自分がいかに相手の反応をうかがいながら、言葉を選んでいたと気づいた、さりげなく的確なひとこと。
先日、泊りがけの用事でのこと。
はじめましての方と同室になった。
冷房の設定温度の好みをめぐって。
夕食まで時間があったので、大浴場でひと息つくことにした。
同室のりょうこさんは、しばらく部屋でのんびりしたいとのこと。
私は荷物をお願いすることにして、エレベータ-に乗った。
1時間ほどのんびりして、部屋に戻った。
体が温まって、ぽかぽかしている。温泉の力ってすごいなあと思いながら、荷物を片付けていた。
…ん、部屋暑くない?
エアコンの設定温度を見ると、浴場に行く前より2℃上がっている。
スイッチ入れたとき、たしか25℃にしたはずだけど…。
そこへ、部屋風呂からりょうこさんが出てきたので、聞いてみた。
「エアコンの温度上げた?」
「うん」
「ひょっとして、冷房苦手?」
「そうなんですよ。つけなくてもいいくらい。」
そうか。苦手か。つけなくてもいいくらいか。
じゃあ、これ以上温度を下げられないなあ。
困ったなあ。
私は涼しい方が好きなのだ。汗ばむくらいの温度より、上着や靴下で調整したり、布団にもぐったりしてちょうどいいくらいが好きなのだ。
でも、このくらいの温度だったら、ぎりぎりなんとかなるかなあ。
頭の中で、体感温度をずっと測っていた。
*******
夕食後、部屋に戻って布団を敷いているとき、りょうこさんが
「寝るときも冷房入れますか?」
と言った。
「普段は入れないの?」
「そうなんです、入れないんですよ。家族には不評だけど。」
そうなのか。今夜どうしよう。
暑いのが気になると、目が冴えてしまう。
どこに落としどころを持って来たらいいんだろう…と考えていたとき、
「冷房つける人とつけない人同士になるように、他の人に聞いて部屋交替しませんか?その方がお互いのためになると思うし。」
と、りょうこさんから提案された。
脳天にガツンときた衝撃。
そうか、こう言えばいいんだ。
りょうこさんは、淡々と自然な口調で話していたから、気づいて腑に落ちたのは次の日だった。
自分だったら、どうしていただろう。
無意識のうちに、言っちゃいけないことのような気がしていた。
部屋を交替すること自体が悪いような気がしたから。私、なんか嫌われている?なんて相手から思われるのが面倒だと思っていた。
また、温度を調整できる、落としどころがあるはずと思っていたから。よく考えてみると、これに関してはどちらかの妥協がないと成立しない。どちらも妥協しているときなんて、誰もいい思いしていない。
初対面の人に、さすがにこんな相談は難しいかもと思っていたから。相談したときの、相手のリアクションによっては、このあとずっと気まずくなるかもしれない。そんなのいやだ。
私、ひとつの事象に対してこんなに考えていたんだ。
そして、波風立てないように、事を大きくしないようにするための労力ばかりかけていたんだ。
その前提には、「相手にイヤな思いをさせてはいけない」と、「自分がこれ以上イヤな思いをしたくない」という思いがあって、それを埋めるための策しか頭になかった。
だから、りょうこさんと同じ台詞で相談したとしても、私が言うと、ことばの端々から遠慮とか、不満とか、自分の中の奥にある思いが滲み出ているフレーズだったと思う。
そんな重いフレーズだから、トラブルにつながっていくんだろう。そんなことばを聞く相手も不愉快だし。
自分の思いをそのまま伝えるだけ。
それにしても、りょうこさんの口調の軽やかさ。そこには不満も嫌味もなかった。ただの相談。シンプルな交渉。
だから、私もすっと受け入れられた。りょうこさんの思いと、相談の意図がまっすぐに伝わってきたから。
頼みごとひとつするだけなのに、いろんな感情がじゃまをしている。自分が傷つかないように守る(というと大袈裟だけれど)ためのフィルターを、何枚も重ねているんだということが、今回のことではっきりと見えたのでした。
そしてこの後、別室の人と交替し、それぞれ冷房の効いた部屋・冷房を切った部屋で朝までぐっすり眠った。一件落着。
ちなみに、りょうこさんの職業は弁護士です(さすが!)。