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・今日の周辺 2022年12月のおわりに箒でさっさか


○ 今日の周辺
隣の家が桜の木の枝をおろすと、新年がそこまでやってきている感じがする、私まで髪切ってすっきり、みたいな気分。

やるべきことを済ませてフヅクエに行った。
フヅクエに行ったら必ずいい時間を過ごせる。オートマティックなスムーズさでない、思い浮かぶのはどこか茶道みたいな、静けさの中に息を合わせる感じで程よくリラックスしていられる。
レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』に出会い直す、報告や論文というよりは、手記、紀行文に近い形式、語りに、
「私は旅や探検家が嫌いだ。」って、激しめの戸惑いの吐露からはじまるのが何より読み始めるのに心強い。
とにかく私は人がああでもないこうでもないとぶつくさ言っているのを読むのが好きなんだと思う。
「調査地で話し相手になってくれる人が、どこかへ行ってしまったために過ごす無為な数時間。空腹、疲労、時には病気。その上必ず、数知れない労役のうちに幾日もの日が何もなすことなく蝕まれ、処女林の直中での危険な生活は、軍務のような様相を帯びてくる……。」
そのままの気分で出発の風景に連れていかれる。
ジンジャーミルクはアイスでもホットでも本当美味しい、本を読むたびに頻繁には行けないけれど、大切なときに取っておきたい場所。

それと、12月は風邪をひいた。
微熱が下がらず寒くだるく頭が痛い、喉の痛みなし。念のためと思い病院で検査を受けたけれど陰性で、週末は体を休ませた。
今かと思いNetflixに再登録をして、「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」見始める。
キツツキ  トマト  スイス  子猫  南
風邪の間はウ・ヨンウの世界にどっぷりだった。
2024年にシーズン2やるらしい、本当楽しみ。


○ 整頓の合間に
安田登『あわいの力』『能 650年続いた仕掛けとは』『見えないものを探す旅』続けて読んだ。
3冊の内容と、安田さんの人生と考えてきたことがばっちり重なり合って収録されているのが『あわいの力』なので、これがおすすめ。
どうして安田さんの本ってこんなに読み始めやすいのだろう、先生だからか、ということ以上に語りにすーっと入っていくことのできる導入部の作られ方に気づくことすらなく数十ページ読み進めた頃にハッとする。
日記を書くことや歌をつくること、固定してしまう性質を持つ言葉と変わらずにはいられない身体の関係を考えるのにすごく役立った。

自分に獲得した言語を用いて何かを表すことは、自分の「身についたもの」を手放すことのように感じてる。
だから、1つには私はいろんなことの具体的な側面を自分から忘れるために日記を書いてる。日記を読み返せばまた自分の方にちゃんと戻ってくる。
獲得して理解して手放す、そのことを自分の身体に意識的に繰り返している。
手放す術も一緒に持たないと、私自身が切実な存在になりすぎてしまって身体は重くなる。

文字は1つのことを固定してしまう。けれど、文字は書き換えることもできる。そのことは負の側面として捉えられがちだけれど、
文字の性質に身体を合わせるのではなくて、文字を身体の方に引きつける。だから日記は自分のペースに合わせて書き続けることが必要と思う。

今年を支えてくれた本

今年はボルヘス『詩という仕事について』から始まって、多和田葉子『言葉と歩く日記』、『エクソフォニー』、ウクライナ侵攻が始まって高校倫理の教科書を引っ張り出して読み返したり、ユクスキュル『生物から見た世界』、中山英之『1/1000000000』、その後に伊藤亜紗さんの著書を続けて何冊か読んで、家族がコロナに罹って自宅待機していたときには佐々木健一『美学への招待』、ゴンブリッチ『美術の物語』をもう一度読んだり、斎藤陽道さん、年末は安田登さん、という感じで、大体50冊くらい、1年では1番本を読んだ年になった。主観と客観、能動と受動、利己と利他、その間や混ざり合ったり、行き来することについて考えた1年だったなあ。

来年は、ものを作ることと生活について考えられたらよいなあと思っているところ。
買ったけど読みきれなくて一緒に年を越すことになった本もたくさん。それだけで楽しみ。


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1年の最後にほっとするインタビューを読んだ。

つるつるの床には立っていられないし、
僅かなざらつきや手触り、摩擦、困難が人と人とを結びつけるのなら、
その間にあることは解決しきったりすることがなくて、付き合い続けるならむしろ解決できないことは増えたり、持ち続けることになる。

今年は本当に何本かしか映画館で映画を見れなかったけど、「カモン カモン」は2度見に行った。
2022年6月2日(木)の日記から
あらゆるものが、この映画の世界の一部として認識されているように感じた。同じ街に暮らす一人ひとりの誰もがこの映画の主人公になりうる存在であるかのような、古いも新しいもあらゆるラベルが貼られる前の、普段目にする空や地面、葉の形、それだけでなく、連なる高層ビルや、川を渡る橋、街の形も、たとえば、この星の法則や合理性や価値観を知らない人にとっての不可思議な光景、のような、それはやはりカメラがジェシーに合わせられているように感じたからなんじゃないかと思う。旅行で初めての場所を訪れるということ以前にジェシーにとっての初めての経験、目の前、新しい友人のそばにいるということが心地良い緊張感、注意、期待や興奮、高揚感を湛えながら。


仕事を終えて、これまで使っていたカメラを売って、新しいカメラを買った、
手に余るかもしれない……。

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