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<私の思い>分断や反対意見の抑え込みについて

(20220620 更新)

※※※ 注意事項 ※※※

以下は、私個人の思いです。
「この思いが1番正しい!」というわけではありません。
人それぞれ、立場・生活状況・考え方・生き方等々が違いますので、あらゆる考え方・生き方において、正しいor間違っている、と断言する事は出来ません。
ご参考程度にして頂ければ幸いです。
この点、何卒ご了承下さい。

※以下は、随時、新たな文章を追加し更新する事もありますので、たまに、再度チェックして頂ければと思います。

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参議院議員選挙を前に、ある党に対して、意見が分かれていますよね。

私は以前、別のある党に対して、熱狂的になり、チラシ配りをしたり、かなり応援をしていたんですが、その後、色んな情報を知り、
「熱狂的になると、見えなくなる事があるな…」
と大反省したので、今は熱狂的になる事なく、冷静に見るようにしています。

なので、動画やSNSでも、肯定派・否定派の両方を観ていますし、先日開催された、ネットでの党首討論なども、一応、観ています。

私の今の正直な思いは、『政治はプロレスだ』という事が言われており、『皆、上からの指示によって、色んな役割を演じさせられている』のだろうと推測するので、かなり大変だろうなと。

私達庶民にはわからない、独特な世界だと思うので、私の妄想で言えば、『自分に正直では居られない世界』なのかも知れないし、もしかしたら、『本人や家族の生活や命までも握られている』のかも知れないなと。

そう思うと、
「何故、あの党に?本人はそれでいいの?」
と疑問に思う事も、
「私達の知らない世界だから、裏では色々あるのかもね…。
 単に、客寄せパンダとして、有名人だから、今、人気があるから、というだけで、上から命令され、断れなかったのかも知れないし…。」
とも思います。

これは、つい先日、ある党の党首の方が、海外の方を、その党から立候補させて当選したなら、まとまったお金を党に渡す…みたいな話があったと暴露された事や、これまで見聞きして来た事から、
「結局、政治はプロレスであって、上からの指示で色々な事が決められるわけで、票を集めて議員になって、普段は何もしなくても(国会中に寝ていても)、法案を通したりする際の賛成票になればいいわけだから、何党か?なんて関係ないんだ!」
と気付いたわけです。

その党首の方が、正直に裏話を暴露して頂いたお陰で、私達庶民が、政治家達の内部事情を知る事が出来ると、どんどん冷めた目で、俯瞰して見れるようになって来ます。笑

そんな中、ある党に対して、今、かなり賛否が分かれています。

それを見ていて思った事について書きたいと思います。

私は、去年の春位に勤務していた職場で、そろそろ注射が始まるという事になり、ネットで調べて集めた情報は、ネガティブ情報ばかりだったので、職場の人達に、TVを鵜呑みにするのではなく、自分で調べて考えて貰いたいと思い、このnoteを作成し、知らせたんですよね。

でも、私がおかしな事を言う人だという雰囲気になったり、バイトの女子学生さんからは、
「kyo_koさん、意外と反発してますね!
 ダメじゃないですか!言われた通りにしなきゃ!」
みたいに言われて、唖然とした体験があります。

そういう体験もあり、ある党の賛否両論に対して思った事なんですが…。

私達は、自己肯定感を無くされているからこそ、誰かが自分と違う意見を言った時に、
「攻撃されてる!」
「相手は私に反発している!」
という風に受け取るんですよね。

しかしながら、そもそも、人間は『人それぞれ違う』わけなので、それぞれの意見が違う事が当然なんですよね。

本来は、同じ事の方が珍しいわけで。

ですが、特に日本では、『皆と同じ事が当然であり、皆と違う事はおかしい!』という風潮に『わざとされている』為に、意見の違う相手との仲が悪くなるんだと思うんですよね。

その事にプラス、日本では、『間違いや失敗は恥ずかしい事だ!』という刷り込みもあるし。

なので、益々、自分と違う意見を受け入れる事が出来ないし、途中で
「自分が間違ってたかも…。相手が正しいのかも…。」
と、内心思ったとしても、自分が間違っていたなんて、恥ずかしくて言えないわけで。

