始発も通わぬ早朝の繁華街で、花束をぶら下げて歩く人を見た。 スーツ姿のその人は中年から壮年に差し掛かるほどの男性で、右手のビジネスバッグとさも同じ程度の扱いで、しっかと紙に包まれた三角形の手荷物を提げているのだ。然程の厚みも無い、油紙で三方包んで留められた、白く小さな三角形。きっと、多分、スーパーで購う一番小さな仏花の束があのくらいの。 其処に、生花を扱い慣れぬ人間特有の恭しさは無かった。あの花は何処に捧げられるのだろう。 そんな感傷を覚えながら、家路を急いだ。 夏の早朝の
空前のピスタチオブームである。 突然増え始めた印象がある。邂逅は確か三年前の冬の日、時間潰しに偶然入ったカフェで、ピスタチオフレーバーのホットドリンクを「珍しいな」と思いながら美味しく飲んだ。アドベント故に色で採用されたのかと当時は思っていたが、その後もコンビニスイーツ、大手メーカーの駄菓子、洋菓子店にまで、ピスタチオスイーツは増え続け、未だその勢いは衰えを知らない── などという文章を、新発売のpinoのピスタチオ味片手に書いている。コーティングチョコが割れると口いっぱい
檻の如き白い金網越しに、今年のリラを見た。芝を剥がれた大通公園の土埃に紛れて、香りすら届かない。 北国は、なけなしの春を愛する土地である。例え空費するより無かったとしてもそれでも、切望した季節を蹂躙される謂れは無い。 五輪なるものの有り難みを解する日は、私には一生来ないだろう。
私の引越しで最初にこの街を訪れた際、両親は「札幌は新しい街並みと古い街並みが混在しているのが嫌だ」と言った。ぴかぴかのビル群の隙間に開拓時代からの名残が見え隠れするのが汚らしく、目に付くのだと。 我が子の新天地を出足からこき下ろす、まあそういう人々であった。おまけに情緒も解さない。何処に出しても恥ずかしい人たちだと思ったのを、何年経っても不思議と覚えている。根に持つ性格なのである。 旧きを礼賛する気も無ければ、新しきに肩入れするつもりも無く、私はこの街を気に入っている。 死
少し前、自由な社風しか売りの無いとあるブラック企業に勤めた頃から、髪の色をあれこれ替えている。今は暗めの紫。 本当はシルバーを好んでいる。ずっと銀髪で良いとも思っているのだが、何せあれは維持の難しい色だ。特に私は紫シャンプーとやらであまり良いのに当たったことが無く、大体3日ほどで金髪になってしまう。 だから、この春は一旦がっつり黄色みを殺す紫にして、落ち着いた頃合いにまたシルバーにするつもりだ。紫からのシルバーは、やはり少し保ちが良い。 ブリーチは一度やると心理的ハードルが
どうしようもない頭痛持ちである。 世の中には「生まれてこの方物理的刺激以外で頭を痛くした試しが無い」という人も一定数居るらしい。二十歳になるかならないかの頃に出会った、とある40代の女性がそうだった。世の中、あれほど羨ましい人もそう居ない。「この人になりたい」などと思ったのは、後にも先にもあの一回切りである。もう名前も覚えていないが。 私の頭痛には、何種類かある。 その一つが、所謂気象病。それも、気圧が低い時というよりは、短時間に急激に上下するような時に酷くなりがちだ。
「えっ」と声が出たものだ。 カルチャーショックの切欠は、在宅支援で現在無料公開中の漫画であった。「スピナマラダ!」──少々覚えるのに苦労するこのタイトル、かの有名な「ゴールデンカムイ」の作者野田サトル先生によるアイスホッケーを題材とした完結済み漫画だ。 この作中で折に触れ「アイスホッケーはマイナースポーツ」と述べられていることが、狭い世界で育った私には衝撃だったのである。思わず声が出るほどにだ。 以前書いた通り、私の故郷は北のとある田舎町だ。中でも「氷都」と呼ばれる内の
