にっきをよむ

それはとても素晴らしいことなのである!

手紙を読むのが好きだった。
Eメールですら廃れたこの世の中で、懐古厨気取ってんじゃねぇと思われるかも知れないが、保育園や小学校で手紙のやり取りをした体験は誰しもあるんじゃないかな。(あれ、僕の周りだけだったりしないよね?)

何が良いって、あの開くときのワクワク感。
プレゼントは開けて終わりだが、手紙は気が向けば何度でも読み返せる。
懐かしさとともに戻ってくる、悠久のときめき。
子供同士の文通の内容なんてたかが知れているけれど、「開く」ことに価値があるんだ。シュレディンガーの猫ってことだね(色々違う)
わざわざ伝えたいことなんてないし字は汚いしで、手紙を「書く」のははっきり言って苦手な方だったけれど、開くワクワクを味わうがために頑張って書いたもんですよ。

だが大人になるにつれて、手紙を出す理由と相手がなくなる。いや寧ろ「必要になる」と言ったほうが正しいかも知れない。
あの頃は誘われるがままに文通をしていたけれど、そこにはきっと理由なんてなかった。必要なかったんだ。

まあとにかく人から手紙を受け取ることはなくなったわけだが、手紙を書く機会はないわけじゃない。
自分への手紙、日記だ。
僕は昔から自分の書いた手紙を読むのが好きだった。
文脈が自分のものであるし、なによりそこには時間が流れている。過去の記憶と密接しているんだ。

僕の頭は記憶系統が弱い。それは後天的なものである。
通常睡眠によって記憶は整理されるが、僕の場合圧縮されている。
感情が、時系列が、場面とリンクしなくなってしまう。動画が一枚一枚の写真になってしまう。「昨日以前」に入れられてしまう。
まあ早い話が、寝て起きると記憶が曖昧になるんだ。

その改善のために、気が向くと日記を書いたり書かなかったりするわけだが、書く前に必ずそれまでのを「読む」ようにしている。
これが楽しい。なんたって鮮度の高い記憶が蘇る唯一の手段なんだから。
あと僕は多分、人より変化スピードが早いんだと思う。
その時考えてたことを思い出しては「あーそういうことか!」と納得したり、「いや違うんだよな」「あの頃は若かった」と愚かさを嘆いたりする。(たった数週間前の内容なのに。)
今との違いがあることで、そこに歴史があって、僕は間違いなく進化(又は退化)しているのが分かって微笑ましい。

それより何より、時間旅行が楽しい。
日記を読んで、その時の記憶を、感情を、己を、ロードする。

主にRPGなどでよく見る、ゲームデータをセーブするコマンド「にっきをかく」あの名前はとても秀逸だと思う。最初に考えたのはどこの誰だ。褒め称えさせてくれ。
ただ一つ悲しいのが、その日記が読めないところだ。
セーブを「にっきをかく」と表現するゲームは数多あまたあれど、それを読ませてくれることはほとんどない。

だから「ぼくのなつやすみ」をゲーム実況で見たときは感動した。
僕と同じ景色を見てきた主人公が、それをどう解釈し切り取るのか。ああ、見たかったのはこれだと。そう考えると僕に近しい他人の日記を読むのも面白そうだ。いや、寧ろ全然知らない人のでも良いな。エッセイに近い、別の楽しみ方が出来そうで。

とりあえず今日も日記を書こう。そして読もう。

日記は読むところに価値があるんだ。
書きっぱなしならそれは日記じゃない、只の文字だ。雑文だ。
日記の果たすべきはセーブポイントであり、タイムマシンであり、代謝した自分自身を映す鏡。

分かったら早く、皆さんの日記を見せてください。

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