こんな風になるように、意図的に仕組まれ、これまで長年、社会洗脳されて来たという事もあると思います。

しっかりした自己肯定感があれば、誰がどんな事を言おうが、
「あなたは、そう思ってるのね~!
 私とは違う意見もあるのね~!」
と、そのまま受け取るだけ。

例え、自分とは真逆の意見を言われたとしても、
「相手は私を攻撃してる!全否定=人格否定してる!」
なんて受け取る事はありません。

もし、普段から、そう受け取ってしまうのであれば、もしかしたら、子どもの頃からこれまでに、親や教師、職場の上司など、周りの人達に、自分の気持ちを正直に言えば、即、ダメ出し・全否定されたり、抑え込まれたりして来た体験から、ちょっとした言葉でも、すぐに、全否定・攻撃されているように受け取ってしまうのかも知れません。

私自身が、長年そうだったので、これは、心底よくわかります。

動画やSNSとかで、発信者を否定するようなネガティブコメントを、たまに見ますが、そんな人は、自分と違う意見の発信者に対しては、特に何も書かずに、以降、観なければいいだけです。

なのに、わざわざ、ネガティブコメントを書くというのは、本当は、その発信者に対してではなく、別の『身近に居る誰か』に対して言いたい事があるのでは?とも思います。

私自身、毒親育ちの上に、DV・モラハラ・サイコパス人格元夫との生き地獄状態の結婚体験も重なってしまった為に、今思えば、生まれてからずっと、周りは敵ばかりの中で育ち生きて来ました。

なので、『超~他人軸で自己犠牲・自責思考の奴隷体質』に育てられた私は、社会に出ても、親と似た支配的な人達に、すぐ目を付けられ、苦しめられ続け、病み続けて来たので、周りの人達は、皆、敵だと感じてしまい、ちょっとした注意やダメ出しにも敏感に反応し、相手にビクビクするようになり、親や夫に対してと同じように、常に、
「相手達から、何も言われないように、全てに対して、ちゃんとしなければ!」
と緊張し続け、全てに対して完璧主義になっていたんですよね。

そんな生活をしていると、相手は言った事などすぐ忘れる程の、ちょっとした言葉にも敏感過ぎる位に、真に受け過ぎてしまい、
「また言われてしまった!
 私は、こんなにガムシャラに頑張り続けているのに、これ以上、どうすればいいの?
 どうしたら、何も言われなくなるの?」
みたいに、悩み苦しむ事になっていたんですよね。

私の生き地獄人生の原因は、親からの躾と称する洗脳+夫・婚家からの洗脳+社会洗脳によって、認知が歪み放題となり、自己肯定感を無くされ、自己評価が低過ぎる=自己卑下状態にされてしまった事が原因です。

私ほどではないにしろ、ほとんどの人達は、社会洗脳によって、多少なりとも、これがあるのではないかと思います。

私は、20代から様々な事を独学し続けていますが、常に『我以外皆我師』と思い、多くの方々から学ばせて頂きながら、もし、自分が間違っていた時は、
「私、間違ってました!ごめんなさい!」
と素直に謝っています。

※要注意!
『我以外皆我師』の意味は、自分以外の人達の言動を見聞きして、学び、気付かせて頂いている=『自分以外は皆、私の先生』という気持ちで生きる事であって、『自分以外の偉い人達に従って生きる』という意味ではありません。

しかしながら、これまで長年、周りの支配的な人達を見続けて来て思う事は、その人達の中には、
「間違いや失敗を認め、相手に頭を下げる事は負けだ!」
みたいな思考があるんですよね。

そもそも、『勝ち負け』って必要ですか?

それこそ、『縦社会思考』ですよね?