二十歳を過ぎてから、急激に日光に弱くなった。ベランダに洗濯物を干しに出入りする程度の、トータルすれば5分にも満たない日照で手に湿疹が出来る。頭痛がする。 真夏でも肌を一切露出出来ない。サンダル類は必ず靴下付きで履くことになる。長袖に白い綿手袋が必須。そして紫外線100%カットの日傘。春〜秋はこれが無いと外を歩けない。高価な上に非常に人気で、手に入れるにも苦労した品だ。 一度、外せない家族サービスの為に、長時間晴天の屋外でレジャーする羽目になったことがある。傘の大きい麦藁帽
至高のライフハックを伝授されてしまった。食パンを細切れにすれば、短時間で染み染みふわとろフレンチトーストが作れるというものである。 卵に上白糖を入れて溶き、牛乳または豆乳を入れ、食パン(冷凍ままでも可)をサイコロ状に切り、全てを袋に入れて浸す。10分も経てばとろとろ染み染みになるので、フライパンにバターを溶かし、蓋をして弱火でじっくり焼く。 我が家のIHは火力が脆弱だ。しかし細切れのフレンチトーストは引っ繰り返すのも難しい為、仕上げは皿に移して軽く電子レンジで加熱している
前回、折角ホラーにハマった経緯について書いたことだし、この流れで実体験の方も語っておこうと思う。 前回記事↓ この時も、例によって例の如く私は「怖い」と思えなかったのだが、周囲にこの体験を語るとなかなかの確率で「ぞっとした」と言って貰える。だから、多分、これは怖い話である。 私の郷里は北国のとある田舎町で、現在の実家の真裏には鉄路が通っている。生家は借り家で、両親初のマイホームである今の家に入居したのは私が小学校低学年の頃だった。 一人一台マイカーを所持しているのがデ
子供の頃、意味の解らない夢をみた。多分4歳かそこらである。 夢の中も夜であった。御堂のような広い空間に、ざっと20〜30人が寝ている。江戸時代の庶民といった風態の人々だ。私はそれを俯瞰で視ている立場だ。 全員が寝入っている中、暫くすると声が響く。「◯◯が来た」「◯◯が来た」と繰り返し言い募る声だ。(◯◯に入るのは人名) それを聞いて、眠っていた内の一人の男が悲鳴を上げながら飛び起きる…… それだけの夢だ。 矢鱈とよく覚えている。今でも脳裏にはっきりと夢の光景が浮かぶ
ミルクティーが好きである。牛乳の消費が奨励されるより前から、毎日のように飲んでいる。 お紅茶が出て来るような家の育ちではなかったので、子供の頃は牛乳とジュースで育った。精々が高校生の頃、リプトンの紙パック入りフルーツティーを啜ったのが紅茶との出逢いになるだろうか。あれとて、フルーツティーと言うよりは「紅茶フレーバーのするジュース」と呼んだ方が相応しかろうが。 きちんとした紅茶(と言うとリプトンに失礼か)に出逢ったのは二十歳を過ぎてから、中学以来の悪友が突然「紅茶マイスター
写真の通りの街に住んでいる。 年明けから体を壊し、ようやっと落ち着いて来たかというタイミングで外出自粛が降って湧いた。お陰で季節感がまるっと欠落してしまっている。 とっくに春である。新年度が始まっている。根雪は道の隅で塩カル混じりのシャーベット状の塊になっているし、洗濯物を外干ししても凍らなくなった。 北の春には2種類在る。辛うじて冬ではないから取り敢えず春と呼称することにしている、ぼんやりした時期と、夏の直前、競うように花が咲いて散る数日に分けられる。 住んだことが
余りに神経がガタガタな為、ここらで内省というか、メンタルケアを兼ねた文章練習をしてみようと思う。 幸い、人様の有料記事を読む為だけにnoteにアカウントを作ってあった。此処なら誰も私のことを知らない。多分、誰にも気を遣わずに書けると思う。 年々、感情の言語化に時間を要するようになってきた。多分宜しくない傾向だ。 これを打破出来たなら、趣味の小説にももっと身が入るようになるだろう。