOTが劇場代負担しない(?)(by鈴木トーク)でその分料金安いとかなのか。
鈴木本人がトークで「他人が言うが」と言及したが、赤テント唐十郎、寺山修司と来て鈴木忠志を入れて「アングラ御三家」(黒テントの佐藤信を入れて「アングラ四天王」と言う呼び方も)。
2019年の富山・利賀村「シアター・オリンピックス」以来
と言っても、別に昔は芝居など見ていない人は、唐、寺山を耳にしたことがあるくらいが普通。そんな自分の。鈴木作品は、2019年にSCOTの拠点である富山・利賀村で開催されたシアターオリンピックスを観にいったのがお初だ。コロナなど考えもしない時だった(!)。
……が、オリンピックスと銘打つだけあって、鈴木作品以外にもいろいろ観たし、磯崎新設計の野外劇場や屋外の天候変化(雨だの寒いだの虫だの)などに気をとられて(興奮もしたか)、「世界の果てからこんにちはⅠ」では、車いすみたいなもので足を動かす集団と花火を観た記憶しかない。客席から舞台まで結構あったし。うん、でも、実は芝居ってそんなものでもいいかもしれんね。とも思うが、格式張って座るんじゃなくて。。
車いすみたいなのに乗った人、筋だつふくらはぎ
で、今回は吉祥寺シアター。やや大きめのブラックボックス。新国立小劇場の似た感じというか。テント芝居のノリで、一応後方も開く。
で、観る。おお、今回は客席から舞台近いし、屋内で落ち着いて見られるぞ。出てきた出てきた、車いすみたいなのに乗った人たちが。
最初に目を奪われるのは、車いすみたいなのに乗った人の裸足の脚、膝から下、ふくらはぎが前面から筋肉で筋だっていることだ。出てくる人出てくる人、男はもちろん、女も筋だっている。これが下半身を徹底的に鍛える?スズキ・メソッドの賜物か。で、「あんな動きをしたら自分なら足がつってしまうぞえ」みたいな無理な動きも平気でする。ああ、普通の人間の肉体ではない(後で、鈴木ブログを見たらそれでいいそうだ)。
ニッポンジンの連呼
次に印象に残ったのは、「ニッポンジン!」の連呼である。
どうやら、ニッポンとニッポンジンのことを言ってるらしい。筋立てはあまりないみたいだ。一瞬「二ホン」も混ざっていた気がするが。。
わらってはいけないのかな。。
ふーん。と、上演中の9割くらいは役者の脚を見ている。
で、迷ったのが「笑(嗤)っていいのかどうか」だ。みんな、真面目に見ている。時々、内輪笑いみたいなのが、同じ人から何回も聞こえる。不思議な脚をした奇妙な奴らが叫んでいるのだ。こんなの笑う芝居じゃないのか、シーンとして見るものなんか、わからん。。みんな、真面目に見ている。世界のスズキだからか。
ふと、思ったのだが、私の座っている席は段々の上の方で、役者はその段々の下の方の客に視線を向けて叫ぶ。うむ。これでは私のところまで迫力が届かないぞ。利賀村の劇場も段々だったが、こういう場合は段々の傾斜が緩やか方がいいのか(急な方が見やすいが)。
で、笑うタイミングを逸する間に終わった。というか、終わる前に拍手のタイミングかと思って気を逸した後、暗転し、お客は安心したように拍手を始めたのである。ま、いいか。
訓練したプロの脚、ということはわかった
結論。訓練したプロの脚、ということはわかった。
演劇のプロとアマの違いをずっと考えているのだが、少なくともSCOTの劇団員たちは訓練した身体を持つプロ集団であるようだ。それがすべてのやり方ではないが。
その脚が、もう人間の脚ではないというと言い過ぎか。
でも、鈴木ブログでは「普通の身体では伝えられない」趣旨を書いている。多分、それであってそうだ。
プロの身体、プロの一端を確認、プロはアマには戻れない
プロの身体は普通の身体ではない。一例を観た。参考になる。
いったんプロになったらアマには戻れないのではないか。
この後に続く鈴木トークが真髄だったが、それは別に書けるか否か。
ただ、簡潔に言うと、鈴木は戯曲は興味がなく、古今東西の心に残る言葉を、自らのメッセージを送る道具とし、また演劇をそのシステムとして利用する。ギリシャ悲劇はそもそも戯曲ではなく、当時に生きる人々の方向を考えるための「道具」であった。その言葉を発する役者の技術が低いとメッセージを伝えてもしらけてしまうので、スズキメソッドで徹底的に鍛えるし、演劇に没頭できるよう東京を離れている。
そして今回のメッセージは「ニッポンジン、しっかりしろ!」とのこと。