ホント、人間って小さいな~と心底思います。

もちろん、私自身も含めてですが。

話は少しそれますが、最近、『宇宙人は小学生』みたいな動画を何本か観たんですよね。

小学生なのに、大人びた発言ばかりなので、以前ならば、
「どう育てたら、こんな賢い子に育つんだろう?」
と心底不思議だったんですよね。

でも、スピリチュアルというか、人間の起源というか、色んな動画を観続けて来て、これも、私達の知らない世界で、
「宇宙人が、どんどんネガティブな状況になって行く地球を、見るに見かねて助けに来ている。
 平成?以降、宇宙人が人間として生まれて来ている!」
みたいな情報もあり、そう考えると、納得出来る感じではあるんですよね。

これも、本当の事は、誰にもわからない事ですけどね。

でも、これまで私は、『人間は、皆、同じ』と思っていましたが、人間にも種類があるみたいで、これも本当の事は誰にもわからないので、半信半疑ではありますが、でも、確かに、そう考えると、これまでの人間関係での疑問の答が出て、納得出来る事もあるんですよね。

私達は、皆、ポジティブエネルギーをエネルギー源として生きており、例えば、身近な人でも他人でも、何しろ、誰かが苦しんでいる姿は見たくないので、その人が苦しまないように、自分は何をしたらいいのか考える、と思い込んでいますが、そうではない人も居るんですよね。

ネガティブエネルギーをエネルギー源として生きており、身近な人や、多くの人達が苦しんでいる姿がとても嬉しく、もっともっとその人達を苦しめるには、どうしたらいいのかを考える人も、実際居るという事です。

私が、この事を知った時、

「あ~あの人たちは、そもそも私とは違う種類の人間だったんだ!
 だから、私に信じられない辛辣な言動ばかりして、毎日、私を苦しめ続けていたんだ!
 もっと早く知って、自分とは違う種類の人達とは、さっさと離れれば良かったんだ!
 自分と同じ人間だと思い込んでいたからこそ、
 『私が相手の立場なら、私に感謝こそすれ、こんな酷い事は絶対にしない!
  やはり、私が無意識に、相手に対して、何か悪い事をしてしまっているから、こんな風に酷い事をされるんだ!
  全ては私が悪いからだ!』
 と自分責めして、その苦しい主従関係を続けてしまったわけだからなぁ…」

と納得したんですよね。

その動画に出ていた小学生の男子も、外見は人間でも、中身は宇宙人だと思えば、小学生らしからぬ大人びた発言(難しい言葉も使っているし、大人でさえも知らないような事を普通に話している)も、心底、納得出来ます。

これは『差別』とかでは決してなくて、『人それぞれ違う』という事で、『その違いを尊重する』という事です。

その宇宙人小学生の男子の受け答えを聞きながら、宇宙の中の地球、地球と人間との関係性の話のところで、ふとサイコパス的な思考だなと思ったりもしましたが、俯瞰して考えてみると、
「それが、本当の自然というものか…」
と思ったりもして、かなり勉強になりました。

そこで、気付いた事があったんですよね。

私達人間は、『執着』が強過ぎるのではないかと。

人間関係、家族、仕事、物、お金、自分の思考や意見等々に対して『固執し過ぎる』というか。

長年、私が最も、執着というか固執していたのは、
『親子兄弟の血の繋がり』
『しなければならない!』
『ねばならない!』
ですけどね。笑

色んな方向から、常に私達庶民は『分断』されようとしています。

その理由は、分断したり、孤独になった方が、洗脳しやすいからです。

自己肯定感の無さ、自己評価の低さ、自分の意見への執着・固執を刺激されて。

でも、そもそも『人それぞれ違う』から、『正解は人の数だけある』わけだし、『違う他人と比較出来ない』わけだし、『同じ種類の人同士で集まる』事は出来るけれど、だからと言って、『違う種類の人達の集合体同士で争う』、『分断する』事など必要ないわけです。

愛情とは、お互いへの『尊敬・尊重・感謝』ですから、片方が相手を言い負かして従わせる『一方通行な関係性』では決してなく、違う意見の人達同士、お互いに正直に意見を言いながら、相手の意見も尊重し、何か問題解決する為に団結しなければならない時には、『お互いに歩み寄る』事が必要だと。

これは、全ての人間関係に言える事ですよね。

もちろん、これが出来ない人達も居ます。

『相手に歩み寄れない』のならば、離れるしかないわけで。

と言いながらも、政治は、社会全体の事を決めるわけなので、その代表を選ぶ時には、私達の生活から健康や命までもかかっているので、真剣にならざるを得ないわけですけどね。

でも、だからこそ、選挙演説とかで、他の党をリスったりする事なく、応援している人達も、熱狂的になる事なく、反対意見を言う人に対しても、冷静に聞いて、反発する事なく、その人達が指摘しているところを、再度、確認してみる事が必要なんですよね。

私は、ネットで商品購入する時、手に取って見れない分、実際に購入した人達のレビュー(感想)=良いレビューはもちろん、悪いレビューも必ず見る事にしていて、総合的に判断するようにしています。

人間って、『あばたもえくぼ』で、好きだと思ったら、その商品や相手の悪い面には目が行かなくなり、気付かない事が多いですからね。

『政治はプロレス』ならば、どの党を、誰を選んでも、結果は同じなのかも知れません。

でも、もしかしたら、本当に真っ当に、『今までの政治を変えたい!』という強い信念を持って、出馬する党もあるかも知れません。

出馬される方々は、口八丁、手八丁で、私達の清き1票を取りに来ます。

演説に慣れた方々は、口先だけで何とでも言えます。

だからこそ、私達庶民側の意見が、ものすごく重要になって来ると思うんですよね。

なので、誰が、どんな意見を言おうが、それは言論の自由なので、
「この前、〇〇さんが反対意見を動画で出していたので、それに対しての動画を撮りました!」
みたいに、ハッキリと名前を出したりして、決して争わないで欲しいと願います。

中には、反対意見の動画を出したせいで、熱狂的に支持している人達からのコメントが殺到し、謝る動画を出されていた方もいらっしゃいましたが、それこそが『反対意見の抑え込み』ですよね。

違う意見の方々を、必死に抑え込むのではなく、もし、反対意見の方が勘違いされていると思うのならば、その勘違いを無くせるように、具体的にわかりやすく説明する動画を作って流せばいいと思います。

お互いに、自分の意見を正当に言い合い、お互いに相手の意見を聞き合って、それに対して、やるべき事があるならば、正当に、それをやったあとは、それぞれの判断で、どの党、誰に投票するかは自由なわけですからね。

何しろ、『一方的に相手の意見を抑え込む』という事だけは、してはいけない事だと思います。

私も、まだ詳しく調べていませんので、どの党がいいとか悪いとか、わかりません。

なので、色んな方々のご意見も参考にさせて頂いており、日々、気付ける事もあるので、各党への良い意見も悪い意見も、両方知って、冷静に判断しようと思っています。

だからこそ、自由意見を一方的に抑え込む事だけはして欲しくないんです。

ただでさえ、ネットも、TVと同じように、かなり言論統制されているように感じるので、私達までも反対意見を抑え込むコメントを書いたりしていたら、それこそ、『偏った社会』を助長してしまいますからね。

それにしても、今回の世界的な騒動から、様々な事を知る事になり、かなりの学びと気付きがありました。

マスクや注射に関しても、政党への賛否両論と同じく、人それぞれの考え方があるので、お互いに相手を尊重しながら、情報交換しながら、皆で成長し合い、社会を生きやすくして行ければいいなと思います。

最後に、この2年半で、人間関係に関して、私が学び気付けた事を書きたいと思います。

『人それぞれ、そもそもの人間の種類が違う』
『何事にも、異常な執着・固執をしない』
(これには、誰かを妄信しない、という事も含まれる。)
『本物の愛情とは、お互いに尊敬・尊重・感謝し合う事』

を頭に置いて、

『しっかりした自己肯定感を持つ!』
『他の誰でもない、自分を信じる!』
『自分と違う人に対しても大らかに!』
『思考を柔軟にしてクールに!』
『自分の気持ちに正直にシンプルに!』

そんな生き方にシフト出来れば、皆、笑顔で幸せに生きる事が出来るのでは?と思う今日この頃です。

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またまた今回も、何を言いたいのかわからない乱文・長文になってしまい、本当に申し訳ありません。
最後までお読み頂きまして、誠に有難うございました!
大感謝です!